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ジャーナリスト嶌信彦のコラムやお知らせを掲載しています。皆様よろしくお願いいたします。

23日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』 ゲスト:将棋界の「レジェンド」加藤一二三様 二夜目

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スタッフです。23日のTBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30-22:00)は、史上最年長棋士として現役を続けている将棋の加藤一二三九段をゲストにお迎えする二夜目をお届けいたします。

対局の流儀として、必ず食事にうな重を食べる理由や、棒銀戦法を40年間刺し続けても飽きない訳、対局中、5秒おきに残り時間を聴く理由。どんな相手を前にしても怯まない勝負師魂などにつきお伺いする予定です。

先週放送の子どもの頃、将棋棋士としてやっていく決意をしたきっかけや、当時の名人に掛けられた忘れられない言葉。棋士となってから、スランプに陥ったときの意外な対処法などなどにつきお伺いした放送は番組サイトに掲載されておりますので、お聴き逃しの方は合わせてご利用ください。

加藤様が上梓された書籍の一部を合わせてご紹介いたします。 

否めぬ野党の論戦不足 ~野党は奮起できるのか・・・~

 

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スタッフです。3月14日の「森本毅郎・スタンバイ」の「日本全国8時です」の放送内容をお届けします。

本内容は放送時点のものですが、状況が変わった事象については注釈を付記しておりますので、合わせて参照ください。

テーマ:国会論戦「いま・むかし」から野党を考える

最近国会で森本問題に関する議論が続いているが、その議論を見ていても全く面白く感じられない。府議会が参考人招致を了承したにも関わらず、国会では与野党そろって呼ぶ必要がないと発言している。(※1)呼ぶ必要の有無は別として、森友学園が出した予算が3通りもあるなど、多数の矛盾がある。教育の問題もあり、これは国会に招致したほうがいいのではないかと思うが、与党は招致する必要はないとし、しばらくすると府議会も招致する必要がないとなり、何らかの圧力がかかっているように見える。このようなことが国会の論戦をつまらなくしているように感じられる。

【かつて国会には緊迫した場面や名物議員の存在も・・・】
昔は国会も緊迫した場面が多々あり、名物議員も多数いた。例えば、社会党の木村禧八郎(きむら・きはちろう)氏。この方は地味ではあったが、様々な問題を掘り起こした。他にも社会党楢崎弥之助(ならざき・やのすけ)氏、大出俊(おおいで・しゅん)氏、久保亘(くぼ・わたる)氏<社会党民主党>などがおり、「爆弾男」や「止め男」といったキャッチフレーズがついていた。

それから共産党では正森成二(まさもり・せいじ)氏、松本善明(まつもと・ぜんめい)氏、上田 耕一郎(うえだ・こういちろう)氏。さらに、民社党の竹本 孫一(たけもと・まごいち)氏は経済問題の論戦で有名だった。今名前を挙げた方々の国会での論戦が今も手に取るように浮かんでくる。

【今なお残る言葉も国会から誕生】
木村禧八郎(きむら・きはちろう)氏は1953年の国会で検察より早く造船汚職を追及し、吉田茂内閣退陣への口火を切ったともいわれている。この造船汚職は、政府出資の計画造船の割り当てをめぐり起こった贈収賄事件で海運会社の手形の不正が発覚。さらに海運各社が当時の運輸省高官および自由党幹部に贈賄した事実が明るみに出たこともあった。

また、木村氏といえば「貧乏人は麦を食え」という新聞の見出しで有名になった方。1950年12月の参議院予算委員会にて木村氏が高騰する生産者米価に対する大蔵大臣の所見を糺した。すると、当時大蔵大臣だった池田勇人元総理は「所得に応じて、所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に持って行きたいというのが、私の念願」と締めくくった。すると、翌日の朝刊に「貧乏人は麦を食え」という見出しが出てしまった。この「貧乏人は麦を食え」という言葉は今でも話題になっている。

田中角栄氏の「列島改造論」も批判・・・】
さらに木村氏は、田中角栄内閣の「列島改造論」に対しても、「インフレと公害促進政策」と批判するなど、常に政府を追及した先導者であった。この人も非常に地味な人で大向こうを唸らせるような話ではないものの、一つひとつを地味に追及していったことで国会でも相当議論になっている。そういう意味からも、国会で追及するテクニックも持ち合わせていた上に、それに対応する多くの材料を持っていたといえる。

【「爆弾男」と「止め男」】
それから、楢崎弥之助(ならざき・やのすけ)氏の国会質問では「爆弾発言」で大騒ぎになり委員会がよく中断。ここで大出俊氏が登場し、「止めろ、止めろ」と叫んだことから二人は「止め男」や「爆弾男」と言われた。楢崎氏もかなり材料を持っており、楢崎氏が「マイクの前に立つと閣僚席が緊迫する」と言われたほどだ。官僚も楢崎氏の答弁の前には徹夜で調べていた。当時、私たちが国会に取材に行くと、国会記者席も満員だった。

クライマックスは88年のリクルート事件。これはアメリカの新聞に出た小さな記事が徐々に大きくなっていったものだ。アメリカの議員会館の事務所に小さな郵便物が投げ込まれ、その中に日本のリクルートの名前が少し出ていたことを見つけたのが発端で、そこから拡げられていった。そしてこれが、竹下内閣退陣の引き金となったのである。そういう意味でいうと非常に調査が行き届いていたのだろう。

【徹底抗戦で対抗の執念は今いずこ】
楢崎氏はリクルートコスモス社の幹部が国会質問を封じようと楢崎氏の議員宿舎に現金を持参した時の様子を隠しカメラで撮影して告発。撮影に協力した当時のテレビ記者によると、札束が入った封筒を差し出したコスモス社幹部に「米俵をスズメの前に置いても口が小さいから一粒一粒しか食べられない。我々は分相応の生活をしなきゃいかん」と説いたという。このようにきちんと逃げられない証拠を押さえ、追及していった。これは、今の国会の追及の仕方とは迫力が違う。そういうことまでやらないとなかなか与党を倒すというところに至らないのだろう。

楢崎氏は資料を集め念密に検討して攻め方を研究し、前の晩は4時頃まで一生懸命勉強していたといわれていたほどだ。先にも述べたように楢崎氏の質問の際には傍聴席も記者席も満員で大向こうを唸らせていた。これが当時の国会の面白さであり、このように国会を面白くさせないとだめなのではないかと思う。

【甘い追及や調査】
どうしてこれほどまでに面白かった国会がつまらなくなってしまったのかというと、今の追及の仕方や材料の集め方、調査の仕方が非常に甘いからではないかと思う。例えば、今の森友学園の問題についてもいろいろと話題が出ている。中でも、安倍昭恵夫人に社会教育費という費目で講演料の40万円を支出したという話が出ているにも関わらず、中途半端な追及で終わっている。森友学園側の計上費目が講演料ではないことから、ここをもっと調べて追及することも可能だと思うのだが、それをきちんとやっていない。教育の問題も出ている。自民、公明等が籠池氏を国会に呼ばなくてもいいとかたくなに拒んでおり、そこには何かあるのではないかと誰もが感じ取っているように思う。(※1)そこをもっとなぜ追及しないのかが、今の国会の追及の弱さが現われだと思う。

【野党の論戦不足とメディアの深堀り不足】
最近では稲田氏の問題も現れ、発言との矛盾などに関する資料が少しづつ出てきた。記載された記録などが出てくればそれを論拠として具体的な戦いができる。そういったもので追及するということが大事である。

それから、国会では今の日銀政策に関して、ほぼ終わり、ダメになったという論調が強い。しかしながら、これに関しても追及が中途半端に終わっており、この問題もどうなったのかよくわからない状況に陥ってしまっている。やはり国民の気持ちを動かすような国会論戦が欲しいように思う。野党が勢いを失ってしまうと国民の意識は下がってしまう。

昨今、首相にヤジを飛ばされているようでは、見ている方も「なんだ」という気持ちになってしまう。首相が困るくらいの追及を行なわないとダメだと思う。そういう意味でも野党の力不足が現状を招いていると思う。野党が弱いといわれるが、論戦不足が否めず「論戦をきちんとする」というところから突っ込んでいくことが大事だ。野党の奮起を促したいと改めて思う。そしてメディアももっと問題を掘り下げていくべきだとも思う。


【参考情報】
(※1)籠池泰典氏は3月23日に衆参両院の予算委員会で行われた証人喚問に出席した。
さらに3月末で学校法人森友学園の理事長を退任し、長女が新理事長に就任した。

・4月6日付毎日新聞
 大阪府松井一郎知事は5日の定例記者会見で、学校法人「森友学園」の小学校建設計画の経緯を巡る職員への調査結果を発表した。建設予定地だった豊中市の国有地を管理する財務省近畿財務局の担当者が府側を訪れた回数について、府はこれまで2回と説明していたが、計5回だったことが判明。両者のやりとりは電話や府側からの訪問も含めると十数回に上った。

・4月17日付NHK
大阪市は今年1月に決定した学校法人「森友学園」が運営する幼稚園への、障害のある子どもの受け入れ人数に応じた交付金の支給を取消した。申請は平成28年度分として5人分、計180万円の支給であったが、市が提出を求めた書類が幼稚園側から出されなかったことからこの運びとなった。今後、大阪市は、それ以前の交付金についても手続きに問題がなかったか、調査を進めることにしている。

多くの人が涙したウズベキスタン ナボイ劇場建設秘話が昨日フジテレビ「奇跡体験!アンビリーバボー」で放送されました

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スタッフです。昨日放送されたフジテレビ系「奇跡体験!アンビリーバボー」でのナボイ劇場建設の物語をご覧になられた方から、大きな反響をいただき感謝申し上げます。

昨日番組内で放送された、再現ドラマは嶌が一昨年の9月末に上梓した「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」(角川書店)を参考にしてくださり、嶌へのヒアリングならびに、嶌がシナリオの監修を行ないました。

今回、永田様のご家族をはじめとしたご遺族ならびに、嶌が会長を務める日本ウズベキスタン協会、中山恭子様(参議院議員)などが番組制作に協力しております。

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※画像は、2014年駐日ウズベキスタン大使館で行われた日本ウズベキスタン協会のイベントにて撮影(左より、中山恭子様、ファルフ・トゥルスノフ駐日ウズベキスタン大使、嶌)

今回の放送の内容が番組サイトに掲載されましたのでご紹介します。

番組内容要約(番組サイトより抜粋)

中央アジアの国、ウズベキスタンの首都・タシケント。 今年4月、そこは満開の桜で彩られる。市内の劇場、墓地などで咲き誇る桜には、知られざる日本人の精神が宿っていた。 今なお、語り継がれる歴史に隠された日本人たちの「魂の結晶」とは…

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今から72年前の8月15日、第二次世界大戦で日本は無条件降伏。戦闘機の整備部隊の隊長だった永田行夫は、200名あまりの部下と共に、ソ連軍の捕虜となった。投降した日本兵ソ連各地に送り込み、強制労働させる。 シベリア抑留のはじまりだった。

永田の部隊が送り込まれたのは、当時、ソ連領であったウズベキスタン共和国にある第4ラーゲリーと呼ばれる収容所。 そこで従事する仕事は、ソ連共産党の威信を示すためのオペラハウス「ナボイ劇場」の建設。

永田班は世界一の劇場を作りたい、そんな思いで必死に働くうちにウズベキスタン人との心の垣根は消え親密になっていった。

劇場の完成も間近に迫ったある日、永田の部下の永尾が、高所作業中に落下し即死。遺体は捕虜が強制労働の末に亡くなったことを表沙汰にできないため、即座にソ連兵に撤去されていった。しかし、翌朝、永尾の死を悼み、花を手向けるウズベキスタンの人々の姿があった。

その2ヶ月後、ナボイ劇場は2年の時を経て、ついに完成。 建設に携わった日本人捕虜たちの為に、内覧会が開かれた。美しい装飾に彩られた劇場は、世界最高峰のオペラハウスと呼ぶにふさわしかった。それは、ウズベキスタン人と共に血と汗を流し、日本人としての誇りを胸に、持てる技能の全てを注いだ彼らの魂の結晶だった。

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永田は日本に帰国後、真っ先に第四ラーゲリにいた457名の住所録を作成することだった。帰国時にメモを所持しているとスパイとみなされるため、全員分の名前と住所を全て暗記し、帰国後記憶を元に住所録を作成。 それにより、年に一度かつての戦友たちと集まることができた。

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帰国から40年後には、ナボイ劇場でオペラを鑑賞。 共に建設に携わったアサードフとも再会し、念願だった永尾清さんの墓参りも果たした。日本人の心、そして誇りが宿る桜。 美しき精神とともに、来年も花開くだろう…

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本番組に登場された永田行夫様が「嶌信彦のエネルギッシュトーク」(TBSラジオ)に2002年11月3日に出演され、当時のことを語られている音源を合わせてご紹介します。

 なお、新宿西口にある平和祈念展示資料館では、放送内にも登場したウズベキスタンタシケント市の日本人抑留者記念館のジャリル・スルタノフ館長が制作した記録映画「ひいらぎ」が5月6日(土)14時から放送される予定です。

スルタノフ様は日本人抑留者の素晴らしい仕事ぶりに感銘を受け、ウズベキスタンが1991年にソ連から独立したのを機に、日本人ゆかりの収容所や墓地などの資料や証言の収集を開始しました。「ひいらぎ」はその一部を映像化したもので、当時の様子を知る人々の証言を交えた貴重な日本人抑留者のドキュメンタリーとなっています。

昨晩放送されたナボイ劇場建設をはじめとして、ウズベキスタン各地で労働に従事した勤勉な日本人と共に働かれたウズベキスタンの方々の貴重な証言などが収録されています。昨日の放送でご興味をお持ちになられた方は是非、足を運んでいただけると幸いです。

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デパート混迷 伊勢丹社長突然辞任

 

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1967年3月に大学を卒業し、私は最初の赴任地・秋田県に向かった。当時の秋田はコメ所として知られ、八郎潟の拓に手をつけており東北ではコメの産地として比較的豊かな県だった。県庁所在地の秋田市には、「木内」「本金」という二つのデパートがあり秋田市のランドマーク的存在だった。

60年代の地方の中核都市には、大体地元資本のデパートがあり、デパートで買い物をするということは、東京でいえば三越高島屋伊勢丹へ行くといった感じで特別な気分になったものだ。デパートは百貨店とも呼ばれ、それこそ靴から化粧品、洋服、電気製品、スポーツ用品、食料品、文具などあらゆるものを取り揃えていた。何でもあるので“百貨”店と呼ばれていたのだろう。

■“百貨”店から“50貨”店へ
だがデパート、百貨店は80年代頃から特別な存在ではなくなってきた。特に東京などの大都市では、化粧品、洋服、スポーツ用品などの専門店、外資系のブランドショップが次々と繁華街に専門店を出し、消費者はそちらへ足を運ぶようになった。その結果、デパートは高級品や特別な品を買う店ではなくなっていったのである。

同時に、売場から電気製品やスポーツ用品、文具などは消えて“百貨”を売る店から50貨、60貨の店になっていった。衣料品ではユニクロが全国に店を出し、化粧品は目抜き通りに外資系が軒を並べ始めた。スポーツ用品ではミズノやナイキ、眼鏡などもお洒落な品ぞろえの専門店があちこちに出始めた。さらに、ここ10年では通信販売で簡単に高級品や地方の特産品が手に入るようになってきたため、かつては消費の憧れの場所が普通の店になってきてしまったのだ。

■デパ地下、安売り、福袋の限界
いまやデパートの最大の売り場は“デパ地下”と呼ばれる食料品売場と、年に何回か行われる大安売り、正月の福袋などに狭まってきてしまった。この結果、デパートの売上げはどこも減少し始め、経営が行き詰まったり、支店を次々と閉鎖するところが増えている。地方では量販店と通信販売に押され、かつての街のランドマークだったデパートが消えてしまった都市も少なくない。

そんなデパート戦争の中でひときわ存在感を示していたのが東京・新宿の伊勢丹だった。若者向けの衣料品、ファッション製品を取り揃え一人気を吐いていたのだ。特に業界をあっと驚かせたのは2008年の伊勢丹と老舗中の老舗で、百貨店・デパートの代名詞ともなっていた三越との経営統合だった。世界最大の売上高を誇っていた新宿本店を持つ伊勢丹と富裕層の客を抱える老舗三越の経営統合は百貨店の新たな方向を示すものとして注目された。

■大西社長は一時寵児に・・・
特に12年に三越伊勢丹ホールディングス社長に就任した伊勢丹出身の大西洋社長は、自前の商品開発にこだわり、小型店の積極出店や中国人観光客の急増にも目をつけ、中国カード(銀聯カード)の利用をいち早く可能にしたり、旅行や飲食、婚礼など事業拡大にも積極的に取り組んできた。中でも利益率の高い独自商品を15%まで拡大するなどして売上高を伸ばし13年度は過去最高となる346億円の連結営業利益を上げた。この頃はデパート業界の代表といえば大西社長といった感さえあり、テレビや新聞、雑誌の寵児となったほどだ。

しかし中国爆買いブームが去ると三越伊勢丹グループもその波に巻き込まれ、営業利益は高島屋グループやJ.フロントリテイリングより大きく落ち込み、その責任を取る形で今年3月末に突然大西社長が辞任した。

今年になって不採算店の閉店や売場面積の縮小、業態転換を図ってきたが、伊勢丹は千葉と東京の二店舗に対し、三越は千葉店、多摩センター店を閉店、松山店、広島店を縮小したり、業態転換を図る方針とされる。リストラは三越の不採算店が中心となり、三越側からの反発が強まっていたともいわれ、一時はデパート業界を引っ張っていた大西氏の花形的振る舞いは4年半で幕を閉じた。大西氏は役員としても残らない。

■ビジネスモデルを見出せない百貨店業界
デパート経営はバブル崩壊後の90年代から苦しくなっており、合併連衡を続けてきたが、結局、本質的なデパート改革論をどこも出せずビジネスモデルを見失っているのが実情のようだ。2016年の百貨店売上高は6兆円を割ってしまい、ピーク時の6割まで減少している。デパートに慣れ親しんできた70代前後の消費者がデパートを見放すようになると前途は深刻だ。その深刻さはすでに地方の中核都市で20-30年前から徐々に表面化していたのである。
【Japan In-depth 2017年4月20日】

画像:Wikimedia commons

本日のフジテレビ「奇跡体験!アンビリーバボー」にてノンフィクション「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」(角川書店)が紹介 舞鶴の桜も満開に

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 スタッフです。既報の通り、いよいよ本日のフジテレビ系「奇跡体験!アンビリーバボー」( 19時57分~20時54分)にて嶌が1年半ほど前に上梓した「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」が紹介されます。

本書は一部の書店に今なお置いてくださっておりますが、多くの書店には在庫がない可能性もございます。通販で現段階で確実に入手できるのがジュンク堂様等のHonto角川様の直販サイトには在庫がございますので、そちらをご利用ください。
※それぞれ送料は無料。

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昨日番組スタッフの方より無事に編集が終わった旨を報告いただきました。

奇跡体験!アンビリーバボー」はビートたけしさんがストーリーテラーを務め、 剛力彩芽さん、バナナマンのお二人がレギュラーで出演されています。世界中の幸福な奇跡、常識や科学では解明できない超常現象、怪奇現象などアンビリバボーな話を97年10月からお届けされているご長寿番組です。

今回は春爛漫、桜にちなんだ2つの心温まるエピソードをお届けされる予定です。後半にて「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」に描かれているウズベキスタンタシケント市に現存するオペラ劇場「ナボイ劇場」の建設秘話の再現ドラマと主人公の永田行夫さんのご子息のインタビューやご遺族の資料、ウズベキスタンに咲く桜などが紹介される予定です。

京都府舞鶴市舞鶴引揚記念館の庭にはナボイ劇場を造られた第四ラーゲル会の皆様が帰国後植えられた八重桜の木があります。

今日の放送に合わせるかのように満開になったと舞鶴市の方よりご連絡がありましたので画像を合わせてお届けします。

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トップの画像は第四ラーゲル会の皆さんが舞鶴を訪れ、植樹した時に撮影されたお写真です。舞鶴市は景色が美しく、食事もおいしいのでぜひ一度足を運ばれることをお勧めします。舞鶴市に行かれた場合にはぜひ、皆さんが植えられた桜の木もご覧ください。

この桜の木の付近には、多くの抑留から帰られた方々が同様に桜を植えられています。

嶌が中央アジア文化交流ミッション第二弾 トルクメニスタンへ参加 『乙嫁語り』の漫画家・森薫様も同行

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スタッフです。嶌が国際交流基金(ジャパンファウンデーション)が4月19日より開催する、中央アジア文化交流ミッションに参加する旨が国際交流基金から発表されました。。昨年8月に開催された第一弾のウズベキスタン派遣に続き、第二弾の今回はトルクメニスタンへの訪問となります。

また今回、 19世紀半ばの中央アジア地域を舞台とした漫画『乙嫁語り』の作者である森薫様も同行されます。

今年4月22日に1992年に日本とトルクメニスタンが外交関係を樹立してから25周年を迎え、本ミッションの訪問中も幾つかのイベントが予定されています。また、近年は現地で日本語教育への関心が高まっており、首都アシガバット市内で日本語教育が行われている大学等を訪問し、今後の日本とトルクメニスタンの関係の更なる発展につき、調査・検討することを今回の目的としています。

中央アジア文化交流ミッション第二弾 実施概要
国際交流基金発表プレスリリースより抜粋)
【派遣国】 トルクメニスタン
【スケジュール】 2017年4月19日~24日(一部メンバーは23日まで)
【メンバー】 (敬称略、五十音順)
安藤 裕康(国際交流基金理事長)、河東 哲夫(Japan and World Trends代表)、コシノ ジュンコ(デザイナー)、小松 久男(東京大学名誉教授、東京外国語大学特別教授) 嶌 信彦(ジャーナリスト)、西原 鈴子(特定非営利活動法人日本語教育研究所理事)
※文化ミッションメンバーである中山 恭子・参議院議員及び矢内 廣・ぴあ㈱代表取締役社長は、業務都合につき不参加。
【同行者】 森 薫(漫画家)
【主な訪問先】(変更の可能性があります) 国立中央トルクメニスタン博物館、国立トルクメニスタン美術アカデミー、科学アカデミー言語文学研究所、歴史文化記念物保護研究修復局、オグス・ハン記念工科大学、アザディ名称世界言語大学、国際人文開発大学等 

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今回、同行される森薫様は19世紀のシルクロードを舞台とした大人気漫画「乙嫁語り(おとよめがたり)」の作者です。「乙嫁語り」は 2011 年にマンガ大賞 2011 の 2 位受賞、2012 年に第 39 回アングレー ム国際マンガ祭世代間賞、2013 年にマンガ大賞 2013 の 2 位受賞、2014 年にマンガ大 賞2014 で大賞を受賞されています。

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嶌が昨年中央アジアの魅力を講演した外務省主催の「中央アジア+日本」対話 10 周年の記念イメージキャラクターを手掛けられています。

トップ画像:Wikimedia commons

昨日のTBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』 ゲスト:将棋界の「レジェンド」加藤一二三様 音源掲載

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スタッフです。昨日放送されたTBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30-22:00)は、史上最年長棋士として現役を続けている将棋の加藤一二三九段をゲストにお迎えした音源が番組サイトに掲載されました。

子どもの頃、将棋棋士としてやっていく決意をしたきっかけや、当時の名人に掛けられた忘れられない言葉。棋士となってから、スランプに陥ったときの意外な対処法などなどにつきお伺いいたしました。

次週も引き続き加藤様をお迎えし、対局の流儀として、必ず食事にうな重を食べる理由や、棒銀戦法を40年間刺し続けても飽きない訳、対局中、5秒おきに残り時間を聴く理由。どんな相手を前にしても怯まない勝負師魂などにつきお伺いいたします。次週もお楽しみに。

以前お知らせした3月27日に放送されたNHK総合「ノーナレ」の再放送「諦めない男 棋士 加藤一二三」は全日本女子柔道選手権放送延長により残念ながら再放送は行われませんでした。ツイッター等でも再放送を切望されている方が多くいらっしゃいました。再放送されることを願っております。「ノーナレ」はナレーション一切なしの29分間の新しいドキュメンタリー番組です。 

加藤様が上梓された書籍の一部を合わせてご紹介いたします。 

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