時代を読む

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中央銀行の気骨と政治家

 昔の政治家は、たとえ自分より政治家として劣っていると思う人物が首相の座についても、必ず呼ぶ時は「総理」と呼んだものだ。昔から親しい時代の呼び方で「○○さん」などとは呼ばなかった。総理という座のもつ「権威」をおとしめてはならないという政治家としての礼儀作法だったと思う。

 

 ある時、某閣僚に「総理のことをいつもどう呼んでいますか」と問うたことがある。2人はいわば仲間内であり、某閣僚の方が年上だった。すると、ちょっと考えてから「総理と呼ぶこともあるし、昔ながらの呼び方で○○さんと名前で呼ぶこともあるな」と答えた。そこで私は失礼で、生意気とも思ったが「少なくとも2人以外の他人のいる時は、総理と呼んだ方がいいと思います」と述べた。2人は個人的な長いつきあいであっても、総理は一国を代表し頂点に立つ人物の公称だ。つまり機関のトップであり、どんな人物がその位置につこうとも機関の役割、使命、権威を尊重することが組織を維持するうえできわめて重要な約束ごとだと思ったからである。

 

 そうした趣旨のことを主張すると、某閣僚は「それはその通りだな。今後は必ず〝総理〟と呼ぶようにしよう」とうなずいた。某閣僚がいつまでも、総理に対し「○○さん」と呼ぶのを国民が耳にしていたら、総理と某閣僚が同列に見えたり、場合によっては某閣僚の方が総理より偉くとらえられるかもしれず、二重権力とさえ誤解されるかもしれない。

 

 私がこんなことを思い出したのは、先日の安倍首相、麻生副総理兼財務大臣、甘利経済再生担当大臣、白川日銀総裁らが並んで会見していた光景をみたからである。麻生さんに悪気はないのだが、例の調子でざっくばらんな物言いに終始し、甘利氏は二コリともせず聞き入る。白川氏が日銀の独立性や日銀法改正などへの姿勢について実直に語るという三者三様の光景だった。見ていて感じたのは、麻生氏が総理然として語り、白川氏が下僚のように見えたことである。白川氏は国際舞台に出ればアメリカに次ぐ大国の中央銀行総裁であり、その地位と権威は形式的には世界から一目も二目もおかれているはずだ。そんな立場を代表している人物であることを知れば、たとえ白川・日銀の方針に不満があろうとも公の場では、敬意を表した物の言い方をした方がよかろうと思った次第だ。

 

 かつて故前川春雄日銀総裁は国会の予算審議中にもかかわらず金利を変動させた。一度決まった予算案審議の最中に金利を動かすと、国債費などの数字が違ってくるので与党や予算当局は嫌がりタブーとされていた。しかし前川氏は、金融情勢の変化の中で、国会審議終了を待てば手遅れになるとみて決断したようだった。案の定、大蔵省や与野党はあれこれ嫌味を言ったと記憶するが、日銀の独立性を盾に初心を貫いた。気さくだが芯の強い前川氏の一面が遺憾なく発揮されており、メディアにも国際金融マフィアにも人気があったのはいざという時に〝軸〟のある姿をみせたからだろう。【財界 2013年3月12日号 第346回】

 

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