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時代を読む

ジャーナリスト嶌信彦のコラムやお知らせを掲載しています。皆様よろしくお願いいたします。

―仲代達矢氏が見せる風格― ぶれない軸で役者人生貫く

f:id:Nobuhiko_Shima:20131022124622j:plain  先日、能登半島・七尾市中島町の「能登演劇堂」に行ってきた。俳優・役者の仲代達矢さん(80)が率いる「無名塾」の「ロミオとジュリエット」の50日ロングラン公演を鑑賞しに行ったのだ。午後7時を過ぎると道路にほとんど人影が見えなくなる過疎地域だが、私が行った日は600席の劇場が満杯。聞くと地元の人だけでなく全国から大型バスなどでファンがやってくるそうだ。

 

 無名塾俳優座の劇団員だった仲代さんと同じ劇団仲間だった故宮崎恭子さん夫婦が1975年に若手の役者育成を目ざして創設した演劇塾だ。2年間にわたりみっちりと演技作法や発声、歩行、体づくり、古典などの勉強も行なう。卒業すると、後は無名塾の公演に参加したり、演劇、映画、テレビなどの道へ自らが挑戦してゆくことになる。卒業生には役所広司78年入塾、2期生)、益岡徹80年入塾、4期)、若村麻由美(85年入塾、9期)、真木よう子滝藤賢一98年入塾、22期)など個性的な役者が多い。東京・用賀に私財で稽古場を建設、95年に能登半島に地元と一緒になって演劇堂を作っている。

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         ※講演パンフレットより掲載

  

 仲代さんの人生は20代初めまでは貧乏のどん底の中で生活、定時制高校を卒業した後は一時競馬場の警備員をしていたという。20歳で俳優座養成所に入塾してからあの個性的な眼と声、大柄で細身の体つきが黒沢明小林正樹木下恵介らの名監督を魅了し「用心棒」「切腹」「人間の条件」などに出演し瞬く間にスターとなる。しかし「1年の半分は演劇」と定め、大金を積まれても映画会社との専属契約をせずフリーの道を歩み続けた。当時は映画大手5社と専属契約を結ばないと映画出演が難しい時代だった。ある社は「家を建てるからウチと契約しないか」などの提案だったが、揺るがなかった。恭子夫人とともにカネや名声への欲を断って役者人生と若手育成に心血を注ぐのだ。そのぶれない生き方が現在の風格をつくり出しているのだろう。

 

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  シェイクスピアの演劇は欧州の古典で、日本ならさしづめ歌舞伎だろう。修飾語が多く長い節回しの台詞が続くとついていくのに苦労し、お年寄りは大丈夫だろうかなどと変に気を回したりしてしまう。しかしベテラン陣が出てくると声の高低や間のとり方、アクセントのつけ方などが違うせいか、俄然聞きやすくわかりやすくなる。仲代さんは後で「芝居の真髄のひとつはわざです」と述べていたが、なるほどと合点がいった。

                        ※講演パンフレットより掲載

 舞台は後半に入ると急テンポになり、神父役の仲代さんがあちこちと歩き、跳ねまわりながらロミオを奮い立たせる。その抑揚の効いた説得の場面はとても80歳とは思えない動きと張りのある声で会場を圧する。そして突然舞台後ろのカベと思われていた所が観音開きのようにしてあくと、冷気がビューッと場内に入り、そこに忽然(こつぜん)と林、その奥に森と山が見え、松明を掲げた兵士たちが舞台に流れ込んでくる。一瞬の間に野外と舞台が一体化するのだ。最初はCGを作ったもので、目の錯覚かと思ったが、本物の林、木々で、日本にこんな野外劇場のような装置があったのかと仰天する。マクベスなどの演目の時は本物の馬数頭が野外から出てくるというから、さぞかし迫力があり客達は肝をつぶすことだろう。

 

 

 カーテンコールが鳴りやまず3度目に登場した時に、ようやく仲代さんが笑みをもらし場内にも安堵感が広がった。私はずっと仲代さんの神父役演技に気を取られていたが、最後の笑みを見た瞬間、「そうだ、ただ神父役を演じただけではない。無名塾塾生を引き連れ、この演劇堂の装置、空間などをつくって中島町の人々と約40年もつきあって築きあげたその全ての結集に仲代夫婦がいたのだ」と思い至ると、突然私の胸に込み上げるものが湧いてきた。政治家、経済人らの中で80歳過ぎてなお溌剌としている人は極めて少ない。役者人生一筋で他に何も求めない求道者のような顔、姿に何ともいえない深みを感じた。

 

 会場を出ようとすると、地元の観客の1人に「どうでしたか?」と声をかけられた。その問いには”どうだ、こんな地方にあっても素晴しい文化的土壌が息づいているのだ”という誇りのようなものが感じられた。