時代を読む

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男一代の夢とその果ては?

 堤清二辻井喬さんが亡くなった。86歳だった。最後まで経済、日中関係、政治、文芸・文化などについて発信していた稀有な知識人・経営者だった。経営者としては、1954年に入社した西武百貨店を若者にアピールする最先端デパートのイメージに変え、ファッションビル「パルコ」や生活雑貨の「無印良品」、スーパーの西友、コンビニのファミリーマートなどを中核とする流通・生活総合産業を築きあげた。この他ホテル、都市開発、レジャー、金融・カード会社など人間の生活の臭いのする分野には次々と事業を広げた。

  一方、詩人・作家・文化人としては詩集『異邦人』、小説『彷徨の季節の中で』などの作品を次々と発表するかたわら文化事業の総帥として、セゾン劇場などの演劇文化、セゾン美術館、八ヶ岳高原ロッジを中心とする音楽祭、シネセゾンの映画館なども経営し、大岡信三島由紀夫、安倍公房、武満徹田中一光土方巽などの後援者となり、現代芸術を支援してきた。

 

 さらに父親の堤康次郎が鉄道王であると同時に衆院議長をつとめる大物で、一時その秘書をつとめたことから政界の重鎮とも交友があった。また堤清二自身は学生時代を学生運動に身をこがす青年で、左派系の社会党、共産党の指導者や左翼浪人として親しまれた安東仁兵衛氏などその交友範囲はただならないものだった。中国との関係も長く深く、日中文化交流協会の会長もつとめた。とにかくこんなに幅広く、様々な領域、思想などの違う人々とつきあい、敬意をもたれていた人はほとんど例がないのではないか。

 
 しかし堤清二氏の原点は、怪物康次郎氏の嫡男に生まれたところにあったように思う。父親とは決して肝胆相照らす仲にはならず、むしろ反発する間柄だったようだ。西武の本流の鉄道部門を異母弟の堤義明氏に譲り、清二氏には池袋のボロ百貨店を譲られただけだった。そこで清二氏の闘志に火がつき、日本一の百貨店にしてみせると、時代の消費文化の行方を的確に先取りしながら老舗とは違う若者向きの百貨店を作る。念願の銀座(マリオン)にも進出、高度成長、バブル期はまさに〝西武王国〟は、義弟の鉄道部門より清二氏の生活、総合文化産業の方が輝いていた。しかしバブル崩壊とともに経営分野の方は雲散霧消していった。

 

 清二氏は地味に見えるが、経営の多角化に向けては優秀な官僚や経済人、文化人などを取り込み縦横に活用した。そして賞味期限が過ぎたとみるや見切って、放り出すという冷徹な合理性も持ちあわせていたようだ。スカウトされた何人かは「グループ定例会議では各トップが堤氏の質問に戦々恐々としていた。スカウトされる時は人間的なことも聞かれ、自分は信頼され親しまれているんだなと思っていたが、グループの中に入ってしまうと個人的なことはほとんど覚えていないようだった。だから業績が悪くなると、スカウトの時の経緯など忘れてお払い箱になった幹部は沢山いました。オーナーとはそういうものなんでしょうね」と聞いたことが何度もあった。すべてにわたり栄枯盛衰の激しい個性的で面白い人物だった。【財界 新春特大号 第366回】

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