時代を読む

ジャーナリスト嶌信彦のコラムやお知らせを掲載しています。皆様よろしくお願いいたします。

「大山の父」と農業の力

  先日、大分県日田市の有名な大山町農協のウメ祭りに行ってきた。地元市民や市長、企業、農業関係者のほか新華社通信の記者、重慶中国料理店など多種多彩な人たちが数百人も参加していた。

  私が大山町のとんでもない”革命”とそれを導いたリーダーのことを聞いたのは10年以上前のことだ。まだ大山村といわれていた昭和361961)年に村長で農協組合長だった矢幡治美さんが突然「馬、牛、コメを捨てウメ、クリ作ってハワイへ行こう」と村民に呼びかけた。山間の斜面などにコメを作っても労働が厳しいだけで決して豊かにはなれない。それなら果樹育成で付加価値をつけて売ればコメ以上に収入が増えるし労働も少なくなると説いたのだ。
 

 最初はみんな半信半疑だったし、当時はコメ作りは国、県や農協の至上命題だったから「コメ作りをやめる」とは、おカミに楯つくことを意味した。実際、以後補助金などは全てストップした。矢幡さんはその後ウメ、クリだけでなくスモモ、ブドウ、銀杏、ゆずなどを奨励、さらにシイタケ、エノキ、ナメコ、ハーブ、薬草なども提案してゆく。重厚長大の一俵単位の商品からg、㎎と軽薄短小に作物を変えたのだ。労働は楽だし付加価値が高く収入も伸びた。サラリーマンのように毎月収入が入る仕組みを作り、週休3日制も実現、7年目にハワイへ行った。以来昨年まで約40回のハワイ旅行を行ない、ヨーロッパ、アメリカ、アジア、イスラエルなどにも足を伸ばしている。

  いまや矢幡氏の精神と経営手法、研究心を矢羽田正豪組合長が受け継いで大山町に根づかせている。大山町の農地は全部で350㌶、1戸平均0.5㌶で1千戸(農家は600戸)、3200人が住む。1次産品だけでなくジャム、パン、ジュース、漬物といった100アイテムの2次加工工場があり有機堆肥「養土源」も生産している。また木の花ガルテンと呼ぶレストラン、バザールも福岡や大分などに9店舗をもつ。今はやりの農業の6次化(生産・加工・流通)や”道の駅”などの発祥地の一つでもある。1世帯当たりの収入は数百万円から一千万円以上、農家の嫁不足もここでは無縁という。
 

 耕地、立地、天然資源にも恵まれなかった山村が豊かに生まれ変わったのは、信念をもった研究熱心なリーダーと若者や主婦達が共感し夢をもって進んできたからだと2代目の矢羽田さんは言う。確かにレストランで料理を作るおばちゃんシェフ達やバザールに品物を持ち込むおじいさん、おばあさん達はみんな明るい。農協に持ち込んだ品物はイナゴだろうとトンボ、カブト虫だろうと全部買い取りガルテンで売る。バザールの売り上げは年間20億円を越え購入者は270万人、出荷登録者は3400人にのぼる。
 

 大山町ではいま6万坪の里山200余種類の花、木々を植える「五馬媛(いつまひめ)の里」を作り、古墳時代からの歴史を感じてもらいつつ、都市と農業者、世界との交流の場を作りたいと10年計画がスタートした。官に助けを借りず自立した精神は今も脈々と息づいている。初代八幡氏のことを地元の人は「大山の父」と呼んでいる。
下野新聞 2014年4月7日掲載】