時代を読む

ジャーナリスト嶌信彦のコラムやお知らせを掲載しています。皆様よろしくお願いいたします。

首脳会合の裏側

 11月前半は、アジア太平洋地域で様々な首脳会合が続いた。APECASEAN、G20首脳会議などで日本の安倍首相はそのすべてに参加していた。

 私もこれまでにサミットをはじめIMF、気候変動会議など国際会議の現場を数十回にわたって取材し立ち会ってきたので、いまだにテレビに映る首脳たちの立ち居振る舞いや表情、共同声明の文言の使い方などが気にかかる。

 今回の一連の会議で注目されたのはいうまでもなく習近平・中国国家主席の言動だ。自ら各国を訪問する首脳外交は何度も経験しているが、沢山の国を招いて議長として国際会議を仕切る舞台となると、様相はまったく異なる。今回の中国は、どうやら国内向けに”大国”の有り様を宣伝することに最大の重点を置いたように見える。

 首脳たちの車列は、レッドカーペットの上を走るように光の演出をしたり、沿道の歓迎風景や花火、中国の芸能の華やかな披露など、まるで北京オリンピックの再現を見ているようだった。オバマ米大統領との合計10時間にも及ぶ二国間会議の演出は、中国のめざす”新しい大国”の関係を国民に実感させたかったのだろう。そのとばっちりか、日本との会議はわずか30分足らずで、両首脳の握手の途中で目をそらすなど日本を”上から目線”で見下す姿勢も露骨だった。さすがにあの映像、写真を見た人々は、むしろ中国の器量の小ささを感じたのではなかろうか。

 国際会議の見所は、演出よりも国際社会の問題をどの優先順位でどのように、いつまでに解決してゆくかの工程表について多国間の合意を取りつけることにある。各国の思惑、利害は異なるので事前に事務レベルで入念な話し合い、共同声明の中味やその微妙な言い回しをどんな外交用語で表現するか、が勝負なのである。

 過去のサミットなどでは、シェルパと呼ばれた首脳の個人代表が年に何度もテーマの設定や共同声明の文案調整までして本番の首脳会議にあげたものだ。事務、シェルパレベルで調整のつかなかった問題を首脳間で詰めるのだ。議長の首脳に力量がないと両論併記のつまらない首脳会議になってしまう。そこを避けるために首脳同士が表の会議とは別に裏で個別会談行い、落としどころ、妥協できる文案などを探るのが首脳外交裏舞台の面白いところだった。

 しかし、ここ10年来の首脳会議はすっかりつまらなくなり、世界をリードできる声明をまとめられないケースが多い。個性豊かで、自国と国際社会の利害を考慮して大胆に妥協、折り合いをつけられる政治家が減ってしまったからだろう。大国・アメリカの世界支配力は見る影はないし、新興国・中国やロシア、インド、ブラジルなどもまだまだ国内が安定せず、国内向けパフォーマンスや演出ばかりを気にしているように見える。これでは実のある国際的な課題に対する解決策やスケジュールも出てこない。

 もう一つは、首脳たちのキャラクターだ。国際会議は必ずしもGDPや人口、軍事力の大きさなどが発言力に反映されるわけではない。首脳同士の小さなテーブルを囲んだ話合いになると、首脳たちの発する言葉の迫力、論理、ちょっとしたユーモア、人間としての懐の広さ、器量などが案外モノを言い、会議をリードすることが多い。初期の頃のサミットではシュミット独首相、ミッテラン仏大統領、レーガン米大統領、サッチャー英首相などが存在感を示し、残念ながら日本はGDP第二位の大国であっても主導権をとる場面は滅多になかった。いわば首脳会議の成否は首脳たちの人間力に負うところも多かったように思う。

 今回の一連の首脳会合は、見かけは映像で世界に流され派手に報じられたが、終わってみると大動乱時代から脱する糸口はやはりつかめなかったのではないか。

【電気新聞 2014年12月3日】