「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」~日本人捕虜抑留秘話 その1~
スタッフです。
9月30日に発売したノンフィクション「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」(角川書店)はおかげさまでだいぶ認知が向上してまいりました。
昨日安倍首相はウズベキスタンを含む中央アジア訪問から帰国され、注目が集まっている地域でもありますので、嶌が本に書けなかった裏話や秘話を記したブログを不定期でお届けすることにいたしました。末永くお付き合いいただけると幸いです。
「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」
~日本人捕虜抑留秘話 その1~
極楽ラーゲリと戦友
「われわれのいた収容所(ラーゲリ)は、他所のラーゲリの話を聞くと極楽だったかもしれないな」「そう、オレも極楽ラーゲリだったと他から帰ってきた戦友には言っているんだ」
ウズベキスタン(当時はソ連領)の首都タシケントの第4収容所に抑留された”第4ラーゲル会”は、毎年1回日本の温泉で会合を開くことになっていた。収容所で顔なじみだった昔の仲間が温泉に泊まり、ひと晩宴会を開くのだ。
苦しかった労働ノルマの話や粗末でいつも腹を空かしていた頃のことを語り合い「温泉で刺身が食べられる日が来るなんて夢にも思わなかったなぁ」とみんな口々に顔をほころばせる。一緒にチームを組んだ仲間と昔話に花を咲かせる。数年も経つと、同じような話が何度もでてくるのが、生死を共にして日本への帰国を夢見ていた頃のことを思い出すと、同じ話になっても、みんな笑いながらまたちょっと新しい思い出を付け加えるという具合で話の種は尽きなかった。
※画像は若松律衛様ご家族提供
わきあいあいの戦友会~第4ラーゲル会~
満州からソ連へ抑留された人の多くはシベリア送りとなりその数は50万人とも60万人ともいわれた。戦後はシベリア帰りの兵隊たちの悲惨な話がいくつも伝わり、何冊かの本にもなっていた。しかし中央アジアへ連行された抑留の話はほとんど知られず、特に”極楽ラーゲリ”のようなところがあったなどといった話は世間に全く伝わっていなかった。また第4収容所の人々は、シベリア抑留の悲惨な話を聞き知っていたので、自分達の恵まれた収容所生活のことを自ら話すことははばかられていたのだ。だから第4ラーゲル会の年1回の集まりには、誰に遠慮することなく昔話を語りあえたのである。
このラーゲル会は抑留から帰ってきた1949年の新年に第1回、1952年の新年に第2回、1970年以降は毎年、隊長だった永田行夫氏が亡くなった2010年まで行なわれた。私も何度か出席させてもらったが、まさに和気あいあいの戦友会だった。
※画像は永田行夫様ご家族提供
先達が魂を込めたウズベキスタンの四大オペラハウス~ナボイ劇場~
このラーゲル会が長年にわたって続いたのは、ソ連の四大オペラハウスといわれるタシケントのナボイ劇場を後々の日本人が恥をかかないよう魂を込めて建設した思いがあるからだ。その話を9月末に角川書店から「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」と題するノンフィクションとして上梓した。資料やインタビューが沢山残っているので、今後この様に”余話”を書き綴ってゆこうと思う。
よく知られたシベリア抑留とは異なる波乱万丈の建設の物語で、捕虜たちは完成した時にロシア人にもウズベク人にも感謝されたという奇特な胸暖まる話である。
なお、アマゾンの二つの分野で10位前後まで売れ行きを伸ばしているようなのでもうひと頑張りしたいと思っている。(今後に続く)