時代を読む

ジャーナリスト嶌信彦のコラムやお知らせを掲載しています。皆様よろしくお願いいたします。

3日のTBSラジオ「日本全国8時です」の内容~かつての日中国交正常化からみる今の日中韓~

スタッフです。
3日の「森本毅郎・スタンバイ」の「日本全国8時です」の音源が掲載されました。要約は以下の通りです。

テーマ:日中交渉でみる、外交と対話。いかに今、対話がないか・・・

まず、先週告知した嶌の本に沢山反響があり森本様がよれられたコメントの一部を紹介下さいました。

神奈川県相模原市 上野澄子様 
私の父もナボイ劇場建設した捕虜の一人。

東京都立川市 木本雅義様
お父さんが3歳の時亡くなられたが日記が残っていて、その日記を読んでみると捕虜たちでなにか作ったと残っており、ひょっとしたら私の父もこのオペラハウスを作ったのではないかと想像しました。

 

今回は、日中韓首脳会談がありそれにふれて、嶌は日中交渉を70~90年代取材に中国にも何度か行っている。日中交渉はいつも難しくて、ただ政治家が行き話をしても解決しない。一番初めの日中国交正常化交渉の時は高崎達之助氏らの民間人や野党の公明党が相手の話を探るなど、準備をしながら日中双方の外務省 事務局の話があってようやく首脳会談に持っていくというのが今までの流れ。

これまで一番印象強いのはこの70年代の日中国交正常化交渉。日本は早く国交回復をしたかったが、当時はまだ冷戦状態でアメリカが同意しなかった。しかし、アメリカは一足先にニクソン元大統領が訪中し、先に米中冷戦を終結したことで、日本もあわてて動き出したのがきっかけ。この当時の日本の総理は田中角栄氏。この時の大きな問題は尖閣問題をどうするかということだったが、尖閣は難しい問題なので日中双方の事務方レベルでは交渉には出さないということになっていた。しかしながら田中氏が突然周恩来氏に「尖閣はどうしますか?」と聞いたことで、周氏は驚き「尖閣については話したくない。今話すのはよくない。」と終えた。

この時もう一人驚いたのが当時外務大臣だった大平氏。一緒に交渉に同行しており日中国交回復に命をかけ、いろいろと調べ、最終的には3日目の万里の長城訪問の際に中国の外務大臣であった姫鵬飛氏の車に乗り込み車中会談の中で「私たちはこれに命をかけてやってきている。尖閣問題を出したけれどもきちんと話合いましょう。私も日中戦争の時大蔵省の人間だったけれども鉄砲をもったことはないし、田中総理も中国に連れていかれたが鉄砲をうったことはない。お互いに日中をなんとかしたいと思っている。昨日突然田中総理が突然尖閣の事を言い出したけれども、これをまとめないと私は日本に帰れない」ということを盛んにといた。

大平さんは口は重いが、しゃべることに関しては誠実さがあるから心を打つのだと思う。これが有名な車中会談である。翌日の首脳会談で双方とも尖閣の話題は出さずに将来に任せましょうということになる。ハプニングはあったものの大平氏のおかげで収まった。

※『NHKスペシャル 周恩来の選択 日中国交正常化はこうして実現した』(c)NHK 『NHKスペシャル 映像の世紀』(C)NHK 

これまで難しい問題は野党、民間人などさまざまな人たちが首脳会談を盛り上げるために努力をしてきた。これが非常に大事なことであると同時に、首脳同士の性格によることも大きい。今回の日中韓の会談を見ていると習近平国家主席朴槿恵大統領、安倍首相は肝胆相照らすという雰囲気は見えてこない。それは長く付き合っているからそのようになるということではないし、一度会っただけでもこの人とは気が合いそうだなというとそうなることもある。

そのことで大平氏周恩来氏に信用され、胸に飛び込むことによって自分の過去の経験、経歴を言い、自分はこれにかけているんだ、これが上手くいかなかったら辞めるんだという熱意が伝わった。
※画像は生前の大平氏

平氏はその後総理大臣になったが、就任してからも中国との関係は良く、車中会談を契機に中国に日本語学校を作り、日本語学校を卒業した人たちがその後の日中関係に大きな役割を果たし、今なお続いている。大平さんは偉業を残していると言える。

※画像は 国際交流基金サイトより
1979年の大平正芳首相(当時)と華国鋒主席(当時)の合意に基づいて設立された「日本語研修センター(通称「大平学校」、1980年設立)」の後を受け、国際交流基金(ジャパンファウンデーション)および中国教育部双方の協議により85年に北京日本学研究センターとして現在は引き継がれている。大平学校の卒業生としては日本でジャーナリストとして活躍している知日派莫邦富氏などがいる。

 大平氏が中国に行かれた時に大平氏に可愛がられていた加藤紘一氏が同行し、大平氏のメッセージを中国語で代読したことがあり、加藤氏は当時官房副長官だったが通訳に間違われたことがあった。加藤氏は外務省の中国担当で、中国語が堪能で、その後は役職が分かり引退してからも中日関係のパイプ役となっている。このことからも外交はいかに人間関係が大事であるということがわかる。

しかしながら、今の日本と中国、韓国、アメリカとも民間人にも政治家のなかにもなかなかパイプとなるような人はいない。日本の外交は確かに50数ヵ国まわっているが、本当に腹を割って話せる人がどれだけいるのかというのが外国との厚みになるのでは。今回、日中韓の首脳会談が終わっても会見内容は出てこないので、心をちゃんと開く場が欲しい。これは人間同士の話になってくるのではないか。日本の政治家にも腹芸をできる人がほしいものだとつくづく思う。

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