信念と地道な努力の二人
祖母は「智、一番大事なことは人のためになること。これは心がけなさいよと、繰り返し言われ続けました」。
ノーベル医学生理学賞を受賞した大村智さん(80)は決して世にいうエリートではない。地方の山梨大学学芸学部を卒業後は都立墨田工業高校の定時制の教員をしながら東京理科大大学院を卒業、その後北里研究所に入所する。研究法も実に地味で、大手製薬会社は百万種以上の化合物をそろえ、目的の性質をもつかどうかを機械で自動的に試すが、大村さんはゴルフ場近くの土に含まれていた放射菌(細菌)の中から抗寄生虫薬イベルメクチンの元となる〝宝物(物質)〟を発見。合成された化合物を元にした薬の生成が主流だが自然界を相手にして〝砂山から砂金〟を探すような地味な作業から、アフリカなどで3億人を救っている新薬の発見につなげたのだ。
※画像は大村氏のホームページより
物理学賞の梶田隆章さん(56)も地元の埼玉大学の出身者だ。弓道部副将をつとめ、とにかく一途な学生だったという。素粒子のニュートリノに質量があることを示すニュートリノ振動を発見し、ノーベル賞受賞となった。「検出するニュートリノが理論的に予想されている数より少ないという異常な観測データを見つけ、それをずっと追いかけていったことが功を奏したのだろう」と語っているが、発見してから17年もデータの証拠を積みあげていったというから、やはり大変な根気と地道な研究の結果である。
※画像は 東京大学宇宙線研究所のホームページより
二人は、とても謙虚な人柄のようだ。先人の研究や周囲の人々、学生たちの協力があったからだと、まず支援してくれた人に謝意を表している。二人に共通しているもうひとつのことは、研究のために信念を曲げなかったことだろう。梶田さんは「私はひらめきでみつけたとは思っていない。事前の研究があったから、おかしいと理解できるだけの準備があって、それを追い求める証拠をコツコツと積みあげた結果だと思っている」といい、大村さんも当時の日本では産学連携に批判的空気が強かったが「日本の研究費ではとても足りない時に自分で発見して相手を説得する材料をもっていたから米国の会社が協力してくれた。研究を進化させるためには産学連携が効果的なこともあるはずだ」とあくまでも研究実績をさらに社会に役立たせたいとの思いから出発している。
いま地方大学は研究費や研究者の数も減少しつつある。そうした時代環境で地方大学出身者からノーベル賞受賞者が出たことは、今後の大学育成に新たな一石を投じるだろう。また名門の北里研や東大が実績を重視して二人に所長職を開放したこともうれしい驚きだ。官僚的、権威重視の大学が実績や人間性などから人材を育てていこうとする姿勢に好感がもてる。
【財界 2015年11月17日号 第411回】