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時代を読む

ジャーナリスト嶌信彦のコラムやお知らせを掲載しています。皆様よろしくお願いいたします。

10日のTBSラジオ「日本全国8時です」の内容~郵政民営化から振り返る民営化~

スタッフです。
10日の「森本毅郎・スタンバイ」の「日本全国8時です」の音源が掲載されました。要約は以下の通りです。

テーマ:郵政3社上場。民営化の歴史を作った2人と郵政の差は・・・

郵政民営化の本格的第一歩となる郵政グループの上場が今週の大きな話題。ゆうちょ銀行、かんぽ生命、日本郵政の3つに別れ3社合計で時価総額は17兆円。初値が売り出し価格を日本郵政は231円、ゆうちょ銀行が230円、かんぽ生命が729円それぞれ上回りまあまあの滑り出しとなった。

民営化ということでいえば、かつては「国鉄」「電電公社」があり私は共に取材してきた。国鉄電電公社は若干違うが、まず国鉄は赤字続きで民営化しないとやっていけないというところまできていた。今のJR7社(北海道、東日本、東海、西日本、四国、九州、貨物)に分割し1987年から民営化となった。民営化の大きな理由は70年から80年代にかけて国の補助金(85年 6000億円)を投入しても2兆6000億円を超える赤字で破綻状態に陥ったのを立て直すことを目的に中曽根内閣が民営化をすすめた。国鉄の内部で民営化を訴える声が出ていてその中心人物となったのはJR東海の名誉会長を務める葛西敬之(よしゆき)氏。

 ※画像はJR東海サイトより

私は直接何度も話を聞いたが、葛西氏は反対しても断固としてやる抜くという芯の通った人物。他にも後にJR東日本会長となった松田昌士氏と後にJR西日本会長となった井手正敬氏が国鉄改革3人組といわれており、葛西氏は国鉄民営化当時、局次長だった。このまま赤字経営が続くのは国にとってもよくないと訴えたが、国の機関であればずっと生きながらえると国労国鉄労働組合)や動労国鉄動力車労働組合)から民主化反対が起こった。特に動労は反対し電車を止めたことにより、首都圏の国鉄が朝のラッシュ時に数時間歩き民間鉄道や地下鉄を乗り継ぐ人々の光景を私は覚えている。

当時、国鉄内には戦う国鉄労組と民営化をすすめる人たちとの激しい戦いがあった。葛西氏に対して「オレは二度とお前とは口をきかない。後は戦場で交えよう」という電話があったり、勤務予定の動労組合員30名が次々と「頭が痛い」「腹が痛い」といって欠勤申請してきた為代理を調整していると、急に「病気が治ったから明日は出勤できる」と経営陣を翻弄したこともあった。

他に聞いた話で印象的だった闘争は、葛西氏が民営化をするよう説得しようと小料理屋に呼んで個室で話をしていた際に、料理を運ぶ人に扮して写真を撮影していてその写真をばらまかれたということもあった。

本当に国鉄民営化は大変で、その後葛西氏は「地図のない所を歩いていた。遠くの山の頂が見えていたが、道は雪や雨に閉ざされていたが、そこをうつむきながらとにかく歩き続けた」というような印象を持ったと語っている。

その後民営化は成功したが、国鉄改革3人組はJR東海、東日本、西日本のトップにつくがその3社の間がうまくいかなくなった。しかしながら、利用者のサービスは向上し、運転本数が格段にアップ、お客様への対応が格段に改善、結果としてみると事故件数も88年900件だったものが2005年には455件とゼロではないが減少し改善。さらにJR7社で05年度には約5000億円の経常黒字を出し、民営化の効果が出てきて国鉄の民営化は成功したという総括を受けた。

そして、電電公社の民営化といえば真藤亘(しんとう わたる)氏。強烈な個性の持ち主で、石川島播磨工業からただ一人で落下傘で飛び降りたというような感じだった。前職で造船不況で経営が悪化した際には徹底した合理化を行なったことから「ドクター合理化」の異名をもつ。

電電公社の民営化は経営陣も反対していたが、81年に民間人として初めて電電公社の総裁に就任し、国民がわからないような「電電言」を使うな普通の言葉で言うべきと言ったり、職員が30万人いるため一つ一つ訪問するのは至難の業だったためテレビやラジオを使って、一般の国民にも民営化を訴え、民営化をすすめていった。

二つの民営化をみると強烈な個性の人が押しすすめてきた。郵政は西室氏が進めているが、手紙を全国に配らなくてはいけないという問題もある。かんぽ、郵政、ゆうちょ、3つに分かれているが日本中に網羅している配送ネットワークは物流、ITの拠点になることをうまくどうやって改革していくのかがこれからの大きな課題となるように思われる。郵政は人数も多く、合理化、機械化の問題も出てくる。民営化の流れはいいがその先はまだ前途多難である。