1月21日日本記者クラブ会見レポートを寄稿、ウズベク 日本人抑留者資料館館長のインタビューや来日の模様が今夜NHKで放送
ウズベクで日本人抑留者資料館を自主運営
ウズベキスタンには、第二次大戦の敗戦後の1945年から49年にかけて約2万5000人の日本人捕虜が満州などから強制連行された。その日本人抑留者の歴史を伝えるため、私費で調査を続け1998年に「日本人抑留者資料館」をタシケントの自宅の庭に開設したウズベク人がいる。ジャリル・スルタノフさん(72)だ。その事実を知って駐ウズベキスタン大使の加藤文彦氏が昨年、外務大臣表彰の感謝状を贈り、さらに昨年10月に安倍首相一行が中央アジアを訪問した際にスルタノフさんと面会、日本への訪問を招待した。スルタノフ氏とご家族ら3人は、初めて憧れの日本を訪問し各地で講演や交流を深めた。
スルタノフさんが日本人に興味をもったのは、14歳の頃、近所の年輩の方が日本人の敷設した高圧の送電線の話や高所で危険な仕事をしていたこと、ウズベキスタンの各地で今も残る重要な施設を作ってくれたこと――などを聞くうちに、日本と日本人の事を調べるようになった。タシケント工科大学を卒業した後もその日本人の歴史を伝えることは、自分の重要な役目だと考え、今日までウズベキスタン各地に出向いて調査してきたという。
※画像は日本記者クラブ
左よりスルタノフ氏、川戸惠子氏(司会/TBSシニアコメンテーター/日本記者クラブ企画委員)
当初は日本人のことを調べることは不可能に近かった。しかしウズベキスタン独立(91年)後は、アーカイブ資料や残された史実、目撃者の証言を集めるという活動を長く続けてきた結果、資料館を作るまでになった。
今は、かつての日本人の暮らしぶりなどを知ってもらえる展示をしている。それらを見るとウズベクに滞在した日本人は実に様々な職業をもた人がたくさんいたことがわかるし、日本人の慈悲や情け、思いやりのエピソードもたくさんあるので、ぜひウズベクに来られた時には見学してほしい。ただ、812人の日本人がウズベクで亡くなられたことにも思いをはせ、それらの方々に敬意を表してほしいと思う。そしてウズベキスタン国内にある日本人墓地を大切に手入れをし、維持、管理していることも知ってほしい。今は資料館の拡張を続け、現代日本を知る研究センターを併設し、両国の友好を固いものにしたいと願っている。 【日本記者クラブ寄稿】
今回来日されたスルタノフ氏ご一家、左からお孫さん、スルタノフ氏、奥様
会見の動画
当日の会見につき、時事通信が報じています。
・抑留者造った施設、今も稼働=旧ソ連ウズベクの資料館長来日ら
また、スルタノフ氏の来日関連情報として以下のニュースが報じられております。
24日舞鶴訪問の様子
・ウズベクの資料館長、舞鶴へ 元抑留者らと交流 /京都 (毎日新聞)
・ウズベキスタンの館長が舞鶴に(NHK京都放送局)
情報の公開が終了
なお、本日のNHK BS1「国際報道」(22時から)にてスルタノフ氏のインタビューや私が会長を務める日本ウズベキスタン協会のイベントの模様や舞鶴市訪問の模様が紹介される予定です。