時代を読む

ジャーナリスト嶌信彦のコラムやお知らせを掲載しています。皆様よろしくお願いいたします。

カタールの嵐

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 中東・湾岸地域の情勢は、ちょっと目を離すと複雑化、混迷化し、わけがわからなくなる。最近の注目はカタールだ。

 カタールアラビア半島東部に位置しサウジアラビアからアラビア湾に突き出ている秋田県並みの面積を持つ小国。日本人には1993年のサッカー・ワールドカップアジア予選で、勝てばW杯初出場が決まるイラク戦で時間切れ寸前にゴールされた“カタールドーハの悲劇”が今も語り継がれている。天然ガスの確認埋蔵量では世界3位、日本のLNGガス輸入相手国としても3位の親日国だ。アラビア語圏では大きな影響力を持つ放送局アルジャジーラの本社があることでも有名だ。

 そのカタールが6月、サウジアラビアバーレーンアラブ首長国連邦など湾岸3ヵ国とエジプト、イエメン、モルディブなどイスラム圏計6ヵ国から断交を宣言された。6ヵ国はカタールによるテロリストへの支援やイランとの友好関係を理由にあげており、特にイスラム主義組織「ムスリム同胞団」やイスラム国を支援していると批判しているようだ。

 カタールアラビア湾を隔ててイランの真向かいに位置し、安全保障の上からイランと友好関係を保ちたい事情があるとみられるが、現在イランとサウジアラビアは断交状態にありカタールは板ばさみ状態に陥っているのだ。

 もともとペルシャ湾岸地域の中東諸国は、米・英・仏などの欧米諸国と友好関係にあった。70年代の石油危機が起こるまでは欧米資本のエクソン、シェル、シェブロンなど“セブンシスターズ”と呼ばれる大手メジャーが採掘、生産、輸送、精製、販売に至る全段階を垂直的に握り、中東産油国などを牛耳っていた。

 それが70年代の中東戦争イラン革命などから中東産油国が石油利権を取り返し、消費国に直接原油を売り始めるようになる。特に60年代に創設した石油輸出国機構(OPEC)が70年代に入って実権を握るようになってからは価格決定権や販売権まで握り、90年代まではメジャーに代わりOPECが実質的支配者になっていった。

 しかしOPECの中も一枚岩で協力する体制を作れず、年が経つにつれ内部分裂、抗争が激しくなってきたのである。まずペルシャ系の大国イランが、イスラム原理主義的な立場をとり、核開発などを目指すようになってきたため、アラブ諸国や欧米資本との対立が激しくなってくる。イランと大規模な石油化学プロジェクトを推進していた日本は、仲介役を期待されたが手に負えず、結局イランから手を引くのだ。しかもイランとイラクが油田を巡って戦争を始め、イラクフセイン大統領が中東の盟主になろうと野心を持ったことから中東全体を巻き込む湾岸戦争にまで発展する。

 一方で、チュニジアから起きた“アラブの春民主化運動(ジャスミン革命)は、中東の大国・エジプトのムバラク政権やリビアカダフィ政権を倒し、さらにシリア、イエメンなどにも波及していった。そこへイスラム原理主義を掲げ、国境を越えたイスラム国の設立を目指すイスラム原理主義運動やトルコ、イラク、イランの3カ国にまたがるクルド人の建国運動も絡んで、いまや中東は大動乱時代に陥っているのが実情だ。

 しかも新しい地下資源・シェールオイル・ガスを手にしたアメリカは、紛争地帯の中東から徐々に手を引きつつある。

 中東、アフリカから始まった動乱の嵐は遂にカタール、サウジ、イエメンとアラビア半島の端まで押し寄せてきた。小国カタールとサウジなど6ヵ国との断交は、もはや民族や宗派の違いも関係なくなってきたようにみえる。アメリカと固い同盟関係にあれば、「日本は大丈夫だ」などといつまでも言ってられるのだろうか。
【電気新聞 2017年6月23日】

画像:FlickrView from my room in Doha by Joi

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