時代を読む

ジャーナリスト嶌信彦のコラムやお知らせを掲載しています。皆様よろしくお願いいたします。

地味な「検査」をないがしろにするな

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 日本の国際的地位や社会的存在感がどんどん低落してきたような一年だった。かつては経済大国といわれ、時には「何だ経済だけしか認められていないのか」と無念な思いもあったが、いまやその経済も輝きを失ってきた。

 特に日本を先導し、世界からも敬意をもたれていた日本の製造業、モノづくりまでが次々と不祥事を起こし、いまや当の日本人でさえあきれているのが実情だ。日産自動車三菱マテリアル東レ等々、各分野で日本を代表する企業の問題発覚に最近では衝撃すら感じなくなっているのではないか。

 特に日本の総本山、経団連の会長を輩出している東レでもデータ改ざんなどが表面化し、事もあろうに「ネットに出たので公表したが、ネットなどに出ていなければ明らかにするつもりはなかった」と役員が会見で述べたのを聞いて思わずのけぞってしまった。

 各社の言い分は、製造されたものが基準と違うからといって安全性に問題があるわけではなかったし、いわば念には念を入れて細かい基準をある意味作りすぎた結果だった。製品には問題がなかったし、欠陥だとクレームがあったことも公表してこなかったという。

 だとしたら、なぜそんな無用な細かな規準を作ったのか、と疑問を呈したくなる。安全を何重にも担保するため、必要以上に細かな規準を作っておくのが日本の製造業の体質となっているということなのだろうか。

今回の発覚はネットなどで告発があったためらしいが、無用の長物の規準をつくっていることに従業員が馬鹿げていると訴え出たということのようだ。“羹に懲りてを膾吹く”というが、正直に説明して自信のもてる安全基準に戻したらいいのではないか。

検査員も殆んどいないのに20年も30年も“無用な”規準を保持していた企業もあったというからまさに外向けの信用づくりに利用していただけだったのだろう。

日本はいつから認められている誤差の範囲まで細かく詰めようとし始めたのだろうか。モノづくり大国の名や、企業の矜持にかけて許される誤差であっても表沙汰にしたくなかったのだろう。しかし、モノづくりには“遊び”の部分を残しておくことも必要だといわれてきた。機械で寸分たがわない正確なものを作っても、完成品をみると、もうひとつしっくりこないものもある、とは職人さんらがよくいうセリフだ。

「最後は人の手ざわり、ぬくもりのようなものが大事になってくる」という人も多い。AIやITなど高度な機械が発達してくると、どうしてもそれに頼りがちとなるが、人間の感覚は決してバカにしたものではないのだ。

ある企業のトップは「技術や機械が発達してきたら、それに合わせて2、3年に一度は検査規準ややり方を一から見直す勇気も必要なんでしょうね」、と述懐していた。企業で一度、検査規準やマニュアルを作ると10年も20年も同じやり方を踏襲するケースが多いらしい。

これだけ世の中がすさまじいスピードで進化し、技術も変化してきているのに、案外、検査規準ややり方はそのままにしていることが多いし、人員配置も変えないケースがあたり前になっているという。検査は正確で確実な製品を出荷する時の最後の砦ともいえる。

研究開発や営業は花形職場だが、検査や点検の部署はなおざりにされやすい。最近の大手の不祥事の続発は、技術などの進歩に見合った検査体制までは見直さずに放置していたことが一因かもしれない。地味な仕事に光をあて、大事にすることも重要なのだ。
【Japan In-depth 2017年12月30日】