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日本はGAFA後追い止めよ ~ぬるい時代だった平成 昭和は熱く生き急いだ時代か~

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まもなく「平成」が終わる。そのためか「平成」とは、どんな時代だったのか、という総括、論評が様々なメディアで取り上げられている。私の感想は「“熱さ”やエネルギーの爆発がみられなかった“ぬるい時代”だった」という思いが強い。

平成が始まったのは、1989年の1月だった。時は昭和バブルが崩壊する直前で、翌90年にバブル崩壊を迎えた。崩壊直前の日経平均株価の高値は89年12月29日の3万8915円だった。当時はまだバブルの酔いの中にあったから、日本経済はまだまだ成長し、株価は4万円台に突入し5万円台も夢ではないといった雰囲気にあった。

■株価は昭和ピーク時の半値
しかし、実際は3万円台をピークにその後下落し続け、2002年1月の日経平均は1万円前後をウロウロしている。一時は7,054円台(2009年3月10日)まで落ち込んだこともあった。日本企業は当初、バブル崩壊は一時的なものとみなすところが多く、ほどなく復活、再生すると考えていたようだ。しかし、1年経っても2年経っても成長軌道に戻らない現実を見るとともに、国民の消費意欲がかつてのような旺盛さを日ごとに失われていく実情をみて、もはやかつてのような昭和バブルの復活はないと観念した。

そして90年代の経済衰退を“失われた10年”と呼び、2000年代も続いたことから“失われた20年”と呼ぶようになったのだ。しかし、株価がピーク時の半分も戻していない現状を考えると実態は“失われた30年”であり、昭和の繁栄時代に戻ることが日本経済の復活・再生とみる考え方はもはや間違いであると肝に命ずるべきなのだろう。

■物価2%の上昇目標政策は失敗
安倍政権と日銀の黒田東彦総裁は、4年前に物価上昇率を2%にもっていくことで日本経済も2プラスα%の成長に復活すると考え、量的な大金融緩和策や長期の低金利政策、異例のマイナス金利政策、財政による刺激策などを試みたが、結局は失敗に終り、長らく合言葉になっていた“2%目標”を今年になって遂に放棄した。日本のみならず世界も完全に低成長時代(ゼロプラス・マイナス2%程度)に突入しているとみるべきなのだろう。

■熱気と高成長の昭和時代
昭和の時代(戦後)は熱気にあふれ、むんむんとしていた。1950年代から敗戦の傷あとが癒え始め、1960年代には成長路線を走りだす。1970~80年代は高度成長期に入り成長率は7-8%を誇った。電気洗濯機や炊飯器、調理器などの家電製品があふれ、若者や中堅サラリーマンは自動車に目を輝かせた。三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)、新三種の神器といわれるトランジスタラジオ、ステレオ、テープレコーダーなどの日本製品が世界中に輸出された時代だ。品質が良く安い日本製品は、欧米の日常品を駆逐し、日本は製造王国になった。生活も豊かになり将来に不安を抱く人々は少なく、希望を感ずる人の方が多かった。

■成熟時代のゆるさから新産業を
だが、平成に入ると、昭和の熱気は徐々に薄れ、人々はガツガツと働いたり、買物に目の色を変えることもなくなっていく。昭和時代に十分にモノを蓄え、余暇生活をそこそこ楽しみ、海外にも足を延ばした。追い立てられるように生きたり、遊んだりするよりもゆったりとしたライフスタイルに魅力を感じ始めたのだ。まさに“ゆるさ”を受け入れる生活のほうが豊かだ、と感ずるようになったのだろう。実は欧米の人々は10年から20年も早くそんな境遇に慣れ、日本はそんな欧米のライフスタイルを後追いしてきたといえるかもしれない。日本も“成熟”の時代になってきたのだろう。

平成後の新世界は成熟やゆるさを脱し、新しい経済世界、ライフスタイルなどを築くのだろうか。アメリカは製造業の世界からIT(情報産業)の世界を生み出し、今はGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)などの産業が世界を率いている。日本の得意はモノづくりにあった。日本はGAFAの後追いを目指すのではなく、得意な製造業から新しい境地を切り開いていって欲しいと願っている。
【Japan In-depth 2019年1月24日】
画像:内閣広報室