イスタンブールに勝てるか
近年、メキメキと頭角を現し注目を浴びているのがトルコである。黒海と地中海を二分する大半島のように位置する人口7千万人を超す大国だ。
ヨーロッパからアジアに向かう人はトルコに入ると「アジアに来た」と感じ、アジアから欧州に行く人は「ヨーロッパにきた」という印象をもつとされる。たしかにアジアの貧しさも目にするが、イスタンブールなど大都会に入り、トプカピ宮殿の壮麗さを目にすると大帝国時代だったオスマントルコが目に浮かぶ。しかし、EUができる前までのトルコはヨーロッパ、特にドイツへの〝出稼ぎ〟の国というイメージが強烈だった。ドイツで働くトルコ人は、イスラム圏の人々であり、安い賃金で仕事をするため、「ドイツ人の職を奪う民族」といった印象を与え異端視されることが多かった。
しかし今や、次の時代の世界経済を担うネクスト・イレブン(11カ国)のひとつに入り、中近東全体の重石になっている。イスラム教国でありながら宗教と政治の分離を固く守りつつ、リビア、エジプト、イラクといった中東の大国で次々と長期独裁政権が倒れ、シリアも風前の灯となっている現状では、トルコの存在はいやがうえにも欧米から見て頼りになるわけだ。
しかも経済成長が安定的で、最近はエネルギーの〝ハブ〟としても注目が集まっている。一時、EU諸国はロシアやカスピ海沿岸諸国からガスや石油の輸入を求め、安定的な供給先とみていた。だが、ロシアと旧ソ連の周辺国との関係が悪化、ロシアがガス供給を止めるとEU諸国にまで影響が及んだ。こうした情勢下で中東の石油大国やイラン、中央アジアとも地理的に近く長い歴史関係をもつトルコがEUへのエネルギー経由地として俄然注目を浴び、浮上してきたわけだ。
トルコもまたその地の利を生かし、パイプラインや港湾、通信、空港などのインフラに力を入れエネルギー・ハブとしての地位を築き高成長を続けてきたのだ。
トルコは地中海に面した地の利もあってギリシャ、ローマ時代から手強い強国とみなされてきた。とくにオスマン朝時代(1299〜1922年)は中東から東欧、北アフリカにかけて大帝国を築いている。いまトルコは〝オスマン帝国再興〟とは口に出さないがオスマントルコ建設の精神で中東のリーダーとなり、EUと対応しようとしている。ついこの間まではEU加盟がトルコの目標のようにみられていたが、最近はEUの沈滞もあってトルコは独自の道を求め始めたように見える。かつてのトルコは旧ソ連が暖かい南の海へ出口を求めるための〝柔らかい下腹部〟ともみられ、西南アジアとともにロシアの脅威にさらされていた時代もあった。
トルコはそのロシアのバルチック艦隊を破った日本の歴史から日本に友好的で、親日国としても有名だ。だが2020年のオリンピック開催地を巡る東京の最大の好敵手はイスタンブールだ。中東で初の五輪開催となればトルコは一段と発展しよう。友好国でありながらライバル関係になるトルコの行方はもっとも気になる国のひとつである。【財界 2013年2月12日号 第344回】