今から30年ほど前、私が毎日新聞のワシントン特派員をしていた時、自宅に救急車を呼んだことがある。妻の持病だったぜん息が急にひどくなり呼吸も苦しそうだったからだ。
救急車はすぐにやって来てくれた。ただ、車に乗せて直ちに病院へ運ぶと思っていたら、脈をとり、体温計を出すなど基礎的な初診らしきことをやりだした。その間も妻は、やっと呼吸をしているような様子だったので「まず病院へ」と頼んだが「やるべき義務をはたした後でないとダメ」というばかりだった。
搬送中に何かあった場合、救急隊員の責任を問われるケースがあるので運ぶ前に患者の容体を調べておくのだという。病院に着いて救急隊員が初見の書類を見せると、そのまま集中治療室(ICU)に運ばれ入院となった。私は入院手続きのため、病院窓口に行くと、まず聞かれたことは氏名、住所のほか「保険に入っているか」「宗教は何だ」などだった。保険は日本の国民健康保険に入っていれば海外でも適用されると赴任前に告げられていたので、その旨を説明すると了解されたが、念のためといってクレジットカード番号も書き込めといわれた。アメリカでは治療費が高額なので支払い能力を確かめるほか宗教によっては手術を禁じているケースもあるからだ。
結局、妻はICUに3日ほどいて24時間体制で看護された後、一般病棟に移され約1週間入院した。驚いたのは退院後だった。退院時に病院窓口で支払を済ませてきたつもりだったのに、その後救急費用、診察費、食事代などの請求書が次々と送られてきたのである。何かの間違いだろうと思い「退院時に支払ったのになぜだ?」と病院に問い合わせると、日本の入院常識とはあまりに違っていることがわかった。得た結論は〝病院は要するにホテルなんだ〟という事だった。
妻を看た医者は外部の通いの人であり、食事もメニューから自由に選んでいたからホテルの様々なサービスと同じなのだ。退院後は家の近くの医者が担当するのでそちらへ行けという。そして請求書10枚近くを合計してみると総額は当時1㌦=250円位だったので200万円前後になっていた。支払い能力を確認、カードを預かったわけである。
いまアメリカ議会はオバマ大統領が提案した医療保険制度の改正(日本のような一種の国民皆保険への移行)を巡って野党・共和党が反対の立場を崩さず、予算執行の上限枠改定にも賛成しないため一部政府機関が閉鎖にまで発展している。この議会対策のためオバマはAPEC首脳会議、TPP協議の議長役まで欠席し「アジア軽視か」と批判されている。
ただこの医療保険改正は民主党の長年の課題で、低所得者層に十分な医療行為をほどこす内容だ。むろん今も低所得者層も治療、入院は可能なのだが、医療行為や薬に大きな差があるらしい。日本の国民皆保険制度は極めてすぐれているがそこに安住して国費をムダに使い続けると、いずれは国民負担がふえたり、病院経営が行き詰まる。【財界 2013年11月5日号 第362回】