司法改革で遅れが目立つ 市民・国際関連の民事分野
日本女性でアメリカに住む友人がいる。アメリカ人と結婚し、やがて一人息子をもうけ、家庭も仕事も順調だった。絵に描いたような国際結婚の成功例だと思っていた。ところが10年ほどすると離婚へ。こじれたのは子供の親権や離婚後に子供と会う日数、養育費などの問題だった。
互いに親権を主張して譲らず、結局は訴訟となった。彼女はアメリカへ渡り自立して生活していたので、むろん養育も十分に出来ると主張。何度かの調停や裁判を経て最終的には彼女が親権を得たが、毎月父親と子供が会う日を決めるなど細々とした取り決めを約束したうえでの離婚成立となった。彼女はITに通じ、プレゼンテーションも抜群だったのでいくつかの日本の大手企業などを顧客に持ち、通訳などでも豊かな生計を立てていた。
時折日本へ2、3日の短期出張で来日した時に、アメリカのIT業界、シリコンバレーの動きなどを教えてもらっていた。ただ、2、3年もしないうちに昔の生気を失っていくのに気がついて悩みを聞くと、離婚後の子供を巡る相手側との細かないざこざだった。「本当に養育するだけの稼ぎや時間があるのか」と確認を求めてきたり、親権を取り戻す口実をみつけ弁護士から連絡があったり──等々、神経の休まる日がないという。
驚いたのは、夏休みに日本へ子供を連れて里帰りし、両親に会わせたいと思っても拒否され、もし無断で連れ帰ったりしたら誘拐罪で訴えると警告されたことだったという。実際、離婚時の確認書にそういった許可の一筆がなくて誘拐で訴えられ、拘束されたケースがいくつもあるらしい。企業同士の国際民事紛争もこじれると大変なことになるが、個人間の民事、特に国際間の訴訟沙汰になると、いかに厄介かということを知った。
先日、私は日本弁護士会などが主催する民事司法改革のシンポジウムのコーディネーターを依頼された。2年半ほど前に「検察改革」の委員をやり、司法改革には多少のカンがあると思い引き受けたのだが、民事司法の幅広さ、問題点、改革の遅れなどに愕然とした。司法改革は様々な分野で10年以上前から始まり、裁判員裁判制度の導入、えん罪をなくすための検察改革、裁判の〝見える化〟〝可視化〟への動きなどが高まっていたので、民事もかなり変革されていると考えていたが、どうやら一番遅れていたようだ。
日本人には〝裁判沙汰〟を嫌う風潮があるうえ、裁判費用に対する不安、かかりすぎる時間と手間、勝訴率の低さ──などから民事訴訟を敬遠する傾向が年々強くなっているらしい。特に行政訴訟、企業訴訟、消費者訴訟など社会、企業、行政を相手に戦うとなると、精神的負担が大きく、勝ち目も大きくないとなればガマンしたり泣き寝入りしてしまうわけだ。
しかし今回のシンポジウムで、公正・公平や透明性、説明責任、コンプライアンスなどが根付かないと民法の後進国となり、国際性にも欠けると強く感じた。「法の支配」とは好まない言葉だが、法の活用、利用を消費者、市民側も真剣に考えるべきだろう。
【財界 夏季第2特大号〈2014年7月22日号〉 第379回】