イラクとシリアにまたがる地域に突如「イスラム国」の創設が発表された。指導者はイラク・スンニ派の過激派を操るアブ・バクル・アル・バグダディらと呼ばれ、イラク北部とシリア東部の国境地帯の油田などを制圧して組織を約2万人に拡大してきた。イスラム原理主義を唱え、ビン・ラディン死後の中東とイスラムの波乱要因になっている。今後も油田を制圧し始めるとまたエネルギー地勢学に変動をもたらすことにもなろう。
「イスラム国」の出現は、フセイン大統領を継いだマリキ政権(シーア派)の衰弱とシリアのアサド政権対反体制派の内戦に乗じ、隙を突いた結果だろう。イラク第二の都市モスルやシリア北部の大都市アレッポ周辺地域を占拠し始めたため、イラクやシリアの過激派グループの戦闘員がイスラム国に続々と参加しているようだ。アメリカはイスラム国支配地域に空爆などを仕掛け「長期的な戦略を追求する」(オバマ大統領)としているが、イスラム国側は「空爆を停止しなければ世界のあらゆる地域でアメリカ人は危険にさらされよう」と表明。何やら第二のアル・カイーダが出現し、欧米がつくった戦後中東秩序の見直しまで言及している点が不気味だ。
中東は複雑な世界である。1970年代まではユダヤ教のイスラエルとイスラム教の中東諸国が敵対し4度の中東戦争を引き起こしている。一方、イスラム教の間でもイラン、イラクなどで多数を占めるシーア派とサウジアラビア、アラブ首長国連邦、シリアなど多くの中東国家ではスンニ派が多く、両派の仲は決してよくない。宗派の対立と権力闘争が絡み合うケースが少なくないのだ。このため権力側は軍事力を強化して独裁に走るのである。サウジやクウェートなどは石油の利権を王族が握り、その石油収入アメリカの保護を得て権力を維持しているのだ。
しかし富と権力の独裁は、多少のバラまきや施しがあっても必ず大衆の反感を買う。特に貧困層が窮まってくると「民主化」と「自由化」の旗を揚げて反体制運動が広がる。古くはイランのパーレビ国王政権の打倒(ホメイニ革命)、最近ではチュニジアに始まりエジプト、リビア、イエメンなどで長期独裁政権を倒した”アラブの春”だ。シリアも反アサド独裁政権に対する反体制派の自由シリア軍などの民衆峰起だった。
その民衆峰起を組織化し、イスラム原理主義の思想で若者や貧困層をとらえ武装化していったのがアル・カイーダやイスラム国といえよう。元来アラブは砂漠の民で、現在の国境などは存在しなかった。あえていえばかつてはオスマントルコ帝国の管轄下にあった。オスマントルコが第一次大戦で敗北が濃厚になった頃、イギリス、フランス、ロシアなどの連合国側が秘密裡に協定を結びイラク・シリア、ヨルダン、レバノンなどの分割を決めていたのだ。アラブ諸国の国境が直線的で不自然なのは、連合国側がまさに地図上で定規を引いて分割したからなのだ。
サウジアラビアの独立峰起などを描いた映画「アラビアのロレンス」はイギリスの工作員の物語だが、ロレンスは「砂漠の砂はしっかり握っていないと指の間から落ちてバラバラになる」とアラブ民族の掌握の難しさを語っている。中東はアラブ民族とイスラム教だけでなく、大国イランのペルシャ民族、軍政に戻った軍事大国エジプト、孤立しながらも励み世界のユダヤ民族をバックにしたイスラエル、イラン、イラク、トルコにまたがる世界最大の少数民族(約2千万人)のクルド族、さらには現代では最大の利権「石油」が絡む複雑怪奇な地域なのだ。砂漠をしっかり握っていたアメリカが手を離した途端に混乱に陥ったのも当然かもしれない。
【電気新聞 2014年9月2日】