時代を読む

ジャーナリスト嶌信彦のコラムやお知らせを掲載しています。皆様よろしくお願いいたします。

百貨店は栄光を取り戻せるか 三越・伊勢丹グループの大西戦略

 私のようなシニア世代にとって、デパート・百貨店は、幼少期時代のハレの舞台、店だった。私は、東京・大田区の池上線沿線に住んでいたが、近所のお店といえば八百屋、肉屋、魚屋、米屋、駄菓子屋、牛乳店、文房具店、理髪店、雑貨店、小さな洋服店などだった。食べ物屋さんでは、そば、寿司、パン、定食屋さんなどがあり、日常生活はほとんど家の周囲1㌔範囲で事足りたし、それらの店へ毎日のように買い物に行ったものだ。こちらから出向くだけでなく、魚屋、肉屋、八百屋さんなどは週に何度かは“御用聞き”といって紙に書いた品物をみせ、注文すると夕方までに届けてくれた。雨の日などは各家庭とも大助かりだったし、新鮮な品が入ると料理方法や食べ方まで教えてくれていた。街場のお店と近所の家々はコミュニティとして一体化していたし、みんな知り合いだった。

 そんな近所の子供たちにとって年に1~2度行く都心のデパートは、まさにハレの舞台だった。各階ごとに化粧品、靴、洋服、本、文房具、スポーツ用品、寝具、子供のおもちゃ、食べ物、ケーキ・菓子類などそれこそ何でもあり、しかも街場のお店とは違って格段に大きく美しかった。

 

――街のシンボルだったデパート――

 銀座には三越松屋松坂屋日本橋には三越、髙島屋、新宿には伊勢丹などがありシンボルとなっていた。人々は、わかりやすく目立つデパートをシンボルマークに待ち合わせ場所にしていたし、その足で“百貨”を売る店に入っていった。屋上には小遊園地があり、子供たちはすべり台や、ゴーカートで遊んだし、食堂に入るのも楽しみだった。デパートへ行けば、普通の家庭ではなかなか食べられない洋食があり、お子様ランチは子供用の洋食だった。

 デパートの最盛期は1960~70年代だっただろうか。私が毎日新聞の秋田支局に勤務していた1967~71年も、街の中心は地元の3~4階建ての二つのデパートだった。秋田で肉と言えば鶏肉が中心で高級牛肉を手に入れるにはデパートに行かねばならず、友達と「スキ焼きをやろう」という時はデパートへ行って食材や調味料などを揃えたものだ。

 

――車社会、スーパー、量販店に押され衰弱――

 街のシンボルだったデパートも高度成長期に入ると徐々に衰退し始める。百貨店でしか買えなかったシャレた洋品、洋服の専門店が街中にあらわれ、スポーツ店、大型本屋、おいしいレストランなどが次々と出店、品揃えも豊富で専門店の店員も商品知識やセンスが磨かれてきたから客足がだんだんと流れていったのだ。また自動車時代がやってきて国道や県道沿いに様々な大型店ができ、圧倒的な品揃えと安さを売り物にしたスーパーや量販店が続々できると、ますますデパートは細っていった。さらにファミリーレストラン、コンビニがあちこちにできると、流通の主役はデパートから街中、郊外のスーパー、ファミリーレストラン、大規模店に移っていき、デパートは贈答用品や街場でみつからないものは“百貨”の店だからきっと売っているはずと探しに来る案配になっていった。

 そのうちに各地方の百貨店は閉鎖する店も増え始める。車社会になると大きな駐車場を持つスーパーや大規模量販店の方が便利にみえたし、共稼ぎ世帯や郊外の住民は車中心の生活になってきたため、街の中心のデパートからは足が遠のいていったのだ。また、デパートが衰退し撤退すると、周囲にあった小売店も衰弱、減少していき街の中心部が空洞化していくケースがあちこちで目立った。特に洋服ではユニクロファーストリテイリング)の登場は衝撃的だったという。

 

――デパ地下、物産展で火つけたが――

 東京のデパートも浮沈が激しかった。シーズンごとに何か特色を打ち出さないと客足が伸びず、デパートの地下で食品やお惣菜を競い合う“デパ地下”競争がはやったし、季節ごとに地方の物産展、とくに食品、農産品などが各デパートで趣向を凝らして行われた。デパートのバイヤーは年中地方をまわり、東京では珍しいおいしいものや産品を探しまわって、一定期間中の物産展を何度も開いた。人気は北海道物産展でカニやホタテ、ウニ、イクラといった水産物や北海道産の野菜やジャガイモなどを使った銘産品が人気となった。都会の人々にとっては居ながらにしてふるさとの味を楽しめるので、デパ地下物産展はどこも戦場のように賑わった。九州、北陸、京都、瀬戸内海なども人気だったが、バイヤーたちは全国に飛び、いかに安く仕入れ、客の好みにあうかを探った。このため、現地と協力して物産展用の商品を工夫したりした。

 物産展と並んで人気となったのは、セールや年始の福袋・お年玉袋だった。デパートのセールは高級品を安く売るイメージがあるのでどこもその買い物風景は年末、年始の歳時記ともなっているほどだ。さらにデパートは街場の洋装、洋品店と差別化をはかるためブランド品を次々と入れた。デパートへ行けば大抵のブランド品が買えるというので“ブランドの百貨”になっていったのだ。しかしブランド品も本国のブランド店が銀座や大阪、名古屋に直売店をだすようになり、その存在感も薄れてゆく。

 

――市場規模縮小、再編へ――

 百貨店の市場規模は1990年に10兆円近くあったが、その後落ち込み1997年に9兆7,000億円まで盛り返したが、その後はみるみる衰弱、2012年には6兆1,000億円まで落ち込んだ。業界筋では今後多少の浮き沈みはあるが、中長期的には5兆円位まで落ち込むだろうと見ているようだ。

 そうなるとご多分にもれず業界再編へと流れは変わり、生き残り作戦・リストラへと突き進んでいくことになる。

 2003年にはそごうと西武百貨店が統合しミレニアムリテイリング、2007年には大丸と松坂屋のJフロントリテイリング、阪神百貨店と阪急百貨店のH2Oリテイリング、そして2008年には東京の名門・三越伊勢丹が統合して三越伊勢丹ホールディングス(HD)などへと再編された。単独で残っているのは髙島屋と松屋ぐらいとなってしまった。地方でも同様にデパートの閉鎖、再編、統合が続いたのである。

 

――人気を吐く伊勢丹グループ――

 そんな衰退の中で一人気を吐いているのは三越伊勢丹グループだ。と言っても主導権は伊勢丹が握っており、先頭に立つ伊勢丹出身の大西洋社長の動きが際立っている。1979年に伊勢丹に入社し紳士服のバイヤーからスタートし、MD統括を経て2008年三越との統合後、社長に就任した。

 大西氏の信条は、現場をくまなくみて自らが実感することから始まる。今年7~9月期のGDP予測はほとんどのエコノミストが大外れだったが、それは現場を見ず売上げや輸出入、消費などの数字などだけから判断したからだろう。やはり「現場から感ずる街角景気の様相からもみないといけない」と指摘する。

 大西氏の就任後、グループは2010~13年度まで4期連続増益となった。減収でも利益率を過去最高にし、2014年度の利益額も最高となる。基本原則はデパートがもっていた「憧れ・ワクワク感」を現代的感覚でとらえ直すことと、「原点回帰」だ。そのために各旗艦店を街のカラーの特色に溶け込ませ、際立たせることだという。

 伊勢丹新宿本店は“ファッションの伊勢丹”のイメージをより強化し本来の憧れの場所、ワクワク感をより磨く、その中心には「ジャパンセンスィズ――日本の魅力のアピール」を据えた。日本各地のモノづくりの魅力を消費者に伝える。隠れた伝統技術や匠の技を発掘し、年2回(春夏と秋冬)特定地域に着目して展示する。今年は東北、来年は北陸産のものを行う。たとえばオバマ大統領夫人が就任式の日にホワイトハウスまで歩いた時に着ていた佐藤繊維のニットやストール、津軽こぎん刺しのコートやバッグなどがある。また海外一流ブランドからオファーを受けている商品(北陸の天池合繊作成のチーフなど)や時には三越伊勢丹のオリジナル商品の開発・販売も計画している。これまで百貨店はメーカー、既存店に店の売り場を貸し、店員も派遣させるケースが多く、売れ残れば相手方のリスクとなった。オリジナルブランドを作るとなると、すべての在庫リスクは三越伊勢丹が負うことになる。そのかわり中間コストが省け利益率が高まる。2018年には婦人服で20%の自主企画商品を目指すという。百貨店らしい価値ある商品を出すことが原点回帰にもつながるわけだ。

 

――街のカラーを売れ――

 2番目は「街のカラー」を読み取ること。新宿伊勢丹は世界最高のファッションミュージアムとなるような店づくり、三越銀座は外国人向けサービスを強化し、訪日外国人の目指す店をつくりつつある。すでに10月は前年同月比で3倍になり、外国人売上げ単価は1人10万円にのぼる。

 日本橋三越は、カルチャーを売る店を目指し、文化体験カフェ「はじまりのカフェ」をオープンした。シニア層などカルチャーに興味をもつ人をターゲットにした戦略だ。

 

――海外にはクールジャパンを売り込み――

 さらにクールジャパンを売り込むアジア戦略も進展中だ。アジア5ヵ国に16店舗あるが、日本製品への信頼とブランド、おもてなしのサービス接客を目指す。アジアではいま中間層が増え消費の質が向上しているので、現在の売上比率7%程度を早く10%以上にしたいという。その手始めに新会社をマレーシアに設立、経産省と共同でクールジャパンを感ずる商品を展開する方針で、初年度38億円の売上げを目指し現在の倍増をはかるという。その後はシンガポール、タイにも展開し欧米でもクールジャパンをコンセプトに発信していく予定だ。

 日本のデパートは衰退の一途をたどってきたが、果たして三越伊勢丹グループの大西戦略は百貨店業界に“活”を入れられるのだろうか。かつての小売りの王者の衰退はいかにも寂しい。各グループも新たな戦略を打ち出しデパート復活をみせてほしいものだ。

 【TSR情報 2014年12月26日】

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