【インパクトなかった「70年談話」】~アジアについての構想力示せ~
14日夕、安倍首相が注目の”70年談話”を語った。安倍首相の演説を聞いていて、いつも感ずることは「そうだ!その通り」といった胸に響くような台詞が少ないことだ。アメリカ議会の演説も評判は悪くなかったが、日本人として聞いていて気持ちが高ぶりこみ上げてくるようなフレーズはほとんどなかった。真面目にあれこれと目配りした内容なのだが、印象に残る”つかみ”がないからだろう。喋り方も説明的口調に聞こえ、情念が感じられないことが多い。
田中角栄元首相の全身全霊で聴衆を説得するような迫力は、つい聞き耳をたててしまうところがあった。小泉純一郎元首相の場合は、自分の気持ち、感情を計算することなくさらけ出し「感動した!」などと叫び、ブッシュ元大統領の前でプレスリーのマネをするような愛嬌があり、人気を博した。「あーうー」で評判だった大平正芳元首相も、一見わかりにくそうに聞こえたが、じっくり耳を傾けると哲学的な表現に聞こえたりして独特の演説となっていた。
トップが語る時に大事なことは、自分の信念、思いを自分の言葉で力強く語ることだろう。演説時間の長短ではなく、自らの信ずることを語る人間のリズムと的確なキーワードで訴えることなのだ。
今回の安倍談話は、数ヵ月以上前からメディアで憶測され、自民党右派や公明党、野党などからも様々な注文がつき、手垢にまみれてしまっていた。本来なら、安倍首相個人の思いを語るとされていたが、発表直前には閣議にはかり政治談話のようになってしまったし、内容についても「侵略」「植民地」「痛切な反省」「おわび」といったキーワードを入れるかどうかが焦点となっていった。
結局、かつての村山談話、小泉談話を踏襲する形でそれらのキーワードを取り入れたものの、”あれは本人の本心なのか”といった論評が数多く出され、安倍首相が最も言いたかった”未来志向”のくだりは影が薄く、国際社会や国民によく伝わらなかったのではないかと思われる。
戦後70年という大きな節目の年だっただけに、あちこちに目配りした無難な談話にしてしまったのかもしれない。しかし、本当は21世紀の今後の世界に日本がどう向かうべきか、アジアの世紀といわれる中でアメリカ、中国、日本、朝鮮半島、オーストラリア、東南アジアなどが、どう手を組んでアジアの平和と繁栄の大構想を実現してゆくか――などについて、日本の立場を明確に語ったほうが日本国民にもアジアや世界にもインパクトがあったのではないか。
いま世界は混沌の過程に踏み入ろうとしているようにみえる。アメリカは国内の不統一が目立ち、世界の警察官、調停者からも手を引こうとしている。中国はここへ来て好調だった経済が急速にきしみ出し、国内も習政権と軍部のきしみ、国民の格差や環境への不満が日増しに強まっている。EUもいまだユーロ危機から抜け出せず、世界全体の構想を言い出せる余裕がない。アジアもまた中国やアメリカに気兼ねして物言いがはっきりせず、ロシアはアメリカ、ヨーロッパの衰弱に乗じて再び存在感を示そうと躍起になっているようにみえるが、世界を引っ張る力はもはやない。
敗戦から70年を経た日本は、一度も戦争せず、一発の銃弾も他国に放つことなく平和と繁栄を築いてきた。その70年の歴史を深く顧みてその総括の上に立って今後の世界とアジアに活かすことこそ、70年談話のメッセージだったのではなかろうか。戦後70年の日本と日本人の人生にもっと誇りを持ち、世界に役立てる発信を行なうことこそが、70年談話に求められていたような気がする。おわびなどのキーワードに気兼ねしたのか。日本本来の文化やアジアなどについての構想力をもっと胸に響くよう語って欲しかった。
【Japan In-depth 2015年8月22日掲載】