アスリート・ファーストのいかがわしさ
アスリート・ファースト──なかなか耳障りの良い言葉だ。新国立競技場建設を巡る巨額の予算オーバーでゴタゴタ騒ぎとなり、建設プランは白紙撤回となった。もう一度最初からやり直すきっかけの一つとなったキーワードが、一部のスポーツ選手が語ったとされるアスリート・ファーストだった。
巨大な競技場をつくるより、アスリートが気持ちよく使える競技場にしようという考えのようだ。アスリートにやさしい使い勝手のよいソフトでシンプルな競技場でかまわないではないか、という趣旨なのだろうか。たしかに、あのデザインを見た時、素人ながら静かで自然と伝統文化の調和した神宮の森には似合わないなと感じた人が少なくなかっただろう。
だが、アスリート・ファーストというなら、私が一番問題にしたいのはオリンピックの開催期間だ。7月24日から2週間といえば、日本で一番不快な季節だろう。ことしの夏の猛暑で日本人が一体どの位熱中症で倒れたことか。あの猛暑の中で選手たちが競技をし、それを長い間スタンドからみる観客のことを考えると、アスリート・ファーストなどといえるのか。アスリートたちが訴えるべきは、参加者たちがもっとも快適な状態で競技を競い、世界からやってくる観客たちに日本の四季の素晴らしさを実感してもらうことではないだろうか。
以前もこの欄で指摘したが、1964年の東京五輪を決める際、日本の関係者がもっとも頭を悩ましたのは〝季節〟の選択だったという。雨が降る確率が少なく快適な気温、温度などを過去のデータから詳細に分析して導き出した日が10月10日だった。以後この日はスポーツの日となって国民の祝日となって今日まで続いている。
7月をオリンピック期間に選んだのは、この時期がアメリカやヨーロッパで大きなスポーツイベントがなく、テレビでもっとも視聴率がとれて放映権料を高く売れるからだと聞いた。もし国際IOCがそんな理由で日程を決めたとしたらオリンピック精神、スポーツ精神などはどこへ行ってしまったのかと思う。
アスリート・ファーストを言い出したメダリスト選手たちがもっとも快適にスポーツを満喫できる季節をまず第一に主張すべきだったのではないか。猛暑の五輪開催となったら日本のアスリート精神の貧困さが世界の笑い者になるのではないか。
今からでも遅くない。真のアスリート・ファーストの精神があるなら、アスリートたちは、五輪開催を日本のもっとも良い季節に変更してもらうよう国際運動をおこすべきだろう。秋の五輪が終わったあと、全国の紅葉を楽しんでもらう方が日本人の粋が世界に伝わるだろう。
【財界 2015年9月22日号】