10月15日の東京新聞にてウズベキスタンの養蚕業と絹織物の復興プロジェクトに関する東京農工大 川端准教授の取組みが紹介
スタッフです。嶌が会長を会長を務める日本ウズベキスタン協会の理事長である東京農工大学 川端良子准教授が取り組まれている養蚕業と絹織物業の復興プロジェクトが10月15日の東京新聞(夕刊)にて紹介されました。
東京農工大学では、国際協力機構(JICA)の草の根技術協力事業を受託し、2009年よりウズベキスタン共和国で、「ウズベキスタン共和国シルクロード農村副業復興計画-フェルガナ州における養蚕農家の生計向上モデル構築プロジェクト-」 を行なっており、川端准教授はメンバーとして活躍されております。
【新聞記事抜粋】
絹の道で日本の繭
ウズベク養蚕、織物復活期す
(前略)
旧ソ連圏時代、ウズベキスタンは周囲の国々に繭や絹糸を輸出する養蚕大国だった。養蚕業の歴史は1000年を超え、「絹の王様」を意味するアトラスという独自のデザインの絹織物が長く人々に受け継がれてきた。
だがソ連崩壊とともに政府の買い上げがなくなって繭や絹糸の価格が暴落。やがて中国産の安い繭が大量に輸入されるようになり、多くの人が手間のかかる養蚕を見限るようになった。
「中国産の繭は品質にばらつきが多く、蚕種も分からない。よい糸がたくさん取れる日本産のカイコをウズベキスタンで育て、養蚕業と絹織物業の復興を目指そうとのプロジェクトを2009年から進めています」-。
日本産の繭から引かれる糸の一本一本を確かめるように見つめながら東京農工大准教授の川端良子(51)が言う。
経験もなく、気候も異なるウズベキスタンで日本産カイコを農家に育ててもらうことは苦労の連続だった。最終段階で与えた餌の桑の葉に、近くの綿花畑でまかれた農薬がついていて、カイコが全滅したこともある。
「これが日本産の繭だ。ウズベキスタンの繭よりも大きくてきれいなのが分かるだろう」とホルボエフが、工場の片隅に置かれた袋の中から白い繭を取出して見せてくれた。日本の専門家と一緒に農家を農家を回って技術指導を行い、日本産繭の普及に取り組んだ人物だ。(中略)
世界遺産の町で
古い城塞都市が残り、城壁の中の町自体が世界文化遺産に指定されているウルゲンチの隣町ヒバ。中心部の一角にある博物館の1階。片隅の穴倉のような部屋で、一心にミシンを踏むアタジャーノーバ・アナパシャ(60)ら3人の女性の姿があった。
「最近の売れ行きはどうですか。型紙通りに作って品質をそろえるようにしてくださいね」と川端が声を掛ける。アタジャーノーバは、絹織物業の復活プロジェクトの一環として、新たなアトラス製品を開発、販売し、貧しい人々の収入アップと女性の地位向上も目指そうと川端らが13年から始めた新たな事業の参加者の一人だ。
彼女らが作ることになったクマの縫いぐるみや小物入れ、ポーチなどは日本でのデザインコンテストの入賞作。それまで見たこともないような製品ばかりで、クマの目の付け場所などをちょっと間違っただけで売り物にならなくなる。(中略)
長い道のり
日本産繭からの絹糸生産量も、まだ中国産やウズベキスタン産繭からの生産量には及ばない。しかも絹糸は、より高価で売れるイランやトルコに輸出され、国内にとどまることは少ない。
「今は織られなくなった伝統的なデザインのアトラスを復刻し、日本産の繭の糸で女性たちに織ってもらいたい」。そんな川端の願いがかなうまでの道はまだ長い。
※画像は川端准教授が手がけられているプロジェクトの製品
先日開催された第24回ウズベキスタン共和国独立記念パーティーでの展示
なお、川端准教授は富岡製糸場で行われる「ウズベキスタン展~シルクロードで栄えた文化~」(12月5日~27日)開催に合わせて行われる講演会「ウズベキスタンとのシルク交流」(12月19日開催)にて本プロジェクトの取組みを話される予定です。ぜひ足をお運びください。
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