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ウズベク・カリモフ氏の死 成長路線に政情不安の影

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 中央アジアの中心的人物だったウズベキスタンのカリモフ大統領の死亡が報じられた。8月末から重態説が流れ、中央アジアにも混乱がくるのでは、と心配されている。


 カリモフ氏はサマルカンド生まれの78歳で1964年に共産党に入党。89年にソ連邦ウズベク共和国の第一書記に就任し91年にソ連から独立した後は、ウズベキスタン共和国の大統領となった。以来、今日まで四半世紀にわたり、カリスマ的な開発独裁者としてウズベクを統治してきた。


 わたしは、2000年ウズベクタシケントに日本センターと日本庭園が開設された時、中山恭子大使(当時)に付き添う形で庭を歩きながらインタビューした。目力があり何に対してもよどみなく答えていたのが印象的で、日本との協力について質問すると、立ち止まって「日本は大事な国だ。日本の成長過程を研究して取り入れたい」と滔々と続けた。日本人の勤勉さやモノ作り、研究への熱意、皆が力をあわせる協力の精神は今後のウズベクの国づくりにも必要だと、「日本はウズベクの国づくりの模範になる」と親日家、知日家ぶりを発揮していた。


 カリモフ氏とはその後も2、3回立ち話程度だったが会う機会があった。どの時もエネルギッシュで雄弁だった。ロシア、中国、アメリカに注目され、すぐ南ではアフガン問題を抱えていただけに、外交的にはむずかしい立場にあった。アフガン戦争時にはアメリカに基地を貸し、中国が主催する上海協力機構の有力メンバーで、ロシアとの関係にも心を砕いていた。


 中央アジアでは最も人口が多く2940万人。私が初めてウズベクを訪れた96年は2100万人程度だった。ただ二つの国を通らないと海に出られなかったため、もてる資源(ガス、レアメタル、石油、綿花など)の輸出が難しくインフラが課題だった。しかしそれも近年ロシア、中国のパイプラインにつながりガス輸出などがふえ、ここ2、3年の成長率は著しく街が整備されすっかり明るくなっていた。


 人口の大部分を占める若者は、民主化や自由化の進展に不満をもっていたが、成長で豊かさを実感できるようになったことと、過激なイスラム原理主義の運動を抑え込むためには仕方がないと考えているようだった。


 しかし穏健なイスラム国の中央アジアでも最近カザフスタンキルギスで爆破テロが発生し始め暗雲が出始めている。開発独裁的だったカリモフ氏の後継者がどんな政治を行うか、ゆっくり着実に成長し続けてきたウズベクは建国以来の正念場を迎えたといってよい。ただウズベクの若者は知的水準が高く数カ国語をこなす世代でもあるので、若い力も借りて難局を乗り切って欲しいものだ。
【財界 2016年10月4日号 第432回】
画像はWikimedia commons

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