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「YKK秘録」にみる政治の活力―YKKの特質―

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YKK秘録」(講談社)を面白く読んだ。著者は元自民党幹事長の山崎拓氏。山崎氏については根っからの党人派で政局を動かすことが好きな策士ともいわれた。一本気な昔型の武闘派自民党議員という印象があり、現役時代はあまり接触がなかった。しかしYKK秘録を読んで、山崎氏が意外にも繊細な感覚の持ち主で、政策も人柄もなかなかの人物だと知った。大体、毎日のメモを手帳に書き込んで感想まで記している人とは思いもよらなかった。中曽根派から山崎派を創設しているが、私は経済部畑で過ごしたため、山崎氏と親しく接する機会がなかったし自ら求めにゆくこともなかった。

YKKの中では、加藤紘一氏が高校の3年先輩であり、「将来性のあるサラリーマンの同世代を集めた勉強会をやりたいので作って欲しい」といわれ、80年代初めの頃に各業界で将来の呼び声が高い人々に10人位集まってもらって1、2ヵ月に1回位の割合で10年ほど朝食会を続けた。同世代なので皆が率直に言いたいことを言い、政治への注文も遠慮なしに言い合う面白い会合だった。

小泉氏とは首相になる直前から主に政治部の記者仲間らと一緒に食事する機会があり、首相になってからも夜中に公邸に時々集まって談論風発をしていた。大体、お姉さんの信子さんがそばに黙って座っており、お酒やお茶、食べ物のお世話をしてくれていた。小泉氏が離婚していたこともありお姉さんが世話をしているのかなと思ったが、その後「あー、これは小泉氏を兄弟姉妹で一家で支えているんだ」という風に思えた。普通の政治家は妻や子供が支えるが、小泉家は横須賀の代々顔役で、”小泉一家”ともいうべき様にみえた。


【出身派閥の違う珍しいトリオー政治に活力を吹き込んだかー】
YKKは派閥全盛時代にあって、次の派閥領袖になる人物が派閥を越えて、沈滞している自民党政治に息を吹き込み活力をもたらそうと組んだ珍しいトリオだった。加藤氏が山崎氏に持ちかけ、加藤氏がもう一人に小泉氏の名前をあげると、山崎氏は「彼はエキセントリックだからなあ」と消極的だったらしい。そこで加藤氏が小泉氏の首実験にと会いに行き「あなたはエキセントリックだという人がいる」とぶつけると「ああ俺はエキセントリックだ」と認め、その率直さから息があったらしい。

3人の会う場所は赤坂の料亭「金龍」が主で、多い時は毎日のように会合を持っていた。話はもっぱら「政局のことで政策の話はあまりしなかった」(山崎氏)という。政策の話になると必ずしも思惑が一致しないので、もっぱら政局に活力をもたらすために審議を重ねていたらしい。


【信長、秀吉、家康タイプか】
3人は性格も違った。「小泉は信長タイプ、加藤は秀吉タイプ、私・山崎は家康タイプ」で、3人とも1972年12月総選挙で当選した同期。山崎が36歳、加藤が33歳、小泉が30歳だったが、「加藤が同期の第一選抜で先行していた感があった」と記している。

政権は「三、角、大、福、中」で15年間続き、その後竹下登氏、宇野宗佑氏、海部俊樹氏と事実上の経世会竹下派)支配が続く。下馬評では「安、竹、宮」時代とされたが安倍晋太郎氏は病死で脱落、宮沢氏は首相になるが、竹下・小沢の実質的支配下にあるとみられていた。


【友情と打算の二重奏―上座は加藤、小泉は反経世会―】
YKKの会合ではいつも加藤氏が上座、小泉氏が末座に座り小泉氏が酒の準備までして「君たちが総理になる順番はじゃんけんできめろ」とまで言っていたらしい。

自社さ政権の村山内閣が退陣すると、自民党から橋本龍太郎氏が立候補を表明し、山崎氏と加藤氏は支持を表明するが反経世会を任ずる小泉氏は拒否し、自ら立候補する意向を示す。この辺がYKKの面白いところで派閥的行動はとらず、のちに小泉氏は「YKKは友情と打算の二重奏だ」と言い放っている。小泉氏は福田派、加藤氏は大平派、山崎氏は中曽根派出身という違いもあり、政策より政局で自民党をかきまわし活性化する役を任じていたのだろう。


【”加藤の乱”の失敗-小泉政権を生んだきっかけか!?-】
しかし皮肉なことに加藤氏は森元首相の不信任案に賛成する”加藤の乱”を起こし、小泉氏は一般党員の人気を集めて最初に首相となる。加藤氏の乱は結局、三度国会を行きつ戻りつつ、欠席して失敗に終わるが、このとき加藤氏は「拓さんも一緒に行こう」と誘い、山崎氏は気が進まなかったものの加藤氏の誘いにのっている。情の山崎氏の面目躍如といったところだろう。小泉氏は森派の会長だったし、むしろ加藤氏の倒閣の動きを知って「拓さん早く止めろよ」と告げた。小泉氏は派閥内で突き上げられたようで「山崎の自宅に電話で「拓さんひどいじゃないか、YKKの仲なんだから俺にも味方しろよ」と言ったのに対し山崎氏は「今回は加藤さんの味方をするが、いずれアンタの味方もするよ」と答えたらしい。ここにもYKKの”友情と打算の二重奏が垣間見えて面白い。

加藤の乱”の生んだものについて、山崎氏は「この乱こそが小泉政権を生んだのではないか。自民党をぶっ壊すきっかけをつくったのは加藤であり、小泉政権の生みの親も田中眞紀子ではなく、加藤は期せずして小泉の踏み台になった。その媒介をしたのが私ということになるのかもしれない」と山崎氏は述懐している。


【今は派閥も弱体化-政治の活力をどこで作るか―】
結局、森首相は退陣し、小泉氏が橋本龍太郎氏、麻生太郎氏を抑えて首相となり、山崎氏が幹事長に就任する。加藤氏は当分表舞台に出られず、日中関係の裏舞台などで裏方役を務めるが、結局その後は体調を壊したりして往年のオーラを失っていく。

YKK秘録を読んでいて面白いのは、メディアのトップ、幹部級が登場し、政治に口をはさみ、メディアの力を活用してよいなどと示唆する点だ。現代では公開が原則のようになり、TVカメラがかつては考えられないような場所に入ってまで撮影するので政治や政局も大きく変わってきた。

かつての派閥は金権汚職、裏で重要事項を決めるなど欠点が多かったが、派閥抗争は政治を活気づけた面も多かった。いまは、小泉政権時代の派閥軽視の力学もあり、派閥に入るメリットも少なくなり、1、2年生議員は無派閥という人物も少なくない。YKKは派閥崩壊の引き金を引いたともいえるが、最近の政治をみていると安倍一極支配が目立ち活力が失せてきた。もう少し政策中心の合従連衡があってもよいのではないかと思える昨今である。

【Japan In-depth 2016年10月24日】

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