時代を読む

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【ラジオ再放送あり】金子兜太さん逝く 人間くさく大らかな俳人

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 水脈(みお)の果て 炎天の墓碑を 置きて去る
 戦後の現代俳句界をリードしてきた金子兜太さん(98)が亡くなった。旧制水戸高校時代から俳句を始め、東大経済学部を卒業後に日本銀行へ就職。戦争中は海軍主計中尉として西太平洋のトラック島に派遣され九死に一生を得て帰国した。

 冒頭の句はトラック島での15カ月間の捕虜生活を終え、日本へ引き揚げる駆逐艦の甲板で詠んだ一句だ。最後尾で水脈と墓碑銘を交互に眺めていると戦地で亡くなった戦友に見送られるように感じたという。金子さんの俳句には他にも戦争の悲惨さや反戦を詠った句が多い。戦争で手が吹っ飛んだり、お腹に穴があいて死んでいく人を見続けてきた。そんな極限におかれ現実をみた時、自分はいかなる時代でもリベラルな人でいたいという"甘さ"を痛撃された思いだったと悟る。

 時代には必ず棄てられる人間がいる。詩人はそれを見ていなくてはいけない。それを見ない人は詩人の資格はない。「私は右でも左でもない。個々人の思想は大事にすべきだと思っている。ただ大きな権力に便乗してうっぷんを晴らそうとする人たちは許せない」ともいう。

 日本に復員した後は日銀に復帰した。日銀では、組合運動と俳句に没頭し、同期が局長や理事に出世していく中で最期まで係長だった。しかし俳壇ではカリスマ的人気を持ち、季語や字余りなどを気にしない前衛俳句の旗手として人気があった。2015年にを求められ「アベ政治を許さない」と書いた文字は安保関連法案に反対するデモ隊のプラカードの標語にもなった。

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 金子さんの筆跡は力強くて太い。対談などで喋る時の声も大きく、90歳を過ぎても変わらなかった。私は何度かお会いし、2009年にラジオで対談させて頂いた。戦地で日本兵が次々と亡くなっていった記憶と光景をいつまでも忘れられず、エリートの道を歩むことができたのに句作を通じて戦争に反対し続けてきた。飾ったところがなく「私は今でもフンドシを愛用し、寝る時は側に尿瓶を置いているのでいちいちトイレに立たず用を足せる」などと日常生活のあれこれを語り、大きな声で笑っていたのが印象的だ。

 俳句は最も短い文学作品ともいわれ、和歌より多い約1千万人の人が親しんでいる。ただ俳句界も同人誌や師匠の流れを組んで閉鎖的な社会を形作っているところがあるともいわれる。金子さんはグループや閥を作らず、新聞社の俳句選者を務めていた。毎週五千の投句全てに目を通し、若い人や異なる分野の人々との交流にも熱心だった。率直で飾らない人柄で俳壇以外の人にもファンが多かった。
【財界 2018年3月27日号 第467回】

トップ画像は2010年05月28日に行なわれた日本記者クラブでの会見動画より
日本記者クラブのサイトには金子兜太様の会見動画と会見詳録、会見レポートが掲載されております。

【3月26日追記】
次回(4月1日)日曜21時30分からのTBSラジオ人生百景は金子兜太様の追悼企画として2009年11月10日に収録した音源を再編集し、お届けいたします。当時100歳まで生きると仰っていた金子様の健康法や、日本銀行に在籍しながら俳人の道を歩んだ人生観などについて、今改めてお聴きいただきます。

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