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18日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』ゲスト:株式会社和の優グローバルCEOのドー・チハウ氏(一夜目) 放送内容まとめ

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TBSラジオ 『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(日曜 21:30~)は様々な分野で志を持って取り組まれている方々をゲストにお招きし、どうして今の道を選んだのか、過去の挫折、失敗、転機、覚悟。再起にかけた情熱、人生観などを、嶌が独自の切り口で伺う番組です。2002年10月に開始した「嶌信彦のエネルギッシュトーク」を含めると間もなく17年を迎える長寿番組です。

18日は株式会社和の優グローバルCEOのドー・チハウ氏をお迎えした一夜目、通算882回目の放送でした。以下放送内容の抜粋をお届けします。

■父から儒教の教えを守る
マレーシア マレー半島のクアラルンプールの北に位置するペラ州(マレーシア西海岸北部)で誕生。幼い頃から父の背中をみて、「正義」と「信用」が大事と思ってきた。幼い頃は「信用」ということは良く理解できず、「正義」は理解できたのでいじめられていた子を守るような子供だった。儒教の教えから父に「正義」「信用」「責任」「親孝行」を忘れてはいけないと教えられ育った。

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(c)2019 Google

■勢力が拡大し、親分的存在になった高校時代
仲間の相談を受けるうちに仲間が2人から4人、そして8人に増え、最終的には2000~3000人の大勢力の親分的存在になった。時にいじめられた仲間のあだ討ちで喧嘩をしたりした。ある日、仲間の一人が4人に殴られ、翌日仲間100人、バイク20台で報復に行くと相手は驚いて逃げ出した。その後、そのウワサを聞いた街のヤクザに呼び出され親分にスカウトされたが、断った。

多民族国家で語学を習得
マレーシアは主に中国系(3割ほど)、マレー系、インド系から成る多民族国家で非常に融和的な国。私は中国系。その環境のおかげで私は小さい頃からマレーシア語、英語、広東語、福建語の4つの言葉を習得しており、もう一つ言葉を覚えれば武器になり国際的な貿易やビジネスが出来ると若い時から考えていた。

■日本への関心の高まり
マレーシアはイギリスの植民地だったことからイギリスの法律の影響を受けており、イギリスに留学したいと思っていた。調べると1年間で1千万円ほど必要で、学業とアルバイトを並行出来る状況ではないこともわかった。父に相談したが金銭的に厳しく、それなら当時マハティール首相が推進していた「ルック・イースト(東方)政策」(日本の復興、近代化を見習う政策)の手本である日本で学ぼうと思い始めた。

「ルック・イースト」と日本はマレーシアで好評で、日本のサムライ精神、忍耐力、礼儀正しさ、信用など、マレーシア人にとって学ぶべき文化だと皆が共通の認識を持っていた。

私は子供の頃から世界をみたいと思っており、アメリカにも興味があった。しかしながら、アメリカは銃社会で父は快く思っていなかった。日本は平和で、礼儀正しく、安心できることから父が留学先として日本を勧めたことも決め手の一つだった。

日本を留学先にしたもう一つの決め手は、日本は学びながらアルバイトが可能なことだった。オーストラリア、アメリカ、イギリスではアルバイトと学業を並行しながら留学することは厳しい。実家が裕福ではなかったので、自分で留学費用を工面し、生活の糧として学業とアルバイトを両立させなくてはならなかった。日本に来て、アルバイトと学業を並行出来たのは本当に助かった。

■期待を膨らませ日本へ
21歳で好奇心を持ちドキドキしながら来日した。日本で一番見たいと思っていたのは「雪」だった。初めて「雪」を見た時、綺麗で感動したが、本当に寒く、一度見て満足した。

もう一つやりたかったことは、日本の文化を学びたかった。日本は戦後、一気に経済成長を遂げ、先進国の仲間入りをした素晴らしい民族。今なお多くのことを学ぶべきだと思い、日本の文化や日本の精神を学んでいるとともに、自分の子供を日本の学校に通わせ日本の文化、哲学を学ばせている。

■来日時の苦労
来日前、証券会社で勤務していた時代(91、92年頃)はアジア経済が活況だった。少しづつ株式投資を続け儲けることができ、そのお金で何かあったらすぐに帰国できるよう往復航空券を買い、残り13万円の現金を握り締めて来日。

来日当初、日本語が全くできなかった。来日直後、一緒に来日したマレーシア人7人のなかで一番若いポーさんからお金の相談を受けた。「実は1円も持ってきておらず、そのうち仕送りが母から来るので3万円貸して欲しい。」と言われ、「いつ仕送りはくるのか?」とたずねたが「わからない」と言われた。

持参した13万円のうち、3万円の自転車と布団を買い、3万円貸すと4万円しか手元に残らない状況で非常に悩んだが ”神様に無事に過ごせるよう祈り”、ポーさんに3万円貸した。早く、働かないといけないと思い、紹介されたのが錦糸町のすし屋だった。

■恩人に出会う
そのすし屋は店長、板前さんで営まれ、私は出前を担当することになった。当初、「よろしくお願いします」という日本語しかわからず、お互いにボディランゲージと、英語をおりまぜ会話していた。半年ほど経ち仲良くなった頃、大学受験料の3万円を工面しなくてはならないという事情を知った板前さんが毎日お酒のビンに500円づつ入れカンパしてくれ、必ず出世払いしようと心に誓った。

また、お金が無かったので朝食は食べず、9:00から13:00に学校に行った後、すし屋のまかないまで何も食べられなかった。その事情を知った板前さんが店長に相談してくれ、それ以来、店長が毎日アルバイトの帰りに朝食用のパンを1個くれるようになった。

さらにアルバイトを増やしたいと思い、知り合いのマレー大学に留学していたエツコさんという方に仕事を紹介してもらい、土日もフルタイムで働くようになった。そこは、19時から21時まではディナーを食べながらバンド音楽を楽しみ、その後明け方までディスコになるところ。当初ホールで働いていたが、にぎやかだったので店長に相談し、外にある駐車場の担当に変えてもらった。200台ほど止められる大きな駐車場で車が来ない時は本を読んでいられたのでよかった。

当初、駐車場の売上は1~2万円程度だったが、近所のクラブなどの車を誘導したり工夫を重ねていき最終的に毎月40~50万円にまで増やすことができた。この時の経験は、いろいろと勉強になるものだった。

二夜目25日の放送内容のまとめは以下リンクを参照下さい。


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