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サミットと共に消えたジスカールデスタン

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 サミット(先進国首脳会議)生みの親ジスカールデスタン・元仏大統領が年末に94歳で亡くなった。
 
 48歳で大統領に就任し欧州連合EU)の政治統合を進めるなどヨーロッパのリーダーとして活躍してきたが、特筆すべき功績は何といってもサミットの創設に尽力したことだろう。
 
 ベトナム戦争と石油危機で世界経済が激しく揺さぶられた後、通貨が厳しく揺れ動き各国の協調精神も消えつつあった1975年に世界の指導者に問題を提起したのがジスカールデスタンだった。

「資本主義国はいまや嵐の中に突入しつつある。しかし主要国の指導者たちが真剣な対話をする機会を一度ももったことがない。私達は早急に新世界秩序を構築することを迫られている」と講演(75年10月、パリ工科大学の〝新世界経済秩序〟)したのである。このまま突き進むと第一次、第二次大戦のように戦争の時代を迎える可能性があると危機感を持ち、西独のシュミット首相にまず相談を持ち掛けた。仏・独は二つの大戦で戦った国だったが、戦後は両国の現代化と欧州復興に取り組む協力国となっていた。

 ジスカールデスタンは仏・独に英・米を加えた4ヵ国協議を提案したがシュミットは、第二次大戦で同盟国だった日本を加えるように説得し、イタリアも参加を望み第一回サミットはG6でスタートした。第二回から米国の要望でカナダも入ることになり今日のG7サミットが形成されたのである。

 サミットは当初、経済問題を中心に話し合う会議だったが、次第に対ソ連問題や途上国問題、中東・エネルギー問題など世界の重要課題を協議する首脳会議となり国連の安全保障理事会をしのぐほど影響力を持つようになっていった。

 私はこのサミットに第一回東京サミット(79年)から約30回にわたってサミット現場を取材してきた。現場でサミットを取材していると各国首脳の人柄や駆け引き、首脳間の相性などもわかって興奮したものだ。

 ジスカールデスタンは、サッチャー英首相を好ましく思っておらず、「彼女の念頭には仏独の連帯をぐらつかせることがあり、英国を率いていることにとてつもない誇りを抱いていることがわかった」(ジスカールデスタン「エリゼ宮の決断」)と指摘し、サッチャーもまた「仏大統領が私に親しみを感じていなかったことをわかっていたし、私も好意を持てなかった」(サッチャー回顧録)とあからさまに表明している。

 サミットは「アメリカ第一主義」を唱えるトランプの登場で開催されず、ジスカールデスタンの死と共に雲散霧消していった。

【財界 2021年1月27日号 第534回】

■参考情報
・G7多国間主義へ転換、首脳声明 ワクチン支援7900億円 2021年2月20日日経新聞
 日米欧の主要7カ国(G7)は19日、オンライン首脳会議(サミット)を開いた。会議後の首脳声明では「21年を多国間主義のための転換点とする」と明記した。トランプ前米大統領の下で深まったG7の亀裂を修復し、新型コロナウイルス危機や気候変動問題に協調して対応する決意を明確にした。 


画像:エリゼ宮 wikimedia commons Remi Mathis - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=20483417による

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