時代を読む

ジャーナリスト嶌信彦のコラムやお知らせを掲載しています。皆様よろしくお願いいたします。

~真夏の東京五輪を変えよう~

―最も良い季節を開催国が決めるべきだ―

10月10日は「体育の日」である。今は暦や連休確保のご都合主義で、10月10日にならず11日や12日になったりする。今年はなんと13日(月)だった。休みを増やす策とはいえ、日が変わってしまうとなんとなくうら寂しい。

私たちの世代にとっては、10月10日は、50年前の1964年東京オリンピックの開会式日なのだ。それを記念して10月10日を祝日にして続けてきたのに、10日が日曜日と重なれば休みが少なくなるということで、土・日と重ならないようずらすようになってしまったのである。

確かに祝日が土・日に重なると「損をした」気分にはなるが、それ以上に祝日の意味をかみしめ、故事来歴を思い出したり、話し合った意味があった。

今年のカレンダーを見ると、10月10日はなんと金曜日である。なのに、なぜ土日とも重ならないのに10日を平日にし、体育の日を13日にもってきたのか。歴史的な日を何の都合か知らないが、勝手に変えることは、オリンピックに汗と涙と労を流した人に失礼ではないかと思ってしまう。

 

―1964年は敗戦からの復活のシンボル―

 10月10日は、なんとなく選んだ日ではない。日本で初めて、アジアで初のオリンピックを日本で行うことに、日本人は現代の想像以上に誇りを感じていた。敗戦の跡の焼け野原から立ち上がり、ようやく近代国家の国造りやライフスタイルを整えつつあった頃である。新幹線が走り高速道路ができて、日本中が高度成長に邁進していた時代である。そんな時に東京オリンピック招致に成功したのだから、日本人全体が「敗戦から立ち直った日本を、オリンピックの舞台で世界に示そう」と意気上がっていたのだ。実際、オリンピックは、その後の成長のジャンプ台の役割もはたし、4年後の1968年には、国民総生産(GNP)でアメリカに次ぎ世界第2位の経済大国、GNP大国に踊り出ている。その地位は2010年、中国に抜かれるまで40年以上にわたり続き、日本の存在感を世界に示してきたのだ。

 それだけに日本オリンピック委員会は、開会式をいつにするかについて真剣に検討した。数年間の気象状況を調べ、オリンピック期間中にもっとも気候が安定し、晴天の日が続いて選手、観客がもっとも過ごしやすい季節はいつか――と気象庁などが総力をあげて調査した。その結果、得た結論が「10月10日開会式」だったのだ。ところが前日の10月9日は雨だった。関係者は「あれだけ調査して一番確率の高い日を選んだのに……」と冷や冷やしながら雨空を仰ぎ、「明日は晴れますように」と念じた人が多かった。

その願いが通じたのか、その翌日10月10日は、前日の雨がウソだったように空は真っ青に晴れ渡り、思い描いたような秋晴れのオリンピック日和となったのである。1964年東京オリンピックの開会式の日だけとっても、こんな歴史や思いがつまっていた。

 

―時代に影響されてきたオリンピック―

 近代オリンピックは、1896年、オリンピック発祥の地アテネで再開された。スポーツと平和、友好文化の世界祭典である。しかし、オリンピックの実情はその時代、時代の国際情勢や社会の動向に大きく影響されていることがわかる。

1964年の東京は、まさに敗戦から復興した日本を世界に披露する機会であり、その後の高度成長時代の礎をつくったとみることができる。同じ新興国のオリンピックとしては1988年のソウル、2008年の北京もその後の成長のジャンプ台になったと見ることができよう。

 

――暗いオリンピックも数々――

 しかし、不幸や悲劇もあった。1972年のミュンヘン(独)オリンピックでは、パレスチナ問題のこじれから、黒い9月(ブラック・セプテンバー)のメンバーがイスラエルの選手村などに乱入、選手など11人の殺傷事件が起きた。

また、1980年のソ連モスクワオリンピックは、前年にソ連アフガニスタンに侵攻したことへの抗議としてアメリカなど西側主要国がボイコット。さらに、その報復として1984年アメリカ、ロサンゼルスオリンピックは、ソ連社会主義圏がボイコットし、世界オリンピックとはならなかったのである。実は1940年には東京オリンピックが開かれる予定だったが、第二次世界大戦がヨーロッパから始まり“幻の東京大会”となっている。

 オリンピックが終わると、主催国や世界・国際社会にオリンピック・レガシー(遺産)を残すものだ。それはたんに記録や施設だけでなく、思想やスポーツのあり方など多岐にわたる。パラリンピックは1948年のロンドンから始まったと言われるが、いまやパラリンピック障害者スポーツの代名詞として年々盛んとなり、障害者を勇気づけている。

 

――2020東京五輪の日本のメッセージは?――

 さて2020年の東京オリンピックは、どんなレガシーを残すのだろうか。先日、東芝国際交流財団と日本経済新聞主催のシンポジウムが日経ホールで行われ、森喜朗日本オリンピック委員会委員長(元首相)、武藤敏郎JOC事務総長(元大蔵省事務次官)、岡村正・元東芝会長、太田弘子政策研究大学院大学教授、バラク・クシュナー・ケンブリッジ大学教授、キティ・プラサートスック・タマサート大学教授(タイ)などが参加し、講演やシンポジウムを行った。私はその討論会の司会を務めたが、さまざまな意見が出て興味深かった。ほとんど全員が、スポーツ以外にも何らかの東京オリンピック・レガシーを残せるよう、今から考えておくべきだという主張だった。

 ただ、50年前のように“成長”ではなかろうという点では同意見のようだった。成長は経済や日本にとって今後も不可欠なものだが、もはやかつてのような高度成長は望むべくもなく、せいぜい実質GNPは1±2%程度という見方が多かった。

経済で言えば、成長は絶対必要だが問題はその内容だ。岡村氏は「技術」、それも単なる今の延長戦にはないイノベーション技術で、オリンピックを飾りたいと夢を述べた。太田氏は、現在の産業の内容を見ると、もはやかつての中心だった製造業は20%強で、非製造業が80%近くを占めるといい、この非製造業部門の革新を促す発明、発見、イノベーションがオリンピックと重なって出現すると再び日本の世界に向けた発信力、存在感は大きくなると指摘していた。

 

――先進成熟国のモデルコンセプトを――

 早稲田大学でスポーツを専門にし、オリンピックの著作も多い間野義之教授は、少子高齢化財政赤字社会保障問題、貧困化と二極化など先進国特有の課題を抱えた先進国は非常に増えており、その解決策に悩んでいる現実を指摘。ロンドンオリンピックではボランティアの活動が目覚ましかったが、日本ではいま、地方の衰弱化が叫ばれているので、東京中心でなく地方も参加できる方法を考えたらどうかと提案していた。

たとえば、日韓ワールドカップを共催した時や愛知万博などでは、地方都市が世界の姉妹都市関係や新たに協力を呼びかけて、それぞれの国を応援したりした。大分県中津江村カメルーン応援は大いに話題になり、その後も交流があるという。また、参加国でまだメダルを取ったことのない国は多いので、日本の各競技のコーチ陣などが、その国にあった競技のコーチとしてボランティア活動をする案なども披露された。

 経済界の人々と話していると、やはり景気動向が気になるようで「オリンピック後の景気が見えない」という。五輪までは受注がありすぎて納期が間に合うか心配なので、むしろ受注を調整しているが、2020年以降は予測がつかないというのだ。だとしたら、景気だけから発想するのでなく、どんなレガシーを発信できるかといった視点から2020年の日本を考えてみるのも、重要なヒントになるのではないだろうか。ちなみに1964年に生まれた技術としては、新幹線、YS11、F1参戦のスポーツカー、ロータリーエンジン、ユニットバス、人口皮革などがあり、それがその後の新技術にも繋がっていった。その技術マインドもオリンピック・レガシーと言えるだろう。
TSR情報 2014年10月31日】