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ジャーナリスト嶌信彦のコラムやお知らせを掲載しています。皆様よろしくお願いいたします。

日曜(25日) TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』ゲスト:マレーシア人ビジネスマンの呉志豪(ドー・チハウ)氏 ニ夜目

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日曜(25日)のTBSラジオ 『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30~)は株式会社和の優グローバルCEOのドー・チハウ氏をお迎えいたします。

日本で学んだビジネス経験をもとに、日本の優れた製品やサービスを世界に向けて発信する会社の社長として、「アジア諸国と日本企業とを結ぶ懸け橋になりたい」と世界を飛び回る人生観につきお伺いする予定です。 


前回の21歳で日本に留学、日本語が不自由で失敗続きだったが、当時知り合った人々に助けられたことがきっかけで、日本でのビジネスを始めることになった経緯などにつきお伺いしました。日本で初めて雪を見たときの感想など、興味深いお話をいろいろして下さった放送音源は番組サイトにて来週水曜正午までお聞きいただけます。


ドー氏が上梓された書籍を合わせてご紹介いたします。

日韓関係はなぜこじれるのか

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日本は7月に入り韓国向け半導体部品などの輸出規制に踏み切り8月2日に閣議決定した。西村康稔官房副長官は「今回の措置は安全保障を目的とした輸出管理制度の適切な運営のための必要な見直しだ」と延べ、国際ルールに則った輸出管理の適正化だと強調した。

しかし、日本の狙いは元徴用工問題に関し韓国最高裁が昨年10月末、日本製鉄(当時は新日鉄住金)に賠償命令、さらに11月29日に三菱重工業にも同じく賠償命令を命じてきたことに対する対抗措置とみられている。実は政府は、昨年10月の韓国最高裁の判決直後から半導体の輸出制限や安全保障上の友好国である「ホワイト国」から韓国を除外する検討を進めていたのである。

■ 徴用工問題の背景
徴用工問題とは、韓国が日本の植民地だった第二次大戦前に朝鮮人を日本国内に連行し、鉱山などで徴用工として働かせていたことだ。大戦後になって元徴用工らの賠償問題は、1965年の日韓国交正常化の際に結んだ日韓請求権協定で日本が巨額の経済協力を約束。徴用工への被害の補償なども盛り込まれ、「今後対日請求についてはいかなる主張もなし得ない」と明記され決着がついたとみられていた。

■ 韓国最高裁が賠償の判決
ところが昨年秋、韓国の最高裁が日本企業の反人道的不法行為による強制労働(徴用工)は日韓請求権協定によって縛られないと判断し、日本企業に新たな賠償を求めたのである。これに対し日本政府は「両国が合意して決めた日韓の法的基盤を根本から覆すものだ」と反発。対韓輸出規制の強化やホワイト国からはずすなどの挙に出た。また、韓国側も対抗して日本をホワイト国から除外するなど両国の対立はエスカレートする一方の状況となっている。

■ 国内法重視か、国際法尊重か
韓国の文在寅大統領は「三権分立なので政府は司法判断に介入できない」とし、日本が判決を尊重するよう要求している。一方の日本は「国際法が国内司法を拘束するのは常識ではないか」と、かつて合意した国際法に従うよう求めている。話合いは平行線をたどったままとなっており、日本政府の取った対韓輸出管理の厳格化に対し、韓国では日本製品不買運動が広がっている。

7月初め日本の輸出管理強化が始まるとインターネット上に「日本品の不買運動に参加しよう」という呼びかけが行なわれ、韓国のスーパー、中小流通業者協会など27団体が運動への参加を表明して日本製品のボイコットが始まった。さらに日本の商品名をあげ国産品への買い替えを推進するリストなどもネット上に登場し、韓国の民間調査会社が7月25日に発表した世論調査では62.8%の人が「日本製品不買運動に参加している」と回答している。

■ 日本製品不買運動に進展
日本製品のターゲットとなっているのは、消費者に身近な商品でビール、ラーメン、化粧品など。売上はそれぞれ48%から20%減少しており、日本への旅行も7月8日以降の新規予約者数は前年同期比で50%以上減少、ユニクロの売上も3割減ったと報じられている。また、韓国の原告団は、韓国にある日本企業の資産を差し押さえ、現金化する手続きも進めている。

■ 日韓民間交流は年間1000万人
今の国連体制が生まれる前の日本の植民地支配の違法性を問いただせるのかどうかという国際法の問題のほか、現代の価値観が人権を重視する方向に向かっている時代だけに、日韓の食い違いを調整することは至難の問題でもある。だが一方で、日韓が国交正常化した1965年の日韓の往来者は1万人だったが、昨年は1000万人にも達している。民間交流は激増しているのである。特に年配層には反日感情が強く残っているといわれるが、若年層の間では日韓ともに「政治的な対立を経済や日韓交流に持ち込むべきでない」という意見が多い。両政府は今のところ積極的に和解に動く気配をみせていないが、放置しておくと民間の日韓交流にも悪影響を及ぼしてこよう。

日韓は歴史的にも衝突の多い国同士だった。それだけに政府首脳たちは腹を据えて友好に立ち向かわないと、ちょっとした衝突がのっぴきならない関係に陥ってしまうことに注意を払うべきだ。ここに北朝鮮が絡んでくると、事態はさらにややこしくなってこよう。何やら両国は歴史的怨念もあっていつも互いに突っ張りあっているようにもみえる。
【Japan In-depth 2019年8月16日】

※補足情報
・韓国大統領府府は12日、安全保障上の輸出管理で優遇措置を取る対象国から日本を除外する制度改正案を発表しました。

・韓国大統領府は22日、国家安全保障会議NSC)の常任委員会を開き、日韓の軍事技術や戦術データなどの防衛情報を共有することを定めたGSOMIA(日韓秘密軍事情報保護協定)の破棄を決定しました。それを受けポンペオ米国務長官は、韓国がGSOMIAの破棄を決めたことについて「失望した」と表明しています。

画像:Wikimedia commons(韓国・青瓦台

【戦争を考える1冊】シベリア抑留 ウズベキスタン・ナボイ劇場建設秘話「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」

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スタッフからのお知らせです。

戦後74年目の夏が過ぎようとしています。本ブログでは折に触れてご紹介していますが、戦後70年を迎えた2015年9月末に嶌はソ連(当時、現ロシア)によって満州からウズベキスタンに強制的に移送された日本兵による、タシケント市のオペラハウス「ナボイ劇場」建設秘話「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」を角川書店より上梓しています。

舞台となったウズベキスタンは、近年人気の旅行先としても注目され、人気を博し日本やヨーロッパを中心に世界中から多くの人が訪れています。

■シベリア抑留とは
本書の冒頭にも登場する満州日露戦争(1905年終結)以降、日本陸軍が統治していましたが、1945年8月9日のソ連侵攻によりソ連による占領が始まりました。

当時、ソ連第二次世界大戦で約2000万人を失い、経済的にも甚大な被害を受けました。その労働力不足を補うべく、スターリン満州にいた日本兵を捕虜として労働力に用いることを決定。それに伴ない、シベリアのみならず中央アジアなどソ連領土各地に移送され、強制労働に従事することになりました。

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■特殊業務
ソ連は、レーニンによる政権樹立を行なった1917年11月7日の革命30周年にあたる1947年11月までにこの劇場を建設することを決定していました。第二次世界大戦が始まり、土台と一部の壁、柱などが作られた状態で工事が中止。大戦後、革命30周年に間に合わせることを命題として、建築作業に適した日本の工兵457人の日本兵が強制的に従事することになりました。

ソ連の捕虜になった日本兵は合計60万人とも言われ、満州で捕虜となった方はシベリアなどで森林伐採、道路・鉄道建設に従事しており、この劇場建設の任務は特殊業務でした。 

■劇場完成とウズベク人との交流
ナボイ劇場は一級の劇場”ボリショイ”劇場としてモスクワ、レニングラードキエフに続く劇場として、1947年10月に完成しました。設計者はモスクワ・赤の広場レーニン廟」を設計したシュシェフ氏。劇場建設での日本人の働きぶりを見ているうちにソ連の収容所長やウズベク人たちは次第に日本人捕虜に敬意を表し、心温まる友人関係や地元女性との恋なども生まれています。

タシケント地震でも建ち続けた劇場~親日の由来~
タシケント市は1966年4月26日午前5時23分に直下型大地震に襲われましたが、ナボイ劇場は何事もなかったように何ひとつ壊れることなく凛として悠然と建ち続け避難所としても活用されました。

震源地はタシケント市中央部地下、マグニチュード5.2に達し、国連の調査によると、60年代までの世界の大地震の5本指に入るほどの大きさで、約240の政府系建物、700の商店・レストラン、約180の教育施設、250の工場、約8万の家が崩壊し、約10万人の人々が戸外に放り出され、街はほぼ全壊。大地震に倒れなかったナボイ劇場の伝説は、瞬く間にウズベキスタン国内や隣接するキルギスカザフスタントルクメニスタンタジキスタンなどの中央アジア各国に伝わり、1991年に中央アジア各国がソ連から独立した際に再び思い起こされ、日本をモデルとした国づくりをしようという動きつながりました。

■ナボイ劇場プレート日本兵たちを称えるプレート
劇場裏手の記念プレートには以前ウズベク語とロシア語、英語で「日本人捕虜が建てたものである」と書かれていました。これをみた独立後大統領に就任したカリモフ大統領は「ウズベクは日本と戦争をしたことがないし、ウズベクが日本人を捕虜にしたこともない」と指摘し、「捕虜」と使うのはふさわしくないと1996年に新たなプレートに作り変えられました。「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴォーイ名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した。」とウズベク語、日本語、英語の順に刻まれ、これを見た日本人の多くはこの史実を知り涙しています。

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■波乱万丈の感動秘話
本書はよく知られたシベリア抑留とは異なる波乱万丈の建設の物語で、捕虜たちは完成した時にロシア人にもウズベク人にも感謝されたという奇特な心暖まる話として多くの方に愛読いただいています。

シベリア抑留の悲劇に隠れ、ウズベキスタンのオペラハウス建設の秘話は日本人にほとんど知られていませんでした。ぜひ若き日本の抑留者たちの労苦と協力・和の精神が中央アジア全体に多くの親日国を作ったことにつながったことを知って頂き、満州抑留兵のもうひとつの秘話を広めて欲しいと思っています。 日本人論を再考し、感涙の一冊としてもぜひ多くの皆様にご紹介いただけると幸いです。

■ついに新書版が発売
本書発売から4年ほどが経過しているにも関わらず、いまなを感想を寄せて頂いています。そのおかげで、このたび新書「伝説ととなった日本兵捕虜ーソ連四大劇場を建てた男たちー」が9月7日に発売する運びとなりました。この場を借りてお礼を申し上げます。

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11日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』ゲスト:老舗フランス料理店『シェ・イノ』のオーナーシェフ井上旭氏 放送内容まとめ

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TBSラジオ 『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(日曜 21:30~)は様々な分野で志を持って取り組まれている方々をゲストにお招きし、どうして今の道を選んだのか、過去の挫折、失敗、転機、覚悟。再起にかけた情熱、人生観などを、嶌が独自の切り口で伺う番組です。2002年10月に開始した「嶌信彦のエネルギッシュトーク」を含めると間もなく17年を迎える長寿番組です。

これまで放送の告知のみを行なってまいりましたが、各界の素晴らしい方々の言葉を残したいと思い、今後放送内容の要約を本ブログに記してまいります。

11日は老舗フランス料理店『シェ・イノ』のオーナーシェフ井上旭氏をお迎えした通算881回目の放送でした。以下放送内容の抜粋をお届けします。

■日本でのフランス料理の広まり
日本でフランス料理が浸透したのは吉田茂首相や白洲次郎氏などヨーロッパに渡られた方々がご贔屓にされていたクレッセントハウス(現:レストランクレッセント)や料理人の志度藤雄氏(※)の存在が果たされた役割が大きい。その後、東京オリンピック(1964年)を機に日本に広まった。
(※)日本のフレンチの草分け的存在。吉田茂首相の官邸料理人

■料理人を志すきっかけ
当時、家督は長男で次男は外に働きに行かなくてはならなかった。出身が鳥取県で京都や大阪に集団就職する人が多く、京都の染物会社に就職。当時の初任給は3800円くらいだった。この仕事にむいていないと思い、京都駅前の「駅前ステーションホテル」に入ってから料理の道を志した。

その後、料理の道を究めるにはヨーロッパに行かないといけないと感じ、英語のできる同僚に履歴書を書いてもらい応募。兄が畑4反を売って28万円ほど作ってくれたお金を借り、アンカレッジ経由で21歳の時に渡欧。

■看板メニューの誕生
スイス、ドイツ、ベルギーを経て、フランスへ。トロワグロのアシスタント、71年~72年マキシム・ド・パリで働く。帰国後「レカン」の料理長時代に生み出したのが今だに人気のある「マリアカラス」という料理。羊の油をとると臭みはなくなり、フォアグラ、トリュフを入れてパイ包みにしたもの。これは、今なお看板メニューとして人気を博している。

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■華やかなパリのフランス料理店
マキシム・ド・パリは貴族も集い、品格が漂う店だった。貴族の集いでは、チップがはずまれていた。

また、トロワグロ兄弟が作る料理はおいしく、人柄がにじみ出る料理だった。一流のお店には一流のお客様が来店し、男女とも品格が問われ、会話の内容も上等でさまざまなことをトロワグロで学んだ。金曜日、オペラの終演後にドレスアップした姿でお店に来られていた姿はみんなかっこよかった。

■今の日本のフランス料理について思うこと
日本におけるフランス料理はまだ最高峰とは言えず、まだまだやることはある。今の若手が迷っているのは、フランス料理の最高峰を知らずにフレンチを作っているから寿命が短い。木の幹が太くないと厳しい。60年代のフレンチが基本だがまだまだ・・・

■お客様からの教え
10代にがむしゃらに遊んだことが人間形成につながっている。遊んでいない人はいいことが出来ない。例えば相手を殴って痛みがわかり、加減もわかる。まさに「いい加減」。また、いいお客様にお越し頂き、人間を研かせていただいたことが今、良い方向で生きていられることにつながっている。

30代は社会のために、40代になると育成につなげていく。若手には「金を追いかけるな、ロマンを追いかけろ」と伝えている。

■食を通して希望を届ける
最後までおいしいものを食べたい。食は人生の希望。ガンを患って、この先生がいるからこの先生に任せれば大丈夫という心の安心を感じたようなことを食を通じて届け続ける存在でいたい。

■人の育成
日本のフランス料理はフランスの技術を求めきっていない。フランス文化の歴史をもっと勉強し、基礎体力をつけて30歳までに力をつけ新たなことに対抗すればよい。ボキューズ・ドール(※1)という料理コンクールの中には文化があり、文化が無かったりお金を文化にするというのは国力が問題。どういう目標で食文化を育成するのかをもう少し考えていかないと負けてしまう。また、そのコンクールにお金がかかりすぎるという問題もある。

先輩や自分たちは上司に殴られてもその中に愛があり平気だったが、今料理界にも働き方改革の問題が出てきて、あまり厳しく出来ない。そんな状況だが、本物を本気でやる人間性が育っていない。私はこれまで命をかけて仕事をしており、第三者から見たら厳しいかもしれないが、ダラダラ育てても成果は出ず、それが愛ということを理解してもらわないと世界一を取ることは厳しい。
(※1)1987年にポール・ボキューズが創設した世界最高峰の料理コンクール。奇数年の1月にフランス・リヨンで開催されている。日本は第1回大会から出場。

■一流と考える水準
「シェ・イノ」は私が一流と考える水準からまだ7合目。あとの3合は、人の育成。お店を担える次世代を育成していく。国を背負ってやれる器量がないと厳しい。

自分の人生は最後の最後まで良いものを食べ、いい話を聞き、楽しい会話をし続けて全うしたい。これまでさまざまなお客様と接してきたが、人間の考え方や品性がお金の使い方にも出てくると感じている。

今回の放送音源は番組サイトにて、明日正午までお聞きいただけます。ご興味をお持ちの方は合わせてお聞きいただけると幸いです。


井上氏を取材された新書や料理本を合わせてご紹介いたします。ご興味をお持ちの方は合わせて以下を参照下さい。


18日は、ゲストに株式会社 和の優 CEO ドー・チハウ氏をお迎えし、21歳で日本に留学、日本語が不自由で失敗続きだったが、当時知り合った人々に助けられたことがきっかけで、日本でのビジネスを始めることになった経緯などにつきお伺いしました。日本で初めて雪を見たときの感想など、興味深いお話をいろいろして下さいました。音源は番組サイトにて来週水曜正午までお聞きいただけます。

昨日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』ゲスト:マレーシア人ビジネスマンの呉志豪(ドー・チハウ)氏 一夜目

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日曜(18日)のTBSラジオ 『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30~)は株式会社和の優グローバルCEOのドー・チハウ氏をお迎えいたします。

21歳で日本に留学、日本語が不自由で失敗続きだったが、当時知り合った人々に助けられたことがきっかけで、日本でのビジネスを始めることになった経緯などにつきお伺いしました。日本で初めて雪を見たときの感想など、興味深いお話をいろいろして下さいました。

次回も引き続きドー・チハウ氏をお迎えし、日本で学んだビジネス経験をもとに、日本の優れた製品やサービスを世界に向けて発信する会社の社長として、「アジア諸国と日本企業とを結ぶ懸け橋になりたい」と世界を飛び回る人生観につきお伺いする予定です。 

ドー氏が上梓された書籍を合わせてご紹介いたします。

老後の安心には2000万円も必要! 給与、年金減少で今から準備!?

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 先進国では高齢化が進み、”人生100年時代”に向けた議論が高まっている。日本では金融庁が「夫婦で定年後に95歳まで生きるには、約2000万円の金融資産が必要」との試算を提示したため国民にかなりの衝撃を与えている。

 かつては退職金と年金給付があれば老後生活は安心して営めると考えられてきた。しかし最近は長寿化の影響や退職金給付額の減少、さらに公的年金の給付水準も当面低下すると推定されてきたため、金融庁ではこのほど「年金暮らしの無職の高齢夫婦(夫65歳以上、妻60歳以上)では、毎月の赤字額が約5万円に上る」と報告。今後20~30年生きるには1300~2000万円の貯蓄が必要だと公表した。特に少子高齢化がさらに進めば、今までと同水準の年金給付を期待することは難しく、公的年金だけで満足な生活水準を保てるか不明だと指摘した。これまで政府は「年金があれば100年安心」と宣伝し、100歳の長寿時代を迎えても、年金をきちんと支払っていれば十分に乗り切れると宣伝していた。

 ところが今回、長い老後を暮らすためには、年金などの”公助”だけでなく国民自ら”自助”を促す指針を示したのだ。
 
 それによると現役時代は教育費(公立で765万円、全て私立だと2463万円)や住宅購入費(1900万円~4500万円)、結婚、生活費358万円ほど要するので少額でもよいから資産形成の行動を起こし、分散投資などを活用する。退職前後は、当座の生活資金を確保した上で、もう少し長く働くことを検討する。
 
 70歳前後の高齢者になったら自らの資産の計画的取り崩しや介護が必要になった場合のお金の管理の方法などを検討しておく──などを計画・準備することが必要と勝手な事を訴えている。
 
 2018年の人口動態統計によると死亡者数から出生数を引いた自然減は44万4000人で初めて40万人を超えた。出生率は1.42と3年連続で低下し、さらに進む可能性が強い。政府の希望出生率は1.8だが、実情の子育て支援策などからすると実現はまだまだ遠いだろう。
 
 人口問題研究所によると、一人暮らしの65歳以上の高齢者が2040年には全世帯に対する割合で3割を超すと予測されている。高齢世帯が安心して暮らすためには2000万円でも万全ではなく、介護サービスや地域の助け合いなども必須条件となってくる。政府の対策は口先ばかりのものが多く、実行が伴っていない。いまや”待ったなし”の状況下にあることを認識し手を打たないと間違いなく手遅れになってしまうだろう。
【財界 2019 夏季第2特大号(2019年7月23日号) 第499回】 

日曜(18日) TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』ゲスト:マレーシア人ビジネスマンの呉志豪(ドー・チハウ)氏をお迎え

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日曜(18日)のTBSラジオ 『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30~)は株式会社和の優グローバルCEOのドー・チハウ氏をお迎えいたします。

21歳で日本に留学、日本語が不自由で失敗続きだったが、当時知り合った人々に助けられたことがきっかけで、日本でのビジネスを始めることになった経緯などにつきお伺いする予定です。

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