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東京五輪後の日本の進路 どんな国をめざすのか

1964年(昭和39年)の東京オリンピック当時、私は大学生だった。詳しい記憶はほとんどないのだが、先日、50年前の東京五輪当時の日本をふり返る映像特集を見た。当時の白黒映像を見ていると、日本はあの頃に高度成長への社会的・経済的基盤を整えたのだな、ということが改めてよくわかった。

 新幹線、地下鉄、モノレール、車社会に備えた首都高速道路や都内の上下水道の整備など都市インフラが急速に整った。新幹線開通は、五輪の約10日前だったなどと聞くと納期や計画をきちんと守る当時の空気がよく伝わってくる。東京23区のゴミ収集車導入もこの頃だった。

 それ以前の日本製品(メイド・イン・ジャパン)は、今日のような世界的信頼を得ておらず、むしろ〝安かろう、悪かろう〟の印象を与えていた。高いけど良い物は舶来品(欧米製品)に限ると日本人自身もみなしていた。しかし五輪は高度成長への基盤作りだけでなかった。日本全体が国際規準を上回る良質なものを作れることを世界に示そうとする意気込みが民間企業や日本人にもあったのだ。

 五輪競技の衛星中継を世界21カ国に向けて実現し、競技結果の即時の収集配信のため、電子計算機によるオンラインシステムを構築したのもこの時。国際基準に引けをとらないホテルやサービスを充実させようと、五輪までにパレスホテル、オークラ、ニューオータニ、東京プリンス、東京ヒルトンなど1000室規模で、サービスを含め外国人対応ができる現在の国内一流ホテルの新築ラッシュも60年代初めからだった。今は当たり前となっているホテルの鉄板焼き料理も五輪で訪日する外国人向けに考え出されたという。またホテル不足を補うためボランティア民泊を申し出る家も募集した。公共予算によるインフラ作りだけでなく民間企業、国民が世界の一流国に肩を並べるのだ、という気迫に満ちていた。和食ブームやクールジャパンの原点もこの時にあったとみることができる。そんな当時の熱気や、五輪成功で欧米先進国に追いつきたいという気概をもっていた人々が今日の世界の最先端を行く国をつくったのだ。

 いまや最先端、成熟国になってしまっただけに2020年の東京五輪といっても、もうひとつ熱気や支持が国民に広がっていない。2020年五輪の組織委員会事務総長をつとめる武藤敏郎元大蔵省次官・日銀副総裁は「今後どうやって気運を盛り上げていくか」が課題だという。21世紀に入ってから五輪はスポーツの祭典であると同時に、後世に開催国や開催都市にどんなレガシー(遺産)、それもたんなる記念碑ではなく未来に向けた前向きのメッセージを残せるかが新しい五輪憲章で求められている。

 いま21世紀の日本はどこへ進むのか国民的合意が見出せておらず、それが先行き不安や日本のアイデンティティー喪失にもつながっているようにみえる。成熟国家のモデル、真のグローバル化、集団自衛権をもつ国、世界で一番住みたい国、クールジャパン──など、日本の進路を国民的に議論する良い機会だ。

【財界 2015年2月10日号 392回】

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