時代を読む

ジャーナリスト嶌信彦のコラムやお知らせを掲載しています。皆様よろしくお願いいたします。

4日のTBSラジオ「日本全国8時です」の内容~派閥政治から政治の活気を考える~

スタッフです。
4日の「森本毅郎・スタンバイ」の「日本全国8時です」の放送内容をお届けします。

テーマ:懐かしき派閥政治。あの頃は政治に活力があったが、今は・・・

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今日は最近あまり耳にしない懐かしい言葉になりつつある「派閥政治」を取りあげたい。なぜこの話題を取り上げるかというと、YKK山崎拓氏・の中心であった中道の中心である加藤紘一氏が亡くなられたのと、7月に山崎拓氏(元自民党副総裁)が 「YKK秘録(講談社)」を出版された。書籍にはYKKはどのような政治活動をしたかということが活き活きと描かれている。つい数日前にこの出版記念パーティーが都内で開かれ、小泉純一郎元首相、著者の山崎拓氏、そして、先日亡くなられた加藤紘一氏の三女の鮎子氏(衆議院議員)が集まりYKK派閥時代を振り返った。


【政界が少し停滞している・・・】
そこで印象的だったのは小泉氏の挨拶で、今の政治について「政界が少し停滞している。YKKの政局が注目を浴びた当時と違って、活気がない。もっと活気を出せ」というようなことを述べた。今、安倍首相に遠慮してなんとなく意見を言わない空気で、政治家たちも非常におとなしくなっている。派閥政治は非常に問題もあったが、派閥政治時代の政治というのはいったい何だったのかということを振り返ってみたい。


【一時代を作ってきた派閥】
派閥はそれぞれの時代に有名なものがあった。一番有名なものは「三角大福中」で、戦後の一時代を作った。

三=三木武夫
角=田中角栄
大=大平正芳
福=福田赳夫
中=中曽根康弘

それぞれ個性的で強いリーダーシップをもっており、5人全員が非世襲議員であった。そして、この5人は派閥の創業者でもあった。この当時なぜこんなに活気があったのかというと、皆「日中の田中、財政の福田 、国鉄改革の中曽根」というようにそれぞれが個性を持っていた。そして、三木派は「ハト派集団」、中曽根派は「タカ派集団」。財政に関しては、田中派は「財政出動派」、福田派は「緊縮財政派」。こうした個性の違いが政策論争となり、自民党を非常に活気づけ、バランスを保っていた。しかしながら、今はそういうものが無くなったと、皆感じているのだと思う。この5人は皆、総理大臣になられた方々でもある。

この後、「安竹宮」という時代もあった。
安=安倍晋太郎氏(いまの安倍晋三総理の父)
竹=竹下登
宮=宮沢喜一
安倍晋太郎氏は病気で亡くなられたが、竹下氏、宮沢氏は総理大臣になられ、皆、政治を活性化させたという点もあった。この3人は中曽根氏の後を引き継ぐような形になったが、その後YKK時代がくる。


YKKで政治をかきまし、政治を活性化しよう!】
このYKKは派閥かというと、必ずしもそうではなく、3人とも出身派閥が違う。加藤氏が、腹を割って話せる仲間をつくろうじゃないかと山崎氏にもちかけ、もう一人誰を入れるかとなった時に「小泉氏はどうだ」と山崎氏にいうと「小泉氏は少しエキセントリックじゃないか・・・」ということだった。そこで、加藤氏が小泉氏と話をして、小泉氏は「俺はエキセントリックだよ。でも、面白い男だ。」ということで、3人で政治をかきまわし、政治を活性化させるために時の権力者に対してモノを言っていこうというグループが結成された。


【戦国武将に例えるなら・・・】
3人を戦国武将に例えると、以下のようにいわれている。
家康タイプ=山崎拓氏(鳴かぬなら、鳴くまで待とうホトトギス
      自分の手でに政権が掴み取れるまで、自然に任せた
秀吉タイプ=加藤紘一氏(鳴かぬなら、鳴かせてみようホトトギス
      「加藤の乱」を起こして失敗するが、織田信長の草履を懐に入れて信長に 自分の存在を 認めさせたように、頭を使い、知恵を使い出世していく
信長タイプ=小泉純一郎氏(鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス
      反田中勢力、郵政民営化のように乱を起こすタイプ。徹底的に中世的な勢力を打破し、 自分に反抗する勢力を打破そて力づくで登りつめる


【政治の活性化と共に派閥の衰退となったYKK時代】
YKKは政治を活気づかせた。自分に抵抗する勢力に歯向かい、打破し、そして小泉氏は力づくで政権を取っている。小泉氏が政権の座についた際、YKKは味方したのかというと必ずしもそうではなく、それぞれ別の活動をしている。しかしながら三人はしょっちゅう集まっていた。YKK秘録を読むと、月に2、3回は料亭に集い、政治を活性化させるための議論をしている。

一方で派閥は諸悪といわれ、派閥が急速に衰退し始めた。これはなぜかというと、「政治とカネの問題」が大きい。派閥順送りの人事が適材適所でない人事を生み、派閥間の抗争「角福戦争」などがしばしば政治的混乱をもたらしていた。総理、総裁の座を巡る熾烈な戦いが、 結果的に「政治とカネ」の問題を引き起こし、族議員が出現し、金権政治が批判により汚職が明るみとなった。このことによって、この頃から「派閥」はよくない流れになっていく。


【同時期に政治改革も】
もう一つの要因としては「政治改革」。「中選挙区制」から「小選挙区比例代表並立制」に変化し、派閥に入るトクが失われた。このことは非常に大きい。これまでは派閥が推して、中選挙区には複数候補がいたので押し込めたが、小選挙区になると1人なので党が力を持ち、幹事長か総理が力を握る。このことによって幹事長や総理に対してモノが言えなくなるという状況になった。私は1、2年生議員と一月に1回程度議論をするが、派閥に入らないという人も徐々に増えてきた。政党助成金が出来、カネの威力が消えた。政党助成金は党におカネが入り、党が力を持つようになったということも非常に大きな要因であると思う。

そういう意味でいうと、派閥の存在意義が無くなってきた。かつては、派閥の存在意義はあり、政策、教育機関として人を育てるということがあった。今は総理や幹事長に気に入られると育てられるというようになり、派閥とは関係なくなってきた。今や派閥は仲良し倶楽部に毛が生えた程度で、意味がないと感じる人が多くなってきている。そして、それが安倍一強体制を作っているともいえる。


政策論争から政治の活性化を】
現在の一強体制は、強いようでいて、その反面単一の弱さを感じるところもある。それに対抗しているのが、今の小池百合子氏かもしれない。小池氏は都民ファースト、コンパクトなオリンピック、無駄遣いしないなどの自分の原則を決め、そこでガンガン押していき世論を味方にしている。こうなるとかつての派閥の長もなかなかモノをいえなくなるという側面もある。考えてみると小池氏は派閥を渡り歩き派閥の権化のような人だが、その人が脱派閥になった。渡り歩いたが、自分を忘れなかったというところが大きかったのだろう。皮肉な結果ではあるが、世論を味方に自分の意見を持つということが、これからは大事なのかなというように思う。

民進党ももう少しまとまっていないと力になりにくく、下手すると無くなる可能性もある。一強の自民党にも問題がある。政治をもう少し面白くしてほしいと思う。その為には、政策論争をやり、少し派手に議論をしてほしいとも思う。

※画像は加藤鮎子氏サイトのブログ「『ykk秘録』出版記念会にて祝辞をのべました 」より

9日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』 ゲスト:新浪博士様(埼玉医科大学国際医療センター心臓血管外科センター長) 

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スタッフです。次回9日(日)のTBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30-22:00)は、先週に続き埼玉医科大学国際医療センター心臓血管外科センター長の新浪博士様をお迎えしいたします。

順天堂大学助教授時代に師事した天野篤氏から直々に伝授されたことや 、ローソン代表取締役CEOを務める兄の新浪剛史氏から学んだことなどをお伺いする予定です。

 

前回の外科医を「職人」であり「手術は生活の一部」と考え「生活の8割は心臓外科医」と 言い切る理由や、日本の心臓外科医でトップクラスの手術数をこなす中、集中力を維持する秘策など についてお伺いした音源は番組サイトにてお聞きいただけますので、お聞き逃がしの方は合わせてご利用頂けると幸いです。

リンク:埼玉医科大学国際医療センター心臓血管外科センター様のサイト 

拙著ノンフィクション「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」を江上剛様がアサヒ芸能の書評で紹介下さいました

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本日発売のアサヒ芸能10月13日号の書評欄『江上剛「今週のイチ推し」』(114ページ)にて作家の江上剛様が昨年9月末に上梓した「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」(角川書店)を紹介下さいました。過分のお褒めを頂き恐縮ですが、ご紹介します。

※画像は江上剛様のブログより 

異国に捕えられながら和の精神を貫いた日本人たちの姿に感涙!

 第二次大戦後、多くの日本兵ソ連(現ロシア)の捕虜となった。私たちには悲惨さだけが共有されているのだが、まさか本書のような心温まる事実が、中央アジアウズベキスタンであったことを知り、心底から驚いた。

 1966年の4月、ウズベクソビエト社会主義共和国の首都タシケント市が、直下型の大地震に襲われた。しかし、国内の4大オペラハウスのひとつと言われた、ナボイ劇場はどこひとつ崩れることなく、悠然とたたずんでいた。この姿は市民たちを強く励ましたが、実は、ナボイ劇場を造ったのは日本人捕虜たちだったのである。

 日本人は、捕虜なのになぜこんな素晴らしい仕事をしたのだろうか。タシケント市民は不思議がったそうだが、その思いは私も同じだ。しかし本書を読み進めていくうちに、どんな逆境にあっても、素晴しいリーダーの指揮の下で日本人としての誇りを忘れない、捕虜たちの姿がまざまざと浮かんできたのである。

 永田行夫大尉は、満州で航空機などの修理を担当していたが、敗戦でソ連の捕虜となり、タシケントに送られた。そこで任さられたのはオペラハウス「ナボイ劇場」の建設。永田は捕虜457人の隊長として指揮を執ることになる。永田は「全員無事に帰国」という任務を果たすことに命を懸ける覚悟を決めた。


(中略)収容所長は永田を度胸もあり、合理的な考え方をする人物だと絶賛し、「なぜあなたは、リスクを冒してまでこんなことをやるんですか」と訊く。

 これに永田は、「自分は隊長であり、皆に日本人として恥じない仕事をやり遂げようと言ってあります」と答え、収容所所長に対して日本人の和の精神を説くものだった。すごい日本人がいたものだと感動する。また収容所所長も、永田の人間性を認めるところが素晴しい。

 本書には永田と一緒に苦労した隊員たちも、実名で生き生きと描かれている。もしかしたらあなたの縁者の方も登場するかもしれない。彼らは、市井の普通の日本人ばかりだからだ。
(中略)

 本書を読むと、今の時代の私たちが恥ずかしく思える。豊洲新市場や新国立競技場など、官僚の無責任な仕事ばかり連日耳にする。また、地方議会では政務活動費の不正流用がまかり通っている。本当に目を覆うばかりの惨状だ。

 永田のように捕虜になっても権力者であるソ連に媚びることなく、部下を全員帰国させるという使命に殉じる人物に比べれば、日本人は明らかに劣化したと言わざるを得ない。そんな反省をしながらも、爽やかな感動に包まれる1冊だ。 


 発売から1年余りたちますが、本当にうれしい限りです。昨年は戦後70年ですが、今年はシベリア抑留から70年目の年になります。秋の夜長に日本人論を再考し、感涙の一冊としてもぜひ多くの皆様にお読みいただければ幸いです。

27日のTBSラジオ「日本全国8時です」の内容~先進国一多い日本の祝日 休日取得の工夫を~

スタッフです。
27日の「森本毅郎・スタンバイ」の「日本全国8時です」の放送内容をお届けします。

テーマ:祝日急増は問題だ!

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【先進国一祝日の多い日本】
先週は敬老の日秋分の日がありシルバーウィークで出かけられた方も多いと思う。今日はこうした日本の祝日を取り上げてみたい。今年から「山の日」ができ、これによって祝日がない月は6月だけとなった。先進国で日本が一番祝日が多い。

1965年の日本の祝日は9日間だった。今や祝日を月曜日に移動しハッピーマンデーとして土曜日から3連休としたことにより、祝日がものすごく増えた。現在日本の祝日は、年間16日もある。

他の国を見てみると・・・
米:11日
ドイツ・フランス:10日
イタリア:9日
イギリス:8日

上記からもわかるように先進国では最多。そこで国民は喜んでいるのかというと、喜んでいる人もいれば、そうでない人もいるという話を今日はしてみたい。


【働き過ぎが経済摩擦の要因に!?】
なぜこんなに祝日が増えたかというと、日本人は働き過ぎで経済摩擦の大きな要因だった。1980年代欧米では年間1800時間の労働時間だったが、日本は2200時間ぐらいの労働時間。日本の労働は、サービス残業で残業の賃金を払っていない労働が中心だった。この労働時間は世界でもずば抜けて長く、これはまさに労働の安値輸出、いってみれば不正な競争だと世界から批判された。日本人自身もバブルで疲弊しており、もう少し休みが欲しいという状況。そういうことから、祝日が徐々に増加していった。


【格差拡大の要因に・・・】
ところがバブル崩壊と同時に稼げない時代に突入。休日が多いと公務員や会社員はいいが、非正規で働いている方々からすると時給であることが多いので、労働をしない日はおカネをもらえない。そういう意味でいうと、ここでも格差が拡大する要因となってきた。このことが政府にとっても大きな問題となり、昨日安倍首相は「一億総活躍のカギは働き方の改革だ。」として「同一労働同一賃金」の実現を掲げ、「非正規を一掃しよう」ということを強調している。そういう意味からも、同一労働同一賃金にしないと格差が拡大し、格差は拡大し、不満も増加する。ただ祝日を多くすればいいというのは間違いだということに気が付き始めたのではないかという感じがする。そういうことから、日本の祝日は少し多すぎるという視点から考えてみるのも大事なのではないかという気がする。


【ハッピーばかりではないハッピーマンデー】
働き盛りや大企業のサラリーマンにとっては、休日の増加は望ましい。しかしながら、中小企業、零細企業や、シニア、主婦層など、さまざまな方々の意見を聞いてみると必ずしも歓迎しているとはいえない。零細企業の場合は休日に店を開けても人が来ないので売り上げが減少し、収入減になる。近年、団塊世代がリタイアし、普段から家でゴロゴロしている人も多く、奥さんはその分食事を作ったりしなくてはならず、主婦の仕事が増えたという人が多く、シニアにとっては休日増加の影響はあまり関係がない。

祝日が増加するのは一般的に喜ばれそうに見えながら、実は不満も結構ある。また、ハッピーマンデーで連休になるとお店自体がお休みとなり、収入が減るケースもあることからハッピーマンデーは考えものであるともいえる。

【実際に格差の根源との指摘も】
先に紹介した安倍首相の国会での話は、それらの事を考えての発言ではないかと思う。今年3月に安倍首相が非正規労働者9人と意見交換したところ、参加者からパートでは時給が上がらず年末年始などの休みが多く続く時には収入が減少し、正規社員との差が歴然となる、格差の問題はこういうところからきているのではないかという指摘もあった。

 

【企業側の対策は?】
企業側での対策として主に2つある。1つは具体的な方策としてテレワークの実施。在宅勤務の促進として祝日を法律上すぐになくすことができないなら休みに関係なく在宅勤務ができるような環境づくりを考えるというもの。「テレワーク人口実態調査」の2015年度版における先行導入企業のヒアリング結果をみると、「日本マイクロソフト」「カルビー」「中外製薬」「日本航空」「明治安田生命」「佐賀県庁」などさまざまな企業や自治体が導入している。実態は400~500万人と言われるが、海外での導入はもっと多い。こういった在宅勤務をもっと増やせば、給与も増加する。

2つ目は、祝日を減らし、有給休暇を取りやすい環境を作るということがある。日本の企業では有給休暇を付与されているもののなかなか取得することができない。そこで、有給休暇を正規、非正規を問わず取得できるようにする。フランスやドイツなどは、大型連休が地域別に分散している。フランスは学校の休みを地域ごとに分け、そこに合わせて休む。日本も日本列島は長いので、北と南で休みを変えても良いのではないか。それは地域に権限を持たせるというメリットもある。そういったことも1つの手であるように思う。


【祝日の取得方法の工夫を】
最近私が思うのは、祝日を地域ごとに分散されるのと同時に祝日の意味が徐々に薄らいできている。1月15日は昔から成人の日だったが、今年の成人の日は1月19日。いったい何の日だったのかということになる。休みにはそれぞれ古来の由来があるわけなので、由来をはっきりさせる上でも本来の日に戻す方が意味があるようにも思う。休みの意味が失われ、休みが多い方がいいとなったが、その反面ひずみも出て来ている。

今回は祝日が少し多すぎるのではないかという提言をしたが、批判も多いと思う。祝日を減らすというよりはどういう取り方をするかという工夫も必要ではないかと思う。

昨日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』 ゲスト:新浪博士様(埼玉医科大学国際医療センター心臓血管外科センター長) 音源掲載

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スタッフです。昨日のTBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30-22:00)は、埼玉医科大学国際医療センター心臓血管外科センター長の新浪博士様をお迎えした放送が番組サイトに掲載されました。

「手術は数こそ質なり」
外科医を「職人」であり「手術は生活の一部」と考え「生活の8割は心臓外科医」と 言い切る理由や、日本の心臓外科医でトップクラスの手術数をこなす中、集中力を維持する秘策など についてお伺いしました。

次回も新浪様をお迎えし、順天堂大学助教授時代に師事した天野篤氏から直々に伝授されたことや 、ローソン代表取締役CEOを務める兄の新浪剛史氏から学んだことなどをお伺いする予定です。

リンク:埼玉医科大学国際医療センター心臓血管外科センター様のサイト 

ウズベク・カリモフ氏の死 成長路線に政情不安の影

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 中央アジアの中心的人物だったウズベキスタンのカリモフ大統領の死亡が報じられた。8月末から重態説が流れ、中央アジアにも混乱がくるのでは、と心配されている。


 カリモフ氏はサマルカンド生まれの78歳で1964年に共産党に入党。89年にソ連邦ウズベク共和国の第一書記に就任し91年にソ連から独立した後は、ウズベキスタン共和国の大統領となった。以来、今日まで四半世紀にわたり、カリスマ的な開発独裁者としてウズベクを統治してきた。


 わたしは、2000年ウズベクタシケントに日本センターと日本庭園が開設された時、中山恭子大使(当時)に付き添う形で庭を歩きながらインタビューした。目力があり何に対してもよどみなく答えていたのが印象的で、日本との協力について質問すると、立ち止まって「日本は大事な国だ。日本の成長過程を研究して取り入れたい」と滔々と続けた。日本人の勤勉さやモノ作り、研究への熱意、皆が力をあわせる協力の精神は今後のウズベクの国づくりにも必要だと、「日本はウズベクの国づくりの模範になる」と親日家、知日家ぶりを発揮していた。


 カリモフ氏とはその後も2、3回立ち話程度だったが会う機会があった。どの時もエネルギッシュで雄弁だった。ロシア、中国、アメリカに注目され、すぐ南ではアフガン問題を抱えていただけに、外交的にはむずかしい立場にあった。アフガン戦争時にはアメリカに基地を貸し、中国が主催する上海協力機構の有力メンバーで、ロシアとの関係にも心を砕いていた。


 中央アジアでは最も人口が多く2940万人。私が初めてウズベクを訪れた96年は2100万人程度だった。ただ二つの国を通らないと海に出られなかったため、もてる資源(ガス、レアメタル、石油、綿花など)の輸出が難しくインフラが課題だった。しかしそれも近年ロシア、中国のパイプラインにつながりガス輸出などがふえ、ここ2、3年の成長率は著しく街が整備されすっかり明るくなっていた。


 人口の大部分を占める若者は、民主化や自由化の進展に不満をもっていたが、成長で豊かさを実感できるようになったことと、過激なイスラム原理主義の運動を抑え込むためには仕方がないと考えているようだった。


 しかし穏健なイスラム国の中央アジアでも最近カザフスタンキルギスで爆破テロが発生し始め暗雲が出始めている。開発独裁的だったカリモフ氏の後継者がどんな政治を行うか、ゆっくり着実に成長し続けてきたウズベクは建国以来の正念場を迎えたといってよい。ただウズベクの若者は知的水準が高く数カ国語をこなす世代でもあるので、若い力も借りて難局を乗り切って欲しいものだ。
【財界 2016年10月4日号 第432回】
画像はWikimedia commons

2日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』 ゲスト:新浪博士様(埼玉医科大学国際医療センター心臓血管外科センター長)

スタッフです。次回2日のTBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30-22:00)は、埼玉医科大学国際医療センター心臓血管外科センター長の新浪博士様をお迎えする予定です。

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「手術は数こそ質なり」

外科医を「職人」であり「手術は生活の一部」と考え「生活の8割は心臓外科医」と 言い切る理由や、日本の心臓外科医でトップクラスの手術数をこなす中、集中力を維持する秘策など についてお伺いする予定です。

リンク:埼玉医科大学国際医療センター心臓血管外科センター様のサイト

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