時代を読む

ジャーナリスト嶌信彦のコラムやお知らせを掲載しています。皆様よろしくお願いいたします。

都立戸山高校卒、 古稀の人々の戦後70年論

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 先日、都立戸山高校卒業の友人から『私たちの〝戦争〟体験』と題する約160ページの小冊子をもらった。1962年に高校を卒業し、1943、44年に生まれた世代だから、断片的体験記憶だけで、ほとんどは敗戦直後の荒廃した日本の光景と幼児時代の思い出や親、兄姉などに聞いた話が中心である。終戦直前に生まれた自分と家族の戦中、戦後史が綴られているのだ。私は同世代なので、ついつい引き込まれて読んでしまった。

 当時の戸山高といえば、日比谷、西、新宿高などと並ぶ都内の名門校で、戦後の家庭環境からすると〝まず都立をめざす〟のが一般的だった。さすが往時の名門校の生徒が記しているだけあって、読み応えがあった。

 満州朝鮮半島からの引き揚げの苦労を綴った内容や東京の空襲を避けて地方に疎開した話、戦後の2部授業の実態、乏しい食糧事情と学校給食のこと──など私にも思い当たることが多く戦争と戦後のリアルな生活を蘇えらせてくれた。この手記のユニークなところは、たんに記憶をたどっただけでなく、その体験から憲法9条論や今後の日本の進むべき道などについても語っていることだ。昨年は戦後70年の日本論が沢山出てくると思ったが、意外に少なかった。しかし、この小冊子ではかなり率直に戦後70年論や最近の安保論争に触れている。

 各人は、戦後の日本の繁栄、成長は日本人が真面目に働き努力したこともあるが、やはり平和憲法の下で戦争に対し否定的な国づくりをしてきた精神がバックボーンになっていると自覚しているようだった。文章はみんな幼児期の具体的体験や親の戦死、母親の再婚、親類縁者の不幸などを率直に記しており、これまでの思いを吐き出しているようにさえ思えた。

「私が戦争を嫌いなのは全てが廃墟と化した焼け跡の灰の臭いが原体験としてこの身体に沁み込んでいるからだ。侵略戦争に赤紙召集された母の兄弟は二人とも戦死した……。戦後の日本社会を作りあげてきたのは日本国憲法で、私という人間の〝骨格〟になっている。したがって戦争のできる国にしようと画策している現状は生理的にも耐え難い。大学卒業後、総合商社で12年の海外勤務を含め多方面の仕事が出来たのは平和憲法のおかげだ。この持論を社内でも展開し続けたが、こうした世界観のために冷や飯を食うことはなかった。企業というのはあくまで仕事本位。一方、個々人の人格はその人の世界観によって裏付けられており、仕事をする能力と世界観の二つの要素がバランスよく育つ事が現代人としての必須条件であることを会社生活で深く学んだし若い人達にもぜひ肝に銘じてもらいたいと思う」──含蓄のある文章だ。
【財界 2016年3月8日号 第419回】