読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

時代を読む

ジャーナリスト嶌信彦のコラムやお知らせを掲載しています。皆様よろしくお願いいたします。

本日(10/24)の毎日新聞に加藤九祚先生を悼む嶌の寄稿が掲載されました

f:id:Nobuhiko_Shima:20090117144728j:plain

スタッフです。本日の毎日新聞5面総合欄の「悼む」に加藤九祚先生を追悼する嶌の寄稿が掲載されましたのでご紹介いたします。

加藤九祚(かとう きゅうぞう)さん 国立民族博物館名誉教授
肺炎のため9月11日(現地時間)死去・94歳

愛された「現場の人」
 加藤九祚さんと会った多くの人はその魅力に取り込まれたのではないか。文化人類学者にして65歳を過ぎてから考古学の道に入り、毎年シルクロードのあるイスラムの国・ウズベキスタンに行き仏教遺跡を掘り続けていた。「現場でポックリ倒れるのが一番いいかな」と言っていたが、今年9月発掘現場で本当に逝ってしまった。94歳だった。

 いつも顔に笑みをたたえ、人柄も素晴らしかったが、青春時代は約5年も極寒のシベリアで厳しい労働の日々を過ごした。上智大学在学中に満州に出兵し、敗戦で抑留へ。しかし嘆いても仕方がないとソ連に留学したと考えロシア語を猛勉強し4年を過ぎると通訳までしたという。

 帰国後は平凡社に入り百科事典の編纂に携わりながらシベリア研究に精を出し「シベリアの歴史」「天の蛇――ニコライ・ネフスキーの生涯」(大佛次郎賞受賞)などを執筆。1975年、国立民族学博物館の創業に関わって教授となり梅棹忠夫氏、陳舜臣氏、司馬遼太郎氏らと知り合う。

 酒を愛し、誰とでも隔てなく付き合う人柄は老若男女を問わず人を魅きつけた。「文化人類学というのは学才以外に徳がなければできない学問だ。加藤さんは天性この学問を耕す素質を持っており、世界中のどの文化に属する人も九祚さんの人柄がわかってしまう」と司馬氏はその魅力を語っていた。シルクロードに「加藤の家」を建て、歌も作って若い人と発掘と研究人生を楽しんだ現場の人だった。

 故カリモフ大統領も敬意を表し、教科書に加藤さんのことが掲載されている。また定子夫人も中央アジアの服装史の研究家として知られ、まさにご夫婦でウズベクを第二の故郷とされていた。
(日本ウズベキスタン協会会長・嶌信彦) 

※画像は2008年1月に行なわれた嶌が会長を務める日本ウズベキスタン協会の新年会でのトークショーの模様。

 

9月20日に、嶌がTBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ」の「日本全国8時です」にて加藤先生の功績をお話ししております。司馬遼太郎氏のコメント等掲載しておりますので、ご興味をお持ちの方は合わせて参照ください。

 日本ウズベキスタン協会のフェイスブックにも生前の様子が掲載されておりますので合わせてご紹介いたします。

改めて、ご冥福をお祈りいたします。