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ジャーナリスト嶌信彦のコラムやお知らせを掲載しています。皆様よろしくお願いいたします。

ロマンと経済の楽しみな地域に -日本と縁の深い中央アジア-

 

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 この6月に私が会長を務めるNPO法人日本ウズベキスタン協会が設立から20周年の“成人式”を迎える。発足した当初は、まさか20年も続くとは予想もしていなかった。20年前に「ウズベキスタン協会」といっても、多くの人は「ウズベキスタンて、どこにあるの?」と言い、パキスタンアフガニスタンの「スタン」の連想からか、「パキスタンの一部?」などとよく聞かれたものだ。

 ウズベキスタンカザフスタントルクメニスタンタジキスタンキルギスのいわゆる中央アジア5ヵ国は、1991年に旧ソ連邦から独立した。国土が一番広いのはカザフスタンで日本の約7倍。ただし人口は約1700万人。一方のウズベキスタンの国土は日本の1.2倍で、人口は2100万人を超え、中央アジア諸国の中では最も多く中心的な存在だ。このため世界各国の中央アジアの代表部は、日本も含め大体ウズベキスタンに設置している。中央アジアの人口は、2050年を過ぎると1億人になるとみられている。

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大航海時代までは陸の要衝
 中央アジアは砂漠と山々が多く、近代世界ではあまり重視されていなかったが、15-16世紀の大航海時代がやってくるまでは、西洋と東洋を結ぶ陸の要衝であり世界の中心だった。西洋の文物と中国の絹などの製品を交易する中継拠点で、特にウズベキスタンタシケントサマルカンドなどの諸都市はオアシス国家として栄え、東西の人々が行き交い、紀元前から今日の世界遺産となっている壮麗な宗教施設のモスクや建築物が建てられていた。私達が中央アジアにロマンを感ずるのは、そうした歴史があり、仏教なども当時のシルクロードを通じて伝えられたからだろう。

 また東西の様々な人種、人々がシルクロードを往来していたので数多くの言葉や文化が重要な意味を持っていた。現在は中央アジア各国の現地語のほかにトルコ語系、ペルシャ語系の言葉が通ずるようだが、大昔からグローバル化の中心であり多様性の“るつぼ”として存在感を発揮していたのである。

■21世紀に蘇ってきたシルクロード
 大航海時代に入ると、交易は海路が中心となり陸のシルクロードは次第に影をひそめロマンの場所として人々の記憶に残っていった。その後、空の時代、宇宙の時代となり、ますます人の記憶から薄れてゆき交通的にも遠くて行きにくい場所となってしまった。

 しかし、21世紀に入り再びシルクロードが蘇ってきた。世界のど真ん中にあり、もし今後ドバイのようなハブ空港が作られれば欧州、中東、アジア、アフリカなどへ行くのに最も短時間でいける近い場所になるからだ。

 実際、中央アジアを通る輸送路の建設構想が進んでいる。一つは中国が提唱する現代版のシルクロード経済圏構想だ。欧州と中国を結ぶ鉄道網の建設でシベリア鉄道とも繋がれる。現代の貿易は輸送インフラの有無が貿易だけでなく、地域の発展にも欠かせない大きな要件になっているからだ。この鉄道計画はカザフスタンを通って中国を結ぶ北路とサマルカンドタシケントなどウズベキスタンを通って中国と結ぶ南路となるようだ。

 このほか中東のドバイのようなハブ空港の建設と、海のないウズベキスタンには無関係だが、東アフリカからパキスタンバングラデシュなどを寄港地とするインド洋では海のシルクロードの構想実現化も進んでいる。いわば輸送路をめぐる覇権争いに大国の中国やロシア、インドなどが絡んでいるのだ。しかも中央アジア諸国はイスラム教を信ずる人が多いものの、どこも穏健なイスラム国なのでイスラムをウォッチする場としても地政学的に欧米や中国から重視されるようになってきた。

■日本ウズベキスタン協会の設立
 日本ウズベキスタン協会の設立は、アジア開発銀行総裁だった故千野忠男さんの勧めもあって、私が1996年にウズベキスタンを訪れたのがきっかけだった。当時はまだ低開発国の状態にあったが、各地をまわってみると親日的な人々が多く、新興開発国を目指して国を挙げ努力している姿が目立った。特に日本は、明治維新から近代へ移る過程で途上国から近代国家へ猛スピードで国づくりに成功したことを知られており、“日本に学べ”という空気が強かった。 

 しかも、第二次大戦の敗戦で満州などに抑留されていた日本兵捕虜数万人が中央アジアに連行された際、鉱山や道路建設森林伐採などで働かされていた日本人を目の当たりにしていた現地人が多かった。

 中でも満州からウズベキスタンタシケントに連れてこられた日本人航空工兵の技術者たち約500人が建設したオペラハウス「ナボイ劇場」は日本人が中心となって建設した。その現場で一緒に働いたウズベク人は、日本人の働きぶりや真面目さ、手先の器用さ、一つのことを皆で協力してやり遂げるチームワークの素晴らしさなどに舌を巻いた。

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 さらに劇場を2年の約束期限の2日前に完成させたり、親切に技術を教えてくれる日本人に敬意を持つようになる。しかも劇場完成から10年余りした1966年にタシケントで大地震が発生。市内の建物の大半は壊れたのにナボイ劇場だけはビクともせず建ち続けていた光景を見たウズベク人は改めて日本人に尊敬の念を持ち、中央アジア全体に日本人の評判が伝わっていった。

出征当時の永田行夫氏

 工兵部隊の隊長だった永田行夫大尉は当時まだ24歳。自分より年上の職人や若い兵たちを前に次のように説いたという。 

 「自分たちは捕虜なのだから真面目に仕事をやらなくてもよい、と思っている人も多いだろう。しかし、ソ連側はロシアを代表するようなオペラハウスを作りあげて欲しいと言っている。いい加減な仕事で手抜きをすることもできるが、この劇場が10年も20年も残るものだとすれば、いい加減なものを作って日本人が笑い物になるより、後世に残る立派な建築物にして“さすが日本人は違う”といわれた方が後々まで誇りを持てると思う。諸君らにはいろいろな思いがあるだろうが、ここはひとつ日本人の底力、素晴らしさを見せてやりたいと考えているがどうだろう」

 このひと声で、ビザンチン風3階建ての壮大なオペラハウスは今も残る歴史的建造物になったのである。予定の期限内に建設を終えた時、日本人収容所と工事現場を預かっていたロシア人将校は永田隊長の手をとり何度も感謝の念を表明したという。

 後に建物の銘板が作られた時、ソ連から独立したウズベキスタンのカリモフ大統領(当時)は「この劇場は日本の捕虜たちによって建てられた」と書いてあった“捕虜”という言葉に反対し、「ウズベクは日本と戦争をしたことがない。それなのに捕虜という言葉を使うのはふさわしくない」として捕虜という言葉を消して“日本人が建設した”と書き換えたと言い伝えられている。その銘板は今もナボイ劇場の壁に張られており、劇場を訪れる日本人旅行者はそのエピソードを知って涙を流す人が多いという。またその日本人の働き方を間近で見ていたウズベク人のジャリル・スルタノフ氏は、日本人の働いている姿や建設中の劇場の写真などを集め自宅を改造して資料館を建てている。(詳しくは拙著のノンフィクション「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」角川書店を参照下さい)

 f:id:Nobuhiko_Shima:20180601162821j:plain劇場のプレート

 このオペラハウス建設の物語は日本とウズベキスタンを強く結びつける絆となり、故カリモフ大統領の後を継いだミルジヨエフ現大統領も日本との絆を重視し、多くの留学生を日本に送り込んでいる。

 ウズベキスタンは多くの鉱物資源を持ち、農業や果樹園栽培も盛んで、現在は7%前後の成長率を誇る新興国として注目を浴びている。かつてはイスラム過激派集団の侵入を恐れて閉鎖的な国家運営を強いられていたが、新大統領ミルジヨエフ氏が登場してから日本など信頼をおける国々からのビザ無し交流などオープンな国づくりを目指し始めた。中央アジアの人口は今後50年以内に1億人を突破するとも見られている。中央アジア各国が密接に連係し、輸送インフラが整ってくれば日本を上回る市場にもなり得るといえる。ロマンとビジネスがある楽しみな地域になってきた。
TSR情報 2018年5月30日】

 トップ画像:完成直後のナボイ劇場 映画「ひいらぎ」より


 なお、嶌が会長を務めるNPO法人「日本ウズベキスタン協会」は今年創立20周年を迎え、6月16日(土)に会員向けの総会と終了後にファジーロフ大使をお招きして日本の印象や大使の人柄がわかるエピソードなどをお聞きするイベントを開催いたします。  

 この20年で日本でもウズベキスタンの名が広く知られるようになり、ウズベキスタン料理の人気も高まっています。そこで本イベントにもう一方、ウズベキスタン料理のあれこれを東京学芸大学日本語教育を学ばれ、ウズベキスタン協会のウズベク語講師を務めて下さっているフェルザホンさんもお招きいたします。アラブ料理、ロシア料理にも似たウズベク料理の話をお聞きし、日本料理の感想も話して頂こうと考えています。

一般の方のご参加を歓迎しており、堅苦しい話ではなくざっくばらんにウズベキスタンのエピソードをお伺いしたいと思っていますので、多くの方のご参加をお待ちしています。詳細は以下リンクを参照ください。

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