最近の京都府・舞鶴市におけるウズベキスタンとの交流
スタッフです。本ブログ等で京都府・舞鶴市がウズベキスタンとの交流を活発に行なわれている旨をお知らせしておりますが、今後のウズベキスタンとの交流に関して舞鶴市が新たな発表をされましたのでご紹介します。
発表された内容をご紹介する前に、舞鶴市とウズベキスタンと関わりを持つきっかけを簡単にご紹介したいと思います。すでにご存知の方はこの部分を割愛してお読みいただけると幸いです。
■引揚と舞鶴港
1945年の第二次世界大戦終結後、旧満州や朝鮮半島、南太平洋などの多くの国や地域に在留していた約660万人の日本人を速やかに帰国することを目的とした引揚が開始、呉を初めとした18の港を引揚港に指定しました。その一つに舞鶴港も含まれ、主に旧満州、朝鮮半島、シベリアからの引揚船を受け入れていました。
舞鶴港は1945年9月に引揚港に指定されて以来、1958年9月の最後の引揚船入港までの13年間、延べ346隻の引揚船が入港し66万2,982人が舞鶴港から日本に上陸しています。なお、引揚援護局のない神戸港の引揚事務も舞鶴引揚援護局で行なっており、その方々を含めると66万4,531人を受け入れしています。日本に帰国された方々は、舞鶴港の美しい景色を見て多くの方が涙したといわれています。
五郎岳からみたリアス式になった舞鶴の港の様子。
■ウズベキスタンとの関わり
シベリアからの引揚は、シベリア地区のみならず中央アジアからの引揚の方も含まれていました。2015年9月末に嶌が上梓したウズベキスタン・タシケント市にある日本人抑留者の方々が建設に携わられたオペラハウス「ナボイ劇場」の建設秘話「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」(角川書店)には主人公の永田様が舞鶴に帰国した際の様子が描かれています。
永田様は舞鶴港に着いてすぐに自宅に帰らず、舞鶴に滞在。必死に暗記したウズベキスタンの収容所の仲間の氏名、住所を記憶が鮮明なうちに紙に書き写し名簿を作られました。その後、自宅に帰りそれを元に手紙を書き、それが戦友会「第四ラーゲル会」の名簿となりました。
■ウズベキスタンとの交流が始まる舞鶴市
本書を読まれた舞鶴市役所のスポーツ振興課の小谷課長が嶌をたずねてこられ、嶌が会長を務めるウズベキスタン協会との交流が始まりました。その後、ウズベキスタン・タシケント市で私費で日本人抑留者記念館を開設している館長のジャリル・スルタノフ様が昨年日本を訪れた際に舞鶴を訪問したこともウズベキスタンと舞鶴市が関係を深める大きなきっかけとなっています。
■舞鶴市のさまざまな取り組み
その後、舞鶴市は昨年6月に2020年東京オリンピック・パラリンピックにおけるウズベキスタン共和国のホストタウンに登録され、学校給食でウズベキスタンの料理を出すなど様々なことに取り組まれています。
また、日本ウズベキスタン協会の協力によりウズベキスタンの日本人抑留者記念館で上映されている日本人抑留者の記録映画「ひいらぎ」を取得されました。今後、舞鶴市では学校の授業や舞鶴引揚記念館等で上映する予定です。
昨年11月に駐日ウズベキスタン共和国特命全権大使のファルフ・トゥルスノフ氏が舞鶴市を訪問し、倉梯第二小学校の生徒たちとともに給食に出されたウズベク料理を堪能
■舞鶴市の今後の取り組み
昨日の発表内容は2件あります。
①ウズベキスタンから国際交流員を受入
8月3日(木)にタシケント市出身で早稲田大学大学院修士課程国際関係学専攻卒のレ ・アルトゥル・エドゥアルドヴィッチ様が1年間赴任される予定です。
在任中は、2020東京オリンピックホストタウンとしてウズベキスタンとの相互交流に関する業務、2020年東京オリンピック・パラリンピック時のウズベキスタン選手団の事前合宿の調整・交渉、市民との交流活動に従事されます。
舞鶴市では2005年度から友好都市の中国・大連市から国際交流員を受入し、現在12人目です。ウズベキスタンからの国際交流員の受け入れは、北海道上川郡東川町に続き、全国で2人目となっています。
②ウズベキスタン事前合宿視察訪問団の来日
ウズベキスタンのホストタウンである舞鶴市では、レスリング競技と柔道競技の事前合宿が内定しています。8月4日から11日までウズベキスタン共和国政府及び両競技団体の関係者が来日し舞鶴市も訪れ、事前合宿関係施設等の視察や、市民や高校生との交流事業を行なう予定です。
■市民が一丸となって準備
先週末に、南舞鶴地域内の4小学校と1中学校の児童・生徒がオリンピック予選突破を祈念しながら折った鶴を同地域の高齢者が糸に通し千羽鶴を作りました。(トップの画像)これに、金の鶴とウズベク語のメッセージをつけて完成させる予定で、ウズベキスタンの国旗の色のように非常に綺麗な仕上がりとなっており、ウズベキスタンから来日される事前合宿視察訪問団の皆さんにお渡しする予定です。
現在、南舞鶴地域では子どもからお年寄りまで地域が一丸となって訪問団歓迎の準備をすすめており、丹後地区に古くから伝わる「丹後のバラずし」(ちらしずし)や、地域の方の大正琴、子どもの日本舞踊、舞鶴市民によるウズベキスタンの旗を振っての歓迎、みこしなどによる歓待を予定しているとのことでした。
画像は「丹後のバラすし」
物価目標2%は正しいのか
【まとめ】
・政府・日銀は物価上昇率2%の目標達成まで金融緩和続ける意向。
・日本の実質成長率(GDP)1~3%、景気はそれほど悪くない。
・政府・日銀は物価目標政策を見直す時期に来ているのではないか。
アメリカ、欧州、カナダなどの中央銀行は金融緩和の見直しへ助走し始めている。これに対し日本だけは、なお物価見通しの下方修正を続けている。大規模な金融緩和からの出口を見通せないのは日本だけになりつつあり、政府・日銀は物価上昇率2%の目標を達成するまで緩和を続けると頑なだ。世界的なデフレ傾向が依然続く中で、金融緩和策を続ければ、円安誘導批判や様々な副作用も出始めている。はたして2%の物価目標維持は正しい政策なのだろうか。世界経済全体の動向や今日のデフレ時代の特徴を根本的に検証し政策を見直してもよいのではないか。
■パフォーマンス酷くない日本経済
日本の景気は国際的にみても決して悪い方ではない。実質成長率(GDP)は、大体1~3%で、先進国の中ではEUより良く、移民で人口が増えているアメリカよりやや悪いといった傾向だ。日本の2016年度のGDPの実額(名目GDP)は約537兆円でアメリカ、中国に次ぎ世界第3位。80年代の平均4%台の成長に比べると見劣りするが、バブル崩壊、それに続く“失われた20年”、リーマンショック、3.11の東日本大震災などの大動乱を考えると、日本はよく頑張ってきたといえる。
しかも7月3日に発表された6月の日銀による全国企業短期経済観測調査(短観)によると、代表的な指標の大企業・製造業の業況判断指数は9ヵ月連続で改善している。大企業ではプラス17で2014年3月以来の高水準、大企業の非製造業はプラス23で、6ヵ月連続のプラスだった。9月の見通しも大企業の製造業・非製造業はプラス15、18と好調を持続する気配だ。
一方、中小企業の製造業はプラス7と四半期連続で改善し、07年3月以来の高水準という。また雇用水準は92年2月以来の「不足」超の水準が続き、人手不足感が一段と強まっている。さらに消費も持ち直しており国内百貨店の売上げ(大手3社)は前年同月比0.9~4.8%の伸びで高島屋の場合、免税売上げは前年比37.6%増、宝飾品は12.8%増で「個人消費は確実によくなりつつある」としている。ただ内閣府は設備投資の受注額が非製造業で低迷が続き、景気持ち直しの動きに“足踏みがみられる”とまだ悲観的だ。
しかし個別企業では好調なところが多く、ユニクロのファーストリテイリングの16年9月~17年5月の連結最終決算は前年同期比で売上高3.0%増、利益69.1%増という好調ぶりだ。また外食産業も人手不足でロボット開発や営業時間短縮などで対応しているという。
■金融政策だけ突出。国民が求める将来の安心。
要するに景気は決してひどいわけではないのに、物価はさっぱり上がらないのだ。目標の2%に達しないため、金融緩和を続ける一方である。日銀が年間で国債を80兆円買い、市中にカネをばら撒いていたが、量的緩和だけでは効果が上がらないとみるやマイナス金利政策を導入した。銀行が日銀におカネを預ける際に逆におカネを支払うという前代未聞の金融政策に踏み切った。量的緩和だけでなくマイナス金利政策まで動員したのだ。そこまですれば、銀行は日銀に預けるより市中に貸出し、設備投資などに資金がまわり出して景気がよくなり消費も増えると読んだのだ。しかしその思惑も決して成功していない。
■物価目標優先の副作用大きい
こうした背景にあるのは、企業や消費者は決して“明日の食べるおカネもない”という切羽詰った状態にあるわけではなく、むしろ先行きの明るい展望に確信がもてないので、とりあえず模様眺めで過ごしているケースが多いようだ。60年代は国民全体が高成長を信じていたので消費者は物を買い、生産者は設備投資を増やし生産に励んでいた。自然に物価が上がる循環ができていたのである。考えてみれば高度成長期の賃上げの考え方は、“物価上昇率プラス生活向上分”が当然とみなされていたほどだ。
しかし現在は、約束されていた消費増税も景気をおかしくするから、と先延ばしとなり財政を悪化させているし、金融の景気刺激効果がないため再び財政で刺激する策へと転じている。まるでマイナス金利と財政悪化への蟻地獄にはまり込んだような雰囲気だ。結局企業は円安で利益をあげ、その利益を海外企業の買収に使っているが、大きな失敗も目立っている。
日本はいま国、企業、消費者とも負のスパイラルの心理に入り込んでいる状況なのではないか。少子高齢化や巨額の財政赤字、一極集中(国レベルでは首都圏、地方では県庁所在地)、社会保障などの国民による負担増等々――明るい将来がみえてこない。となると多くの国民は先行き不安に備えてなるべくおカネを使わず節約、節約のムードが伝染している。一部の富裕層だけは、消費を楽しめても多くの国民は“みんな我慢しているのだから・・・”と多額消費には走らないのだ。
■シラケムードを作っている政府・日銀
このシラケムードを作っている張本人は、政府と日銀だろう。安倍内閣は口を開けば、景気回復第一と言うが、見えてくるのは安全保障と外交ばかりだし、日銀は2%の呪縛に縛られ世界の金融緩和脱却の動きから取り残されつつあるのが実情だ。日銀は7月20日の金融政策決定会合で物価2%目標の達成時期をまた先送りし「19年度頃」とした。これで金融緩和を始めてから目標を先送りしたのは6回目となる。6回も先送りしたのでは、もはや目標の実現を信ずる人はいなくなるのではないか。
黒田日銀総裁は「景気は緩やかな拡大に転じつつあり、今後も成長を維持できる」と指摘しているが「物価が上がらないのは、上がりにくいを前提とした考え方、慣行が企業や家計に根強く残っていることが影響している。ただこうした状況はいつまでも続くとは想定していない」と言い、いずれ2%に達するはずだという現在の日銀のスタンスを変える気のないことを強調している。
■2%目標でないとダメなのか
また2%を目標としていることについては
①2%程度の余裕がないと原油価格の急落など外的要因で物価上昇率が再びマイナスになるリスクがある
②先進国の主な中央銀行は2%程度を目標としているので日銀も歩調を合わせた。各国が同じ目標を持てば為替の安定につながる
――などを指摘し目標を変える気がないことを主張している。
結局、国民や企業の根強いデフレマインドを打破することが重要だ、と主張しているものだが、それには政府・日銀が物価目標よりも将来の生活が安定することがわかるような政策を打ち出さないと解決しないのではないか。
【Japan In-depth 2017年7月22日】
昨日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』ゲスト:円谷プロダクション 大岡新一社長 二夜目 音源掲載
スタッフです。昨日のTBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30-22:00)は先週に引き続きゲストに円谷プロダクション 大岡新一社長をお迎えいたしました。番組サイトに音源が掲載され、10日間限定での公開です。
脚本家の金城哲夫氏らが考えたウルトラマンシリーズの根底にある哲学。大岡様が家族の大反対を背にこの世界に入った経緯や、巨匠カメラマンの助手について勉強し特撮カメラマンになるまでの日々。そして、円谷プロの社長に上り詰めるまでの人生観などについて伺いました。
前回のウルトラマンシリーズが50年余り続いている背景や円谷英二氏への思い、円谷プロのスタッフ達が初めて特撮技術に取り組んだ当時の苦労話などについてお伺いいたしました。今回、大岡様から円谷英二様が意外な発明もされているらしいという裏話も伺った放送音源は番組サイトにて今週水曜日正午までお聞きいただけます。
また、7月21日から池袋サンシャインシティにて「ウルトラマンフェスティバル2017」が開催されています。ウルフェス初のセブンxゼロ 親子ポージング像が登場し、カッコイイ写真が撮影できるなどウルトラマン好きにはたまらないイベントです。
夏はウルフェス!「ウルトラマンフェスティバル2017」が今年も池袋サンシャインシティにて開催決定!第1部:7/21(金)~8/7(月)/第2部:8/9(水)~8/28(月) 公式サイト→ https://t.co/ltdZTxeDof 公式ハッシュ→ #ウルフェス pic.twitter.com/wb9VmluzYx
— ウルトラマンフェスティバル2017公式 (@ulfes) 2017年3月18日
次回は、元プロテニスプレーヤーの杉山愛様をお迎えし、プロを引退して8年、プロ選手生活を振り返り、スランプの日々、テニスを辞める決意から杉山様を救った母の言葉。2003年にようやくシングルスで勝てた達成感や、世界のトップテン入りしたからこそ気づいたことなどについてお伺いする予定です。
23日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』ゲスト:円谷プロダクション 大岡新一社長 二夜目
スタッフです。23日のTBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30-22:00)は先週に引き続きゲストに円谷プロダクション 大岡新一社長をお迎えする予定です。
脚本家の金城哲夫氏らが考えたウルトラマンシリーズの根底にある哲学。大岡様が家族の大反対を背にこの世界に入った経緯や、巨匠カメラマンの助手について勉強し特撮カメラマンになるまでの日々。そして、円谷プロの社長に上り詰めるまでの人生観などについて伺いました。ご期待ください。
前回のウルトラマンシリーズが50年余り続いている背景や円谷英二氏への思い、円谷プロのスタッフ達が初めて特撮技術に取り組んだ当時の苦労話などについてお伺いいたしました。今回、大岡様から円谷英二様が意外な発明もされているらしいという裏話も伺った放送音源は番組サイトにて来週水曜日正午までお聞きいただけます。
また、7月21日から池袋サンシャインシティにて「ウルトラマンフェスティバル2017」が開催されます。ウルフェス初のセブンxゼロ 親子ポージング像が登場し、カッコイイ写真が撮影できるなどウルトラマン好きにはたまらないイベントです。
夏はウルフェス!「ウルトラマンフェスティバル2017」が今年も池袋サンシャインシティにて開催決定!第1部:7/21(金)~8/7(月)/第2部:8/9(水)~8/28(月) 公式サイト→ https://t.co/ltdZTxeDof 公式ハッシュ→ #ウルフェス pic.twitter.com/wb9VmluzYx
— ウルトラマンフェスティバル2017公式 (@ulfes) 2017年3月18日
【番組出演】明日のBS-TBS「Biz Street」に嶌が出演
【ウズベキスタン関連本の紹介】直木賞候補 「あとは野となれ大和撫子」
今回、直木賞候補になっている作品の一つ、宮内悠介さんの「あとは野となれ大和撫子」(角川書店)の舞台はウズベキスタンとカザフスタンにまたがるアラル海です。
嶌が2015年9月に上梓した「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」も角川書店からで、同じ文芸・ノンフィクション部の担当であり、ウズベキスタンが舞台ということで私は一方的に親近感を持っている次第です。
宮内さんは、15年ほど前に実際にウズベキスタンとカザフスタンを旅され、かなり細かい取材をされていたようで、本書にはリアルな現地の様子や政治情勢などが盛り込まれています。歴史に関してもかなり詳細に調べられたのではないかと思われる記載も多く、中央アジアが身近に感じされる作品でもあります。
嶌が会長を務める日本ウズベキスタン協会では、この作品の舞台であるアラル海に関するシンポジウムを2014年11月に実施しております。以下の画像はアラル海の水位の変動がわかる画像です。
宮内さんが中央アジアを旅された際のツイッターがまとめられたページがあるようですので、合わせてご紹介します。
・憧れのサマルカンド(の路地裏)。 pic.twitter.com/Ce55xSihC3
— 宮内悠介 (@chocolatechnica) 2015年5月9日
・有名なあの建物、夕暮れ。 pic.twitter.com/UZa0vgNvhB
— 宮内悠介 (@chocolatechnica) 2015年5月9日
主人公の少女のひたむきさや友情が壮大な中央アジアを舞台に繰り広げられるこの作品は、中央アジアのに関して詳しい方はもちろん、中央アジアにふれたことがない方でも楽しめる作品だと思います。
【紀伊國屋電子書籍で特価】「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」 誕生秘話
スタッフです。現在、紀伊國屋電子書籍のセール情報によると、嶌が上梓した「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」(角川書店)が、特価で販売中です。ポイント還元数は変わっているようですが、価格は15日のツイッターと同様の864円となっておりますので、まだ読まれていない方はこの機会にお読みいただけると幸いです。
日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた 角川書店単行本 (嶌 信彦) が、紀伊國屋電子書籍で特価で864円引きの864円、200ポイント還元になりました。https://t.co/gfXOnsnTV3
— 紀伊國屋電子書籍Kinoppyセール情報 (@kinokuniyasale) 2017年7月15日
嶌がウズベキスタンと関わりを持つきっかけは、元大蔵省財務官を務めた後、アジア開発銀行総裁を務められた故千野忠男様より「メディアの力でもう少しウズベキスタンのことを世の中に知らせてよ。日本をモデルにしたウズベキスタン独立(1991年)後の国づくりは、明治維新の時の日本と日本人を見るようで感動させるものがある。ぜひ一度訪れて日本人に日本との関係や懸命に国を建設している人々のことを新聞やテレビで報道して欲しい」と依頼された言葉からでした。
この言葉を受け、嶌がTBSの「報道特集」に話を持ち込んだところ、ドキュメンタリーを作って支援してくれることになり、96年12月1日に「知られざる親日国ウズベキスタン」が放送されました。
その取材過程で、嶌は首都タシケント市にある壮麗なオペラハウス「ナボイ劇場」とその劇場が、終戦時に満州から連行された日本人捕虜という事実を知りました。当時を知るウズベク人になるべく多く聞いてまわったことを、昨日の出来事のように感じているようです。
取材時は、当時建設に携わられた方々の所在をほとんど把握しておりませんでしたが、この報道特集が放送された後、反響が凄まじく永田行夫隊長ら第四ラーゲル会(戦友会)の方々と連絡がとれました。再放送のご要望をいただきましたが、当時、再放送が難しい状況であったことから「日本ウズベキスタン協会(後にNPO法人)を98年春に設立し、協会を中心に上映会を実施し、多くの抑留者の方々に入会いただきました。
そのご縁で、実際にナボイ劇場建設作業に従事された方々より実際に様々なお話を伺ったのみならず、貴重な多くの資料を寄贈いただきました。その後、2001年12月9日に TBS「報道特集」にて「ウズベキスタンの日本人伝説――ナボイ劇場建設」、NHK 衛星放送第 2 にて同年12月16日に「青春のナボイ劇場」が放送されました。
さらに、日本ウズベキスタン協会では実際にナボイ劇場建設に携わられた方々に寄稿頂き、「追憶 ナボイ劇場建設の記録ーシルクロードに生まれた日本人伝説ー」として2004年5月1日に冊子を発行しました。
その後、戦後70年を迎えた2017年9月に様々な方々から伺ったことを1冊のノンフィクション「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」としてまとめ、角川書店より上梓しました。4月20日に放送されたフジテレビ「奇跡体験!アンビリーバボー」では、本書をベースとしたナボイ劇場建設秘話が描かれ、多くの方の感動を呼んでいます。
戦後72年を迎えるこの時期に、改めて若き日本の抑留者たちの労苦と協力・和の精神が中央アジア全体に多くの親日国を作ったことにつながったことを知って頂き、満州抑留兵のもうひとつの秘話を広めていただければと思っております。ぜひ日本人論を再考し、感涙の一冊としてもぜひ多くの皆様にご紹介いただければ幸いです。