昨日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』 ゲスト:元旋盤工で作家の小関智弘様 音源掲載
スタッフからのお知らせです。
昨日のTBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30~)は、ゲストに大田区の町工場で長年旋盤工を務められながら、作家も続けられてきた小関智弘様をお迎えした音源がradikoに掲載されました。通常は番組サイトに掲載されたものをお知らせしておりますが、本日の深夜までに掲載される予定です。番組サイトの掲載につきましては今後、放送翌日の深夜までに掲載されることになりますので、少々お時間をいただけると幸いです。
※5月23日追記
音源が番組サイトに掲載されました。全国の方にお聞きいただくことが可能となりましたので、ぜひ以下リンクよりお聞きいただけると幸いです。
radikoは通常版は、放送エリアの方のみの聴取が可能です。プレミアムに加入されている方はエリア外の放送の聴取いただくことが可能です。
機械やコンピュータがいくら進歩しても出来ない職人技。材料を見て、旋回させ、適切な位置にブレ止めをかけてからやらないと出来ない、長い経験と多くの失敗の積み重ねがあって初めてできる旋盤工の職人技についてお伺いいたしました。
次週も引き続き小関様をゲストにお迎えし、日本のものづくりを支える東京都大田区内の町工場で長年旋盤工として働きながら自らの労働体験に根差したノンフィクションや、同人誌に小説を執筆してきた人生観などをお伺いする予定です。
小関様が上梓された書籍の一部をご紹介いたします。
嶌が先日記した、中小企業に関するコラムもあわせて掲載いたします。ご興味をお持ちの方は合わせて参照下さい。
なぜまだもめる加計学園問題
モリ・カケ問題が治まらない。これまで「記憶がない」と加計学園関係者らとの面会を認めていなかった柳瀬唯夫・元首相秘書官(56)が参考人招致で一転して官邸で3回にわたり面会したことを認め謝罪した。しかし、加計の「人と会ったことを総理に報告したことはない」と答えるなど、一貫して総理を巻き込まないよう“忖度”している様子が浮かび上がり、かえって「不自然な答弁をしている」と野党から猛反発された。
また愛媛県の中村時広知事も“柳瀬氏がこれまで首相案件と語ったとする文書の記述は担当職員が一言一句漏らさず報告したいという気持ちで、ありのまま書いているのに、どうして全て正直に認めないのかわからない。県の信頼を損ねるような発言があったのは非常に残念”と反発した。
また、安倍首相は「柳瀬氏から加計学園の報告を聞いた覚えはない」と柳瀬氏の発言をかばった。ただ、柳瀬氏が首相の友人の加計氏と3回も会って獣医学部創設の話を聞いていたのに首相に報告しないのは不自然と思われても当然とみられる。
また、柳瀬氏は安倍氏のゴルフに同行し安倍氏と加計理事長が長年の友人であることも認識していただけに加計氏との会談内容を伝えなかったことはかえって疑問に思われよう。一方、首相側も加計学園問題を重要案件と受け止め、早急に検討するとしていながら一度も柳瀬氏に問い質さなかったのは不思議と思われても仕方がないとの印象を与えたといえる。
いずれの場合も、互いに問題をよく知りすぎているため、いちいち言われなくても理解できていたとも取れるが、逆に特別の便宜を図ったとみられたくないため、首相の側も聞かなかったし、柳瀬氏も報告せず忖度しながら事を進めていたとも取れる。
しかし、獣医学部認可が加計学園だけに行なわれた経緯を考えると、安倍首相と役所との間に何らかの“示し合わせ”があったと取られてしまうわけだ。
加計学園が獣医学部の申請を行なうことは、何らやましいことではなく堂々とやっていればよいことだし、審査にあたって安倍首相や内閣府が手続きにのっとり、公開して粛々と正しくやっていれば何ら問題はないことなのである。にも拘らず、ここまで事がこじれる背景には余計な忖度が働いたり、答弁に不自然さやあいまいさがあったためだろう。もし不正や忖度などがなかったのなら、加計学園理事長や審査した人々などを国会に呼んですっきりさせた方が早道だし、よいのではないか。
いつまでも加計問題を引きずっていると内閣支持率は上がらないし、「やはり裏に何か問題があったのか」と疑われよう。それにしても最近の官僚は政治や首相を慮っているのか率直にモノを語らず官界全体の信用を落としているのではないか。
【Japan In-depth 2018年5月19日】
※画像は岡山理科大学獣医学部サイトキャプチャー
20日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』 ゲスト:元旋盤工で作家の小関智弘様
スタッフからのお知らせです。
日曜日(20日)のTBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30~)は、ゲストに大田区の町工場で長年旋盤工を務められながら、作家も続けられてきた小関智弘様お迎えする予定です。
機械やコンピュータがいくら進歩しても出来ない職人技。材料を見て、旋回させ、適切な位置にブレ止めをかけてからやらないと出来ない、長い経験と多くの失敗の積み重ねがあって初めてできる旋盤工の職人技についてお伺いいたします。
小関様が上梓された書籍の一部をご紹介いたします。
嶌が先日記した、中小企業に関するコラムもあわせて掲載いたします。ご興味をお持ちの方は合わせて参照下さい。
日本ウズベキスタン協会設立20周年を記念した総会を開催~新ウズベク大使やウズベク語講座の講師をお迎えしウズベクの生活や料理などについて伺う~
NPO法人日本ウズベキスタン協会を設立し、長いようで短い気もする20年でした。なぜ「ウズベキスタンなのか」とよく質問されますが、私の書いたノンフィクション「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」(2015年9月末・角川書店より発売し3刷目)の20年前の取材がきっかけでした。敗戦で満州からウズベキスタンに移送された捕虜の皆さんが2年かけて建設した旧ソ連の三大オペラハウスのひとつ「ナボイ劇場」の秘話を世に知らせることと、厳しいシベリア抑留の別の側面を歴史に残しておきたいという思いを持っていました。
建設に従事された永田行夫隊長以下約500人の方々は今やほとんど亡くなられましたが、その方々から多くの話を聞き記録に残しておいたことが本を書くにあたって大いに生きました。ちょうど、日曜日(5月13日)に放送された日本テレビ「世界の果てまでイッテQ!」でタレントのイモトアヤコさんがウズベキスタンを訪問し、冒頭部分で「ナボイ劇場」を紹介されていました。その影響からか私の本もアマゾンのランキングで再び急上昇しています。また、この放送の平均視聴率が番組歴代3位タイとなる22.4%の高視聴率を記録されたようで、改めてウズベキスタンに注目が集まっている事を物語っています。
協会は世代交代がありながらもなお約300人の方が会員がいらっしゃいます。ホームページを見ていただけるとわかりますが、毎年10数種類位のイベントを開催し、好評を得てきた点も長く続いた要因かと思います。
現在、20周年の記念イベントを準備している最中です。アイデアやご意見があればぜひウズベキスタン協会事務局までお寄せ下さい。
20周年の総会には今年2月に新大使としてウズベキスタンから日本に赴任されたばかりながら、エネルギッシュに日本各地を回っておられるファジーロフ大使をお招きして日本の印象や大使の人柄がわかるエピソードなどをお聞きしたいと考えています。
また、この20年で日本でもウズベキスタンの名が広く知られるようになり、ウズベキスタン料理の人気も高まっています。そこで今回はウズベキスタン料理のあれこれを東京学芸大学で日本語教育を学ばれ、当協会のウズベク語講師を務めて下さっているフェルザホンさんにアラブ料理、ロシア料理にも似たウズベク料理の話をお聞きし、日本料理の感想も話して頂こうと考えています。どうか堅苦しい話ではないウズベキスタンのエピソードをお楽しみ下さい。多くの方のご参加をお待ちしています。
・日時:6月16日(土)14時~16時
・場所:日本プレスセンタービル9階 日本記者クラブ 会見場
東京都千代田区内幸町2-2-1
・ゲスト:ファジーロフ大使(新大使)、フェルザホン(ウズベク語講座講師)
聞き手 会長 嶌信彦(ジャーナリスト)
司会 副会長 川戸惠子(TBSシニアコメンテーター)
・会費:1000円(事前に申込みの上、当日受付にてお支払い下さい)
・申込み先:NPO日本ウズベキスタン協会まで
電話(03-3593-1400)、ファックス(03-3593-1406)、
メール(jp-uzbeku@nifty.com)※満席になり次第受付終了
リンク:日本ウズベキスタン協会
米中摩擦に日本の出番は?
私が毎日新聞のワシントン特派員だった1980年代前半は、日米経済摩擦問題で明け暮れる日々だった。連日アメリカの上院・下院では日米摩擦の公聴会、議員提案が行なわれ、私は連日議会に張り付いた。当初の繊維摩擦に始まり、機械、テレビ、自動車、半導体までヤリ玉に挙げられ、通産省(当時)の補助金支給や日本人は、時間外労賃をもらわずに働きすぎているという非難もあった。要するに不公正な貿易競争でアメリカに洪水的輸出を行ない、そのためアメリカメーカーが不当な日本の輸出で傷ついているというものだった。
そこで毎日支局では、米国の主張が正しいかどうか、全米の地方をまわり「草の根の日米摩擦」と題する連載を行なった。私がデトロイトの全米自動車労組の事務所を訪ねた際には、駐車場に日本製自動車が沢山並んでいた。
「あなた方は日本の自動車輸出を非難するが駐車場には日本車が沢山並んでいるではないか」と問い質すと、「あれはいい車だから乗っているんだ。私らが非難しているのは補助金を出すなど不公正な貿易について文句を言っているのだ」と主張したので「今や日本ではあなた方のいうような不公正な貿易、輸出はしていない」と、反論すると「それなら問題ない」とあっさり理解してくれた。その後、日本の主張を理解するようになり日米合弁事業などが盛んになった。
いま、米中間で自動車摩擦が激化し両国で貿易戦争が始まるような兆しがみえている。アメリカは通商法301条に基づき鉄鋼、アルミ、産業用ロボなど1300品目に25%の関税を課す対中制裁を発表。すると中国は世界貿易機関(WTO)に同じ規模、同じ強度の報復措置を行なうと応じ、「米国のやり方は典型的な単独主義で保護貿易主義。中国は激しく責任を問い、断固として反対する」と一歩も引かない構えを見せた。
世界一、二位の貿易、経済大国の衝突に世界は驚き、株や為替は乱高下して世界の商品市況にも影響が出始めている。中国はアメリカからの輸入も多いため、米中対立にはアメリカ企業や農業関係者も本音では困惑しているという。
50年前の日米摩擦の時は、日本が自主的に輸出を規制するなどしてアメリカの軍門に下ったが、中国は今のところ自らの正当性を主張している。それどころか報復関税としてアメリカからの輸入品に最高25%の高関税をかける(約30億ドル分)と対抗の構えも見せている。このまま直ちに両国の貿易戦争に発展するとは思えないが、経済摩擦の経験が多く第三位の経済大国・日本は傍観者として見過ごすだけだと、ますます世界における存在感が縮小してゆくことになろう。
【財界 2018年春季特大号 第470回】
画像は嶌が米・ワシントン特派員時代にアメリカで撮影した自動車工場の様子
昨日の日本テレビ「世界の果てまでイッテQ!」イモトアヤコさんがウズベキスタンを訪問 ~親日の象徴ナボイ劇場や建設秘話が紹介~
スタッフからのお知らせです。
昨日、日本テレビ系「世界の果てまでイッテQ!」の冒頭部分で第二次世界大戦後に抑留された日本兵と現地のウズベキスタンの方々によって建設された「ナボイ劇場」及びその建設秘話が放送されました。
タレントのイモトアヤコさんが実際に「ナボイ劇場」を訪問し、建設エピソードを紹介されています。本放送は、平均視聴率が番組歴代3位タイとなる22.4%の高視聴率を記録されたようです。
イモトさんのinstagramにウズベキスタンを訪問された際の画像がありましたので、合わせてご紹介します。
「ナボイ劇場」建設秘話については、実際に「ナボイ劇場」の建設に携わられた方々に伺った話をノンフィクションとしてまとめ、2015年9月末に嶌が上梓した「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」(角川書店)に現地の方々との交流、当時の生活などを詳細に記載しています。参考まで、概略を紹介いたします
■「ナボイ劇場」が親日の象徴となったきっかけ
タシケント市は1966年4月26日午前5時23分に直下型大地震に襲われました。国連の調査によると、60年代までの世界の大地震の5本指に入るほどの大きさで、約240の政府系建物、700の商店・レストラン、約180の教育施設、250の工場、約8万の家が崩壊し、約10万人の人々が戸外に放り出され、街はほぼ全壊しました。しかしながら「ナボイ劇場」は倒壊せず、ウズベキスタンの人々の避難場所として活用されました。
この話は、瞬く間にウズベキスタン国内のみならず隣接するキルギス、カザフスタン、トルクメニスタン、タジキスタンなどの中央アジア各国に伝わりました。これによって、1991年に中央アジア各国がソ連から独立した際に再び思い起こされ、日本をモデルとした国づくりをしようという動きつながっています。特にウズベキスタンでは日本語教育が盛んで、日本に多くの留学生が滞在しています。
■ナボイ劇場とは?
ナボイ劇場は旧ソ連の四大オペラハウスであり、正式名称は「アリシェル・ナボイ劇場」といいます。中央アジアの中心地であるウズベキスタンの首都タシケント市に現存し、総床面積1万5000平方メートル、客席1400席を有する煉瓦作り3階建てのビザンチン風建築です。建物内部にはいくつかの間やパーティの部屋があり、壁装飾は中央アジアの各地域の特色を生かすよう工夫されています。
第二次大戦後、レーニンによる政権樹立を行なった1917年11月7日の革命30周年にあたる1947年11月までにこの劇場を建設することを命題として、満州から旧ソ連によって旧ソ連領のウズベキスタン・タシケント市に強制的に移送された日本兵の方々と現地のウズベク人が建築に携わられています。
■シベリア抑留とは?
旧ソ連の第二次大戦における犠牲者は約2013万人と非常に多く、男性の労働力不足を補うため、日本を始めドイツ、東欧などの捕虜を労働に活用する方針がスターリン書記長によって打ち出されました。範囲は、シベリアをはじめとする旧ソ連の領土である中央アジアの国々など多岐にわたり、総称し「シベリア抑留」と呼ばれています。抑留された日本兵は60万人に上り、学校建設、道路工事、鉄道整備、発電所設置など、多岐にわたる労働に従事されています。うち、1割の6万人が現地で亡くなられ、現地の日本人墓地に埋葬されています。
本放送では紹介されておりませんでしたが、この部隊の隊長である永田行夫様は若干24歳で隊長を務められ、ウズベキスタン抑留中に隊員457人の住所を全て暗記されました。舞鶴に帰国後、皆がすぐに自宅に帰宅する中、舞鶴の旅館に滞在し、記憶された住所を紙に書き起こし、それをもとに名簿を作成され戦友会が行なわれていました。
戦後から72年あまり過ぎ、建設に携わられた大半の方々が既に鬼籍に入られており、直接話を伺うことが叶わなくなってしまいました。
生前、嶌がホストを務めるTBSラジオ「嶌信彦のエネルギッシュトーク」に永田様にゲストにお越し頂き、2002年11月3日に放送しました。ウズベクの方との交流や恋愛事情等、抑留生活に関してお話いただいた音源を公開しておりますので、お聴きいただけると幸いです。
■書籍のランキングが上昇
本放送で紹介された内容を含む、「ナボイ劇場」建設秘話を収録している嶌が上梓した「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」(角川書店)が好評発売中です。放送後、アマゾンの日中・太平洋戦争部門にて急激に20位台に上昇しました。
戦後73年を迎える前、お時間がある時に一読いただけると幸いです。
※トップ画像:ナボイ劇場正面
書籍の特設サイトにより詳細な内容を記しておりますので、ご興味をお持ちの方は参照いただけると幸いです。
嶌信彦新著ノンフィクション「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」特設サイト
昨日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』 ゲスト:NHKドラマ「マチ工場のオンナ」の原作を書かれたダイヤ精機社長・諏訪貴子様 二夜目 音源掲載
スタッフからのお知らせです。
昨日のTBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30~)は、ゲストNHKドラマ「マチ工場のオンナ」の原作を書かれたダイヤ精機社長の諏訪貴子様をお迎えした二夜目の音源が番組サイトに掲載されました。来週水曜正午までの期間限定配信です。
社員たちから「あなた以外、後継者はいない」と請われ、親の町工場の事業継承を決意。当初の経営難を脱し、若手職人の養成に尽力した上、リーマン・ショックも乗り越え黒字化を果たすなど、その手腕が注目を集めるようになるまでにつきお伺いしました。
前回の32歳で育児やパートに追われる主婦だったが、父親の求めで町工場に2度入社し、2度解雇された経緯など波瀾万丈の人生についてお伺いした放送音源は番組サイトにて期間限定で今週水曜正午までお聞きいただけます。
昨年秋にNHKで放送されたドラマ「マチ工場のオンナ」の原作本など諏訪様が上梓された本を合わせてご紹介いたしますので、ご興味をお持ちの方は以下リンクを参照下さい。
次回(5/20)は元旋盤工で作家の小関智弘様をお迎えする予定です。