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~松下幸之助の「不況克服の知恵」を読む~ ―“心得10カ条”を再録―

 先日、書棚を整理していたら松下幸之助氏の「不況克服の知恵」というPHPビジネスレビュー特別版が出てきた。発行日をみたら2009年2月だから、2008年のリーマン・ショック不況に世界中が悩んでいた真っ最中の頃だ。

 幸之助は1894年(明治27年)生まれで、1989年(平成元年)に亡くなっているから、この40ページ弱の小冊子は不況期にどう考え、ふるまうべきかという松下創業者の名言を集めたものだろう。発売後、1カ月もたたないうちに2刷が出ているから、リーマン・ショックに悩む経営者、サラリーマンは“経営の神様”といわれた松下電器(現:パナソニック)の経営哲学、とくに不況時の身の処し方、商いに身を預けたかったと思われる。

 幸之助は父の店が米相場に失敗して破綻したため、尋常小学校を4年で中退し9歳から丁稚奉公に出る。16歳で大阪電燈(現:関西電力)に入社するも7年間で退職。しかしこの間、簡単に電球の取り換えができるソケットを考案するなど、常に新しくて消費者に便利なものは何かと考えるクセをつけていたようだ。

 1918年に妻むめのとその弟の井植歳男(戦後三洋電機を創業して独立)、その友人2人と5人で松下電器具製作所を創業し、松下電器の歴史がスタートする。電球ソケットに続き、二股差込みプラグを開発して会社を軌道に乗せた。戦争中や敗戦後は苦労しGHQから制限会社の指定をうけるなどしたが、「松下は財閥ではない」と反論し、1946年に倫理教育に乗り出すPHPなどを設立した。1973年、80歳を機に引退し1979年に私財を投じて「松下政経塾」を設立して若手政治家の育成にも努めた。生涯、衆を頼んだ財界活動は行わなかったが、その発言録は世の転換期などになるといつも注目されてきた。

 松下幸之助の経営哲学は「商売は時世時節で損もあれば得もあると考えるところに根本の間違いがある。商売は不景気でもよし、好景気であればなおよしと考えねばならぬ。商売上手な人は、不景気に際して、かえって進展の基礎を固め得るものであることは、過去の幾多の成功者が現実にこれを示している」と述べ、不況の時こそチャンスに備え、好機を得る道を考えるべきだと指摘している。

 そのうえで1936年に商売戦術30カ条を並べ、さらに不況の心得10カ条を次のように説いている。以下が石油危機で不況が長引いていた1976年に説いた松下幸之助「不況克服の心得10カ条」である。

 

 

 第1条 「不況またよし」と考える。
 幸之助は「不況に直面してただ困った、困ったと右往左往せず、むしろ不況の時こそ面白いと考える。気を引き締めて真剣になるから道も見つかるのだ。10年上手く伸びている会社があるとしたら危険だと考えた方がよい。10年上手くいったら必ず緩んでいるものだ」と言う。

  幸之助は、不況になったらオロオロせず、まず静かに世の中を眺めること、そして改めてこれから自分は何をすべきか、商売はどうあるべきなのかをじっくり考えてみることだと言い、落ち着いて不況と向き合えばこれまで見過ごされてきた問題点が浮き彫りになり、より物事を鋭く観察できて平生では考えられなかったことに気づくとしている。「不況時には心の改革」が行われ、それが将来の発展につながると説いている。「心の改革」という言い方が面白い。

 

第2条 「原点に返って志を堅持する」
 原点とは基本理念である。国家も企業も個人も自分がよって立つ基本理念がぐらついていては信用されない。日本が敗戦から立ち直った基本理念は平和国家として二度と戦争をしない、科学技術・輸出立国として生きる。民主主義・社会福祉国家として自立していく――などだった。日本はいま揺れている。もう一度、日本再建の理念を国民全体で点検、議論して定めていくべきだろう。

第3条 「再点検して自らの力を正しく掴む」
 人間はともすると自分を過大、過小評価する癖がある。自分を社会や人間観の中で客観的に分析し見つめることは、なかなか難しい。企業も自社の内容と強味、弱味を企業社会全体の中で、いや今はグローバルな視点で見つめ直すべきということだろう。案外気づかないところに自社の商品や技術、デザインが世界的に評価されたりしていることがある。クールジャパンの品々やデザインなどはその一例ではないか。

 

――不退転の覚悟――
第4条 「不退転の覚悟で取り組む」
 「覚悟」については、昨年私は「日本人の覚悟―成熟経済を超える」(実業之日本社)を出版して今の日本人に一番欠けているのは志を持った覚悟ではないかと書いた。詳しくは拙者の具体例を読んでほしい。


第5条 「旧来の慣習、慣行、常識を打ち破る」
 現代の社会は「今日は昨日の続きでなく、明日も今日の続きでない」という大きな変動の時代の中にある。3.11東日本大震災はそのことを日本人に身をもって知らしめた。今日を破るイノベーションを心掛けない限り、どんな大企業も世の中に埋もれよう。

第6条 「時には一服して待つ」
 人間、時にはケガをしたり病気をすることはある。あるいは不況で製品が売れないこともあるだろう。そんな時に焦ってイライラするとかえって深みにはまり込む。むしろ「これは天が一度休んでゆっくり考える、体をケアせよ」などと受け止めた方が良いということだろう。私もつまづいたら、これは「天が注意しているのだ」と前向きにとらえることにしている。根拠なき楽観、楽天主義も重要な心構えの一つと、いつも思っている。

 

第7条 「人材育成に力を注ぐ」
 これは企業や国、地域にとって当たり前のことだ。大事なことは人材の多様性を認めて育成することだ。トップのいうことをハイハイと聞く人材ばかりでは、本当の会社の実力は見えてこない。トップに対しても、ひるまずズケズケ意見できる人材、とくに現代にあっては外国人、女性を含めた多様な人材を数多く育て、耳を傾けることだ。

第8条 「責任は我にありの自覚を」
 業績が悪くなると、不況だから仕方ないと弁明する経営者が多い。たしかに不況時は、どの企業も苦しいが、そんな中にあっても不況の影響を最小限に抑えたり、売上げを伸ばすところもある。 どんな場合でもやり方いかんで発展の道、方法はあるといい、「うまくゆかないのは自らのやり方に当を得ないところがあるからである」と説く。責任は我にありと自覚すれば考え抜いて道を見つけ出すはずだというのである。

 

第9条 「打てば響く組織づくりを進める」
 打てば響くとは、社員の気心が互いにわかり、日頃から上司や社員同士が自由に物を言い、気心が知れているような風通しのよい社風を作っておくということだろう。

 

第10条 「日頃からなすべきをなしておく」
 幸之助は「平時においてなすべきことの一つは、資金や技術、商品開発などのあらゆる面において適正な余裕を作ることである」とし、これを“ダム経営”と呼んでいた。経営のダムがあれば、少々の逆風が吹き出してもあわてることはない、というのだ。

 

――大経済事件を切り抜けた理由は?――
 松下幸之助氏とは残念ながら直接面談したことがないので、これまであまり関心を持ってこなかった。今回たまたま書棚から不況克服の10カ条を見つけたため書き出して見た。言っていることは、そんなに驚くようなことではない、しかし幸之助が5人で起業した会社が世界的企業になり、いまだに幸之助精神が語り継がれ、今日まで企業として続いているのは、“何か”があったのだろう。

 幸之助が起業してから亡くなる1989年までには、第二次世界大戦、戦後の動乱期、第一次と二次の石油危機、1ドル=360円の固定相場制の崩壊と円高、プラザ合意、バブルと、さまざまな経済を揺るがす事件があった。その間に多くの名門、大企業、中堅企業が倒産してきている。そして現在も家電は苦しい状況下におかれソニー、シャープなどはまだ回復、再生への兆しが見えてない中でパナソニックはちょっと違った動きになっているように見える。
  幸之助精神とは何か――もう少し奥深く探ってみたい気がしてきた。今日では京セラの稲盛和夫氏が経営の神様のように言われ“稲盛教”信者が多い。幸之助と比べてみるのも面白いかもしれない。 【TSR情報 2015年2月26日】

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