影薄いサミット メンバー替え改革も
いつの間にかサミットの季節がやってきて、いつの間にか終わっていた。90年代まではサミットといえば、世界最大の政治イベントだった。開催前には各国首脳の横顔、主要テーマの解説と行方、共同声明の予測、サミットの会場の場所や特色、雰囲気、各国記者団の関心事、警備とサミット反対グループの動向など、あらゆることが報道された。サミットがその後1、2年の世界の政治、経済などの動向を決めていたからだ。
しかし、いまやサミットは落ちぶれたものである。メディアは注目しなくなったし、ロシアも批判が出ることを面白くないとみたのか不参加だ。このままずっと不参加を続けるのか、ことしだけなのか。サミット各国はロシアの今後の扱いを決めるべきだろう。都合の悪い時は「欠席」という慣習が成り立ってしまえばサミットの権威はますます失墜だろう。
ただ、ふり返ってみるともう10年ぐらい前からサミットの存在意義は失われていた。中国、インド、ブラジルなどの新興国が台頭し、新興国も入れたG20が開催されるようになって、もはや世界の中心軸ではなくなった。先進国内部でもロシア制裁や中国のアジアインフラ投資銀行、イスラム国対応、環境対策など世界の重要テーマに対立が目立ち、これに新興国が加わると、いまや共通の政策や方向性などまるで打ち出せない。世界は求心力のないバラバラの時代に突入している。
そんな中で来年は日本が主催となるサミットで、場所は三重県の賢(かしこ)島(じま)に決めた。風光明媚な英(あ)虞(ご)湾(わん)に浮かぶ島で地元の食材も新鮮だし、警備もしやすいことから突如浮上し、安倍首相が決断した。「日本の伝統・文化と静謐、清浄な空気と場所を味わってもらう」としているが、気になるのは伊勢神宮参拝に首脳たちを連れ出すつもりなのかどうかだ。安倍首相にとっては、各国首脳を伊勢神宮へ引きつれる様は、安倍史観を世界が認めたように国民の目に映る狙いにピタリなのだろう。しかし宗教観の異なる各国からすると、すんなり受け入れることになるのかどうか。
当初は広島サミットの案もあったと聞く。しかしアメリカの反応などを考えて取り止めたようだ。サミットは世界の重要テーマの解決策を探るために始まった。しかし世界の利害対立が目立ち、バラバラとなって求心力をもてなくなると主催国が自国の国民にみせるパフォーマンスに力点が入りがちになる。こうしてサミットは軽視され、ますます小さくなってゆくのだ。
そろそろサミットの全面改革を提起して良いのではないか。参加国は米、中、EU、日本、南米などの代表数ヵ国。これまでのサミットは第二次大戦の悲劇を再びおこさないように、という歴史の反省からスタートした。いま、世界はアメリカの覇権がゆらぎ、中国やインドが台頭しようとする端境期に来ているようにみえる。こうした時代に世界をどう安定させればよいのか、メンバーを入れ替えて問題提起をするよう日本から提案してみるのも一案ではないか。
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