時代を読む

ジャーナリスト嶌信彦のコラムやお知らせを掲載しています。皆様よろしくお願いいたします。

東芝の凋落に何を学ぶか M&A経営の落とし穴

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 東芝の凋落は、産業界だけでなく世間一般にも大きな衝撃を与えている。折り紙つきの超優良企業とみられていても、経営判断のミスからあっという間に転落してしまう事実をまざまざと見せつけたからだ。

 東芝といえば、テレビや半導体、重電機、軍事・防衛関連、鉄道車両など家電から重電に至る総合電機メーカーとして、日本を代表する超優良巨大企業だった。1930年代から冷蔵庫、洗濯機、掃除機などの国産化製品を次々と生産、その後も電子レンジ、炊飯器など白物家電など日本人の家庭生活、ライフスタイルを変革する製品を作り、日本の生活文化をリードしてきた企業だった。

 その東芝が2015年に明らかになった粉飾決算をきかっけに、一挙に転落への道をたどっている。わずか2年前のことながら、当初は白物家電事業の一部の売却で収拾するとみられていたが、東芝事業の両輪を支える半導体事業、原子力事業にまで及ぶ深刻な経営問題にまで発展してしまったのだ。

――発端は2015年決算から――
 不祥事が発覚したのは2015年の決算からだった。決算発表の延期と配当の見送りを決め、第三者委員会が調査報告書を提出したところ、会社で「チャレンジ」と称して架空の売り上げや利益水増しの粉飾が明るみに出た。このため田中久雄社長や前社長の佐々木則夫副会長、さらにその前の西田厚聰元社長ら直近の3社長と経営陣9人が引責辞任し、東芝株は東証によって特設注意市場銘柄に指定されてしまった。まさに、あれよあれよという間に名門東芝は傷だらけの企業になってしまったのである。

 2016年になると7,191億円の営業赤字と4,832億円の最終赤字を出すに至り、資金繰りまで苦しくなって3月までに白物家電、医薬品事業、映像事業などを次々に売却、従業員約1万人のリストラにまで及ぶこととなる。


――WH買収で底なし沼へ――
 だが、本当に深刻な事態はその後にやってくる。2006年、西田社長時代に約6,000億円とも言われる金額で買収したアメリカ原子力メーカー・ウエスチングハウス(WH)でも、巨額の赤字を抱えていることが分かってきたからだ。WHの買収によって東芝原子力事業を半導体と並ぶ将来の経営の柱とすることを公言し、世界から30基以上の原発の受注を取れると見込んでいた。しかし、アメリカの原子力発電所建設の過程でWH関連子会社の工期が遅れ、その遅れによって生ずる損失は東芝が責任を負う契約となっていたため、7,000億円を超す赤字が見込まれることになってしまったのだ。

――好調半導体分野も道連れに――
 その結果、債務超過のおそれも出てきたため、世界で2位のシェアを誇り年間1,100億円の利益を生み出す稼ぎ頭であった半導体部門の分社化と、株の放出に手をつけざるを得なくなってきたのである。こうして、東芝の今後の事業の核となる原子力分野と半導体部門はズタズタになってしまった。将来の成長分野とみた2分野。特に半導体部門の分社化、株売却は苦渋の決断だったようだが、債務超過を防ぎ、とにかく資金繰りを確保するにはやむを得ない処理方針だったようだ。しかし、当面の資金繰り確保が出来たとしても今後の成長の柱を失ってしまえば、再生・再建の足がかりをどこにつかむか。その将来も厳しいものになると予想される。

――日本は農耕民族型のDNAでは?――
 現在の日本は、どの業界も買収ブームである。バブル時代やその後にため込んだ内部留保は国内の消費不況から設備投資に向けることができず、結局売り上げ、利益を増やすには海外企業の買収に向かわざるをえない企業が目立つ。日本はもともと、農耕民族でコツコツと田畑を耕し、良い作物を作る工夫に知恵を絞り、努力を重ねてきたことを強みとしていた。それなのに本来のDNAを忘れ、手っ取り早いM&Aに資金を注ぎこみ失敗している企業の例は枚挙に暇がない。グローバル化、IT化、M&A時代の開発と企業成長のあり方をじっくり考えてみる時期かもしれない。
TSR情報 2017年3月28日】

※なお、東芝は本日、米原子力子会社ウェスチングハウス(WH)など2社の連邦破産法11条の適用申請を受け、綱川社長が記者会見を先ほど行なった。これによって2017年3月期にWHグループは東芝の連結から外れる。

主な内容は以下の通り(日経新聞速報より抜粋)
・2社の負債総額は計98億ドル(約1兆900億円)。これによって東芝の2017年3月期の連結最終損益が最大で1兆100億円の赤字(従来予想は3900億円の赤字)となる可能性を発表。
・赤字額は09年3月期に日立製作所が記録した7873億円を上回り、国内製造業としては過去最大となる見通し。これにより東芝債務超過額は17年3月末で6200億円となる可能性も明らかとなった。(これまでの債超超過額見通しは1500億円)

直近では、30日に半導体モリー事業を分社するための臨時株主総会を開催。

画像:Wikimedia commons "SS-1200"(Japan First Electric refrigerator 1930) , "Solar"(Japan First Electric Washing machine 1930) , "VC-A"(Japan First Electric Vacuum cleaner 1931) at Toshiba Science Museum, Kawasaki, Japan | Dddeco |

近著ノンフィクション「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」の3刷が決定!

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スタッフです。2015年9月30日に角川書店より発売した「日本兵捕虜はシルクロードを建てた」の3刷が決定しました。昨年の2月5日に2刷目が発売され、初版より1年半あまりで3刷目をお届けできる運びとなりました。

発売当初より、感動したとのコメントやご家族がシベリア抑留に行かれていたことなど、多くの感想を寄せていただき、新聞各紙や雑誌などで大きく取り上げていただきました。多くの本が出版され、なかなかお手元にとどくことが少ない中で長きにわたって購入し、読んで下さる方がいることは本当にうれしいことです。改めて感謝申し上げます。

まだお読みになられていない方もいらっしゃると思いますので、ここで嶌の本書の紹介文を記載します。

ロシア4大オペラハウスを作った日本人捕虜
――シルクロードの日本人伝説と極楽収容所――

このテーマは私がNPO日本ウズベキスタン協会を設立した後、10年以上にわたり取材、調査してきました。実話のノンフィクションとするため、何度か挫折しながらも書き上げた思い入れのある本です。

地震にも倒れなかったウズベキスタンのオペラハウ
戦後70年にあたる今年(初版発売当時)は、様々な戦後史ものが出版されてきました。なかでも多かったのがシベリア抑留の悲劇です。本作はシベリア抑留の悲劇とは違ったソ連での抑留生活を描きました。中央アジアの収容所ですごした457人の日本人捕虜が旧ソ連の4大オペラハウスの一つとなるビザンチン様式の「ナボイ劇場」をロシア革命30年にあたる1947年10月に完成させたのです。厳しい収容所生活にありながら「後世に日本の恥となるような建築は作らない。その上で、全員が元気に帰国する」ことを使命として永田行夫隊長以下10~20代の捕虜たちがウズベク人と協力して建築したものです。1966年の大地震タシケント市が全壊した時、ナボイ劇場だけは凛として悠然と建ち続け、中央アジアの人たちを驚かせました。そのことが91年のソ連からの独立以来、日本をモデルにした国づくりをしようという動きになったのです。

戦後70年目に陽の目を見た秘話
シベリア抑留の悲劇に隠れ、ウズベクのオペラハウス建設の秘話はこれまで日本人にほとんど知られていませんでした。ナボイ劇場の裏手に行くと「この劇場は日本人が建設し、完成に貢献した」という碑文があり、これを読んだ日本人は皆涙します。またウズベクの方々が毎週日本人墓地を掃除してくれています。

アマゾンで1位になった感涙の物語
ぜひ若き日本の抑留者たちの労苦と協力・和の精神が中央アジア全体に多くの親日国を作ったことにつながったことを知って頂き、満州抑留兵のもうひとつの秘話を広めて欲しいと思っています。ぜひ日本人論を再考し、感涙の一冊としてもぜひ多くの皆様にご紹介いただければ幸いです。

 

本書の装丁は鈴木正道氏が担当してくださり、本のカバーを取ると本書の舞台になっているウズベキスタンタシケント市のオペラハウス「ナボイ劇場」の内部の画像となっています。カバーを取って開いた状態で両端の折り込み部分を開くとさらに大きくなりますので、合わせてご覧いただけると幸いです。

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書籍内容についてさらに詳細にお知りになりたい方は、本書の特設サイトを参照ください。

昨日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』 ゲスト:神野直彦様(財政学の第一人者 東京大学名誉教授)二夜目音源掲載

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スタッフです。昨日のTBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30-22:00)、先週に引き続き財政学の第一人者、東京大学名誉教授の神野直彦様をお迎えした二夜目の音源が番組サイトに掲載されました。

大学闘争が一段落し再び大学院に入学、経済学に社会学を採り入れる財政社会学を提唱。税制の専門家として、最近の世界経済についてや、消費税が先送りされている日本の今の状況をどう見ているのかなどについてお伺いいたしました。

前回放送の小学生の頃から芥川龍之介全集や物理学者ガモフの本を読破したという神野様。ようやく入った大学では、東大闘争のあおりで一旦卒業し、なぜか大手自動車会社に入社した経緯やその意味についてお伺いした放送は水曜午前中まで公開中です。お聴き逃しの方は合わせてご利用ください。

神野様が上梓された書籍が好評発売中です。

次週は、明治大学法科大学院教授の瀬木比呂志様をお迎えする予定です。どうぞご期待ください。

26日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』 ゲスト:神野直彦様(財政学の第一人者 東京大学名誉教授)

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スタッフです。26日のTBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30-22:00)は、先週に引き続き財政学の第一人者、東京大学名誉教授の神野直彦様をお迎えいたします。

大学闘争が一段落し再び大学院に入学、経済学に社会学を採り入れる財政社会学を提唱。税制の専門家として、最近の世界経済についてや、消費税が先送りされている日本の今の状況をどう見ているのかなどについてお伺いする予定です。

前回放送の小学生の頃から芥川龍之介全集や物理学者ガモフの本を読破したという神野様。ようやく入った大学では、東大闘争のあおりで一旦卒業し、なぜか大手自動車会社に入社した経緯やその意味についてお伺いした放送は現在番組サイトにて公開中です。お聴き逃しの方は合わせてご利用ください。

神野様が上梓された書籍が好評発売中です。合わせて参照ください。

活況な企業買収へ警鐘 ~東芝問題から感じる本来持つDNAへの立ち返り~

2月21日の「森本毅郎・スタンバイ」の「日本全国8時です」の放送内容をお届けします。

Toshiba T1000 (1985)
Toshiba T1000 (1985) / kirillt

 テーマ:東芝に未来はあるか?どこで間違えたのか?

私は経済記者としてのキャリアも長いのだが、60、70、80年代はずっと東芝を追いかけていた。そのような大企業がこれほどの危機に陥ることは驚きであった上に、今回買収の恐さも改めて感じた。今日は、そんな東芝の栄光と転落を振り返ってみたい。

【会社の由来は二つの会社】
東芝は創業140年あまりの企業で1875年(明治8年)に創業している。その後合併した二つの企業が基盤だ。一つは田中製造所(1893年<明治26年>芝浦製作所に改称)という発電機や変圧器などを作る会社で、この会社の創業者の田中久重氏はからくり人形を作りだした人でもある。「弓曳童子(ゆみひきどうじ)」などの人形の制作者として知られ、この人形のレプリカが2005年に大英博物館に寄贈されている。田中久重氏は「からくり儀右衛門」と称されるほどの天才技術者でもあった。

もう一つの会社は、藤岡市助氏が創設した白熱灯を製造する白熱舎(1899年<明治32年>東京電気に改称)。この2社が合併し、東京芝浦電気が誕生した。1930年(昭和5年)に日本初の国産の電気洗濯機と電気冷蔵庫の開発に成功。戦後も日本初のテレビ、炊飯器、電子レンジを生み出し、1985年には世界初のノートPCを誕生させるなど、日本のライフスタイルを成長させてきた会社であるといえる。1984年(昭和59年)に、東京芝浦電気の略称である「東芝」に社名を変更した。

【業界のみならず財界を牽引】
東芝はそのような先端的な家電製品を生み出すと同時に、そうそうたる顔ぶれの社長を輩出してきた。例えば、石坂泰三氏は東芝の社長(2代目)を歴任後、第二代経団連会長を務め、鳩山一郎首相に対し退陣を迫ったことでも有名な方である。このエピソードから経団連会長は「財界総理」と呼ばれるようになった。

他に東芝の社長(3代目)、会長を歴任後、第四代経団連会長を務めた土光敏夫氏もいる。土光氏は中曽根内閣時に国鉄(現JR)、日本専売公社(現JT)、日本電信電話(現NTT)の行政改革を提言し、それぞれの民営化を推進した。生活が非常に質素で、自宅でメザシを食べていたことから「メザシの土光さん」とも呼ばれていた。このお二人以外にも東芝の歴代の社長は存在感が非常に光っていた。そういう意味でも東芝は家電・重電業界をずっと牽引してきた存在であり、また経済界においてもリードし続け、非常に存在感のある財界人を輩出してきたといえる。

【企業買収が最大の下降要因】
2005年までの業績は右肩上がりで絶好調だったが、それ以降の業績は企業買収等の要因により下降の一途をたどっている。最大の要因は原発事業だ。その中で最も大きなきっかけは2011年の東日本大震災の発生により、東芝が2006年に買収したアメリカの原子力会社ウエスチングハウス(WH)に巨額損失が生じたことが大きい。震災後、アメリカにおける原子力発電所の建設が頓挫。さらに、アメリカ合衆国原子力規制委員会が大幅に規制を強化したことによって、設計変更や工事遅延が発生し、損害規模が膨らんでいる。最大で7000億円ともいわれるが、まだ実態が把握できない状況だ。(※)

原発事業を推進してきたのは当時の佐々木社長だ。佐々木社長は原子力事業成長戦略について「2015年度までに全世界で39基の受注を見込み、2010年3月期に5700億円だった原子力事業の連結売上高を1兆円にまで引き上げる」という目標を掲げ、発表している。しかしながら、今や7000億円とまでいわれる重荷を抱える事態にまで至る。

原発事業の不振のみならず、不正会計が発覚・・・】
日本では今なお原発が再稼働の方向をたどっているが、世界的にみると原子力事業に対する不安が拡がっている。特に今回の東芝のことは、原子力事業は怖いということを思い知らしめた。その渦中に不正会計問題が発覚し、インフラ関連、半導体、パソコンなどの事業において2248億円もの利益を水増ししていた。この結果当時の田中久雄社長を含めた歴代3社長および役員8人が引責辞任し、東芝の経営は大混乱に陥った。そして、それらを補填するために、資産の売却やリストラに向かっていった・・・

自社が保有する株式の売却の実施をしているが、約18万8千人いる従業員(連結)をおそらく数万人の規模でリストラを実施していくものと思われる。既に、メディカル事業など優良事業の株式売却を実施しているが、これも焼け石に水という状態だ。最終的には事業の二大柱であった原子力事業と半導体事業を売却せざるを得ないのではないだろうか。半導体事業は今後の生き残りのため重要な事業であり、東芝は当初20%程度の売却にとどめたいと思っていたが、今日の新聞では過半数を売却しないとならない状況にまで追い込まれている。(※2)

こうやってみていくと、今後東芝はどのように生きていくのかが憂慮される状況だ。今は出血を防ぐために、とにかく売れるものは売り、リストラもやるといっている。しかしながら、残っている事業は、社会インフラやエレベーター、鉄道、車部品、空調、フラッシュメモリーを除く半導体で、売上高は3~4兆円。同業の日立製作所の売上の半分程度となる見込みで、どこまで収益を上げられるか困難な状況とみられる。この状況から判断するに、今後伸びる見込みのある事業はなく、会社の柱となる事業がない状況に陥る可能性が高い。

【本来持つ企業のDNAに立ち返る】
東芝はどうしてこういう状況に陥ったのかを考えてみたい。現在、日本全体がカネ余りで、日本の企業は買収を重ねることで事業規模の拡大を図るという潮流だ。その手法で、確かに事業規模は大きくなり、世界一といわれるようになる。しかしながら、元来より伝わる「ものづくりの精神」といったようなDNAを忘れてしまっているように思う。外資系企業を買収した場合、細かい部分のケアや確認など隅々まで行き届かないことから、こういう状況に陥っているのも一つの要因だといえる。

「いいものをつくる」という基本理念がおろそかになり、それが引き金で事業がおろそかになっていることが改めて感じさせられた。東芝は規模を縮小しているが、今後これで生き残っていけるかどうかが問われている。東芝のDNAをなんとか思い起こしてほしい。

(※)東芝は当初3月14日に延期していた第三四半期の決算発表を行なう予定であったが同日付で関東財務局に申請し、発表日を4月11日に再延期している。

(※2)3月18日付の日経新聞では
東芝メモリは売却金額が巨額な上、技術の海外流出を防ごうとする動きが出ている政府系、外資投資ファンドが連合を組んで共同で買収する案が浮上。東芝は今月下旬に1次入札を締め切る予定。10以上の企業やファンドなどが参加を表明しており、先行きはなお曲折がありそうだ。

 「最後の優良資産」だけに、売却額は1.5兆~2兆円を想定する。昨年キヤノンに6千億円強で売却した医療子会社の2倍以上で、日本のM&A(合併・買収)でも有数の規模だ。1社で資金を賄うのは簡単ではなく、あるファンドは「事業会社との連携も選択肢の一つ」と話す。

 技術や人材流出の懸念からアジア勢への売却ハードルが高まる中、外資は日本政府へ働きかけている。たとえば、韓国SKハイニックスは日本政策投資銀行や官民ファンドの産業革新機構との連携を模索。日本側の警戒感を和らげる考えだ。

 一方、政投銀は革新機構のほか、東芝の取引先企業にも出資を募る「日の丸連合」構想を練る。外資が過半出資して主導権を握るのも認めつつ、日の丸連合が34%を取得して経営の重要事項の拒否権を確保する算段だ。残りを出資する相手候補について政投銀関係者は「米系のファンドや事業会社と組むのがベスト」とし、アジア勢との連合に慎重な見方を示す。
と報じられている。

また、経団連榊原定征会長は3月21日の定例会見で、東芝半導体事業を分社化する「東芝メモリ」について、「東芝半導体事業は国の基幹事業、最重要技術だ。日本にとどまることを希望する」として、政府による支援策が浮上していることに理解を示している。

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首脳外交の糸口は・・・ ~過去の近似的世相から見えてくるもの~

2月14日の「森本毅郎・スタンバイ」の「日本全国8時です」の放送内容をお届けします。

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 テーマ:安倍総理のゴルフ外交はロンヤスの再来!?

今日は先日(2月10日)行われた日米首脳会談について、過去の日米首脳会談との比較も含めお話したい。日本の新聞では非常にうまくいったと書かれていたが、私は必ずしもそうだと思っていない。

【ゴルフの話題が先行・・・】
今回、ゴルフのことが非常に話題となったが、実はトランプ大統領は当選前の選挙戦でオバマ氏が大統領在任中にゴルフばかりしていることを非難していた。そのオバマ氏が大統領に当選以降ゴルフをしたのは就任から4か月後だったが、トランプ大統領は就任から1ヶ月以内でゴルフをしている・・・

今回、日米両首脳はゴルフの話題で親密ぶりをアピールしているのだが、肝心の会談で話すべき内容について本当に首脳同士で話合ったのかということは見えてこない。今回の日米首脳会談について共同通信社が行なった世論調査(2月12、13日電話調査)では70%がよかったと支持し、高い評価を得ている。

【30年前の外交文書から見えてくるもの】
日米首脳会談で印象的なのは「ロンヤス」。これは、当時の中曽根首相(ヤス:中曽根康弘氏の名前に由来)とレーガン大統領(ロン:ロナルド・レーガン氏の名前に由来)の時代のことで、1980年代の日米トップの親密ぶりを表した言葉。今回、タイミングよくその「ロンヤス」時代の会談内容について今年の1月12日に外務省が一般公開した外交文書(30年後の公開)でその中身が明らかになった。

【改善もみられる日米関係だが・・・】
当時、日米にとって最大の懸案事項のひとつは貿易摩擦だった。貿易収支については日本の黒字が常態化し、アメリカは日本に市場開放を要求。特に、農産物の関税引き下げを強く求めていた。当時、アメリカは経済が低迷し失業率が10%を超えていた。そんな中、アメリカでは日本製の自動車や電気製品があふれ、労働者を中心に不満が高まっていた。そういう意味では、今のアメリカと似た状況ではあるといえる。

アメリカはさらに内向き志向が広がり、日本製品輸入を排除する立法の動きも出ていた。そして、日本製品を打破する動きとして日本の自動車を叩き壊す映像が日本でも報じられたことは記憶に新しい。その一方で、アメリカはアフガニスタン侵攻など拡大政策をとるソ連にどう向き合うかという安全保障政策における問題についても頭を悩ませていた。その背景から今のトランプ大統領が抱える「日米貿易通商政策」と「中国をめぐる安保政策」という問題は状況が類似したテーマであるといえる。

このように日本とアメリカは「ロンヤス」時代と同じような状況であるが、先も話した通りこれらの問題に関して安倍首相とトランプ大統領が具体的にどんな会談内容で、どのような対応をしたのかということについては少し相違があると感じる。当時のアメリカ経済は深刻な状態だったが、現在のアメリカ経済は活況で、当時と必ずしも一致していない。さらに日本はアメリカに対して当時よりも市場を開放し、日本からアメリカへ雇用も創生している。当時の状況とは随分違い、それらをトランプ大統領は斟酌していない面も見受けられる中で、トランプ大統領は現状の問題と対峙している。

【戦略的な段取りのロンヤス会談】
ロンヤス時代はこれらの問題に対して、どう妥協し、どう立ち向かったのかを見てみたい。ロンヤス会談については、戦略的な段取りが取られていたことが先に公開された外交文書の記載から読み取れる。ロンヤス会談の船出は2回にわたって演出された。

1回目は中曽根氏が首相就任3ヵ月後の翌年83年1月に、初めて訪米しレーガン氏と会談を実施。中曽根氏は訪米時に大統領を含む4人のトップに用意周到な戦略的個別会談を仕掛けていた。83年1月19日発信の極秘公電によると、中曽根氏はワシントンで同月18日にシュルツ国務長官と会談。シュルツ氏は内戦中のレバノンに派遣されたアメリカやフランスなどによる多国籍軍への資金提供を要請し、中曽根氏は「答えはイエスだ」と応じ支出の規模や名目について外相間で協議するよう求めた。その後、同日に行われたレーガン氏との会談では、武器輸出三原則の例外として日本がアメリカへ武器の技術供与することを決めた。この際、中曽根氏は「日本を正常な針路に乗せるため国民の説得に当たる」と強調し、レーガン氏はこれをえらく歓迎した。

さらに、ワインバーガー国防長官との直接会談では防衛予算の増額を約束。中曽根氏は「有事ではソ連の潜水艦を日本海に封じ込め、爆撃機の日本通過も許さない」として理解を求めた。当時、日本には国民総生産(GNP)の1%以内の防衛費という枠組みがあったが、防衛費のGNP1%枠の撤廃に意欲を示した。

【率直な会談で意気投合。強固な日米関係に】
また、首脳会談前のワシントン・ポストとの朝食会で、中曽根氏は「日本列島を不沈空母のように強力に防衛する。」と発言。その一方で、牛肉・オレンジ問題についてはブロック農務長官に、「No」と譲歩しない態度を貫いた。レーガン氏に「具体的政策ではアメリカと異なることもあり得ると理解願いたい」とも述べ、通商政策で譲らない面もあることを伝えた。この率直な会談で2人は意気投合したといわれている。

今の話を整理すると中曽根氏は「武器輸出三原則」を大幅に譲歩した。この譲歩は当時としては相当大きな譲歩であった。日本で防衛費のGNP1%枠の撤廃はタブーであったし、世論の激しい反対が起こることは想像に難くないことでもあった。さらに、「不沈空母」という表現もタブーだった。新聞は各紙違った論調で、毎日は防衛問題については前のめり外交と批判、朝日、読売は日米関係改善と評価した。そういうことから中曽根氏は通商面においてかなりの努力をしたことがうかがえる。

【解決の糸口は首脳会談の大きな意義だが・・・】
本来、難しい問題について首相同士で話し合い、解決の糸口を作るというのが首脳会談の大きな意義だ。しかしながら、今回の会談においてはほとんどそういう話題が出ていない。報じられるのはゴルフをしたという話ばかりで、二人の間で具体的に日本とアメリカの間で問題になっているNAFTA(北米自由貿易協定 / North American Free Trade Agreement)の問題、TPP、日本の円安批判などについてどこまで腹を割って話し合ったのかほとんど見えてこない。

それらを麻生副総理とペンス副大統領に任せるという形とし、ゴルフをやった演出だけが目立つという感じだ。そういう点でも、ロンヤスと大きな相違があると感じる。これが先送りされ、大きな問題となる可能性も含んでいる。トランプ大統領の上機嫌さを見ていると、安倍首相はどのような発言をしたのかということも非常に気になるところである。どのような話をしたのかを国民に明らかにするということも今後の日米関係にとって大事だと思う。おそらく直近で出てくることはなく、30年経って文書が公開された時点で把握することになるだろう。実際には通商問題で強面になり、これからが正念場となる。

【外交における演出】
ロンヤスの会談の二回目は、先に紹介した初会談の10ヶ月後に今度はレーガン氏が来日して東京都西多摩郡日の出町にある中曽根氏の別荘「日の出山荘」で行われた。この時、中曽根氏はレーガン氏に正座してお茶をふるまったが、レーガン氏は正座ができず足を投げ出すような格好でお茶を飲んだ。テレビを見ている人は正座して居ずまいを正す中曽根氏がカッコよく見え、日本の礼儀作法を世界に知らしめるだけでなく、二人は深い付き合いだと感じられたことが評判になった。外交には演出が必要だということを示した例でもあったといえる。

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消費不況は企業の怠慢

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 高成長の足がかりをつかみ始めた1960年代以降、若者も大人も主婦たちにとっても欲しい商品はいくらでもあった。若者はバイクやクルマに目がなかったし、サラリーマンは時計やカバン、靴などのおしゃれに気を使った。主婦たちは電気冷蔵庫、洗濯機、掃除機、エアコンなど次々と登場する家電製品に目の色を変えて物色し、家族たちはテレビの選択に夢中となった。

 60年代に出てきた商品は、値段も結構高かったが、多くの人はローンを組んで購入した。当時は給料もどんどん上がっていたから借金をしてもそれほど不安は感じなかった。
それより文化的で楽しい生活の誘惑が強かったし、新製品を買いたい欲求のために、月収の数倍もする商品を手に入れようと残業もいとわずに働いたものだ。また企業の側も消費者が欲しくなるような品物を次々と開発し提供した。まさに“消費は美徳”というコピーまで出回り、世の中は活気に満ちていた。

 ところが現代は消費がまったく盛り上がらない。今はどこの家庭も大体必要なものは持っているので買いたいものが見当たらないというのが一般的な感覚だ。若者が目の色を変えて欲しがったクルマは、いまや所有コストがかかりすぎて「必要なときはレンタカーやタクシーで十分だ」という人が多い。自動車を持つと駐車場が必要だし、自動車保険料、取得税、ガソリン代など何だかんだと含めると月に10万円ぐらいはザラにかかる。

 70年代のようにクルマを持つことがステータスだったり、彼女を連れてドライブに行くデートなどももはや特別なことではなくなってしまったらしい。

 クルマだけではない。電気製品にも目を輝かせる人は少なくなってしまった。かつては電気冷蔵庫、テレビ、洗濯機、エアコン、炊飯器など新しい製品が出ると、みんなが群がったものだ。月収の数倍の値段でもローンを組んで手に入れようと先を争った。

こうした家電製品の開発を東芝松下電器(現パナソニック)、シャープ、三洋電機などが国産化一号を争い、一号を出し抜かれた企業は次々とカッコのよい多機能のついた便利な改良品を発売していった。60~80年代は、まさにクルマと家電製品が高度成長を引っ張り、家庭生活を便利で豊かにし文化度を高めていったのである。

 そこには高度成長期の消費者の夢と欲望を満たそうと各社がしのぎを削って知恵を絞り、消費者の要求を見つけ出した研究開発、製品づくりに必死になったものだ。 

 ところが現代は、企業の側も「消費者は何でも持っているため、欲しいものがないようで新製品を出しにくい」という。

 しかし消費者が気が付かないものを必死に考え出し製品化してマーケットを作るのが企業の役割ではないのだろうか。“消費者はいまやモノに飽きている”なんていうのは、まさしく企業の“怠慢”ではないか。

 日本の家電、自動車メーカーに敗北した欧米メーカーは苦節20~30年でIT、バイオ、宇宙、医療、エンターテイメントなどで新しい市場を開拓しはじめ、今やアップル、マイクロソフト、グーグル、テスラなどの新興企業が世界を牽引している。欧州メーカーでは吸引力数倍の掃除機や自動掃除機を開発し、留守の間に掃除をすませてしまう新たな家電製品を作り人気になっている。

 実は、消費者が欲しい製品はまだまだ無数にあるのだ。なのに「市場は飽和状態で消費者に欲しいものはなくなった」などというのは、企業側の“怠慢”であり、バブルにぬくぬくと浸りきってしまったせいなのではないか。これでは欧米先進国と新興国のはさみ討ちにあうだけだろう。
【電気新聞 2017年3月16日】

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