親日イスラム国カトウタキ
「加藤タキ」が中央アジア5カ国名を覚えるコツだという。カはカザフスタン、トはトルクメニスタン、ウはウズベキスタン、タはタジキスタン、キはキルギス。
その中央アジア5カ国を安倍首相夫妻と関係企業、団体など約50組織が初めて訪問し、「日本もようやく中央アジアに目を向け始めた」と注目を集めた。
中国の玄奘(三蔵法師)がシルクロードを通ってインドの仏典を持ち帰り、それが日本に伝わった関係から中央アジアやシルクロードに親しみを感ずる日本人は多いし、井上靖の小説や平山郁夫の絵画などでもお馴染みだ。
実は中央ア諸国は、欧州とアジア・中国を結ぶ重要な貿易路で15世紀までは世界の大動脈だった。それが大航海時代の16世紀以降になると役割が減り、最近は中国やロシア、インド、アラブなどにはさまれた砂漠の国というイメージが強くなってしまった。しかし、シルクロードとその周辺の国々には紀元前からの文明遺跡が数多くあり、最近は観光地としても世界中から世界遺産を見学する人がやってきている。
安倍首相は今回の歴訪でトルクメニスタンに天然ガスを活用した産業高度化や発電所、インフラ建設に2兆2000億円のプロジェクトを約束したほか、カザフスタン、ウズベキスタンなどとも原油、レアメタル、金、天然ガス、ウラン、銀などの地下資源やインフラ整備、中小企業交流などを約束し、どこでも歓迎された。
なかでも縁が深いのは、日本の1.2倍の広さをもつウズベキスタンだ。日本の旧ソ連捕虜がウズベキスタンへ移送され、その中の第四収容所(ラーゲリ)に行った日本人がウズベク人とともに後にロシア四大オペラハウスといわれるビザンチン風の壮麗なナボイ劇場を建設し、現地で尊敬されていたのである。
1960年代の大地震で首都タシケントの街はほぼ全壊した中で、ナボイ劇場はびくともせず悠然と美しく立ち続け、日本人伝説ともなってきた。安倍首相一行は、現地でなくなった日本人捕虜の墓参を行い、日本人の活躍を資料にとどめて記念館をつくってくれたスルタノフ氏に礼を述べ喜ばれたという。
シルクロードに造詣の深い首相夫人の安倍昭恵さんはフェイスブックの中で私が先月に上梓したノンフィクション『日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた』(角川書店)にも触れてくれている。戦後70年史の捕虜の話といえば悲惨なシベリア抑留の話が多い中でウズベキスタンのオペラ劇場建設の話は過酷な状況の中でも日本人が波乱万丈の活躍をし、ロシア人とウズベク人双方に感謝されたという珍しい逸話なのだ。
【財界 2015年12月8日号 第412回】