多くの人が涙したウズベキスタン ナボイ劇場建設秘話が昨日フジテレビ「奇跡体験!アンビリーバボー」で放送されました
スタッフです。昨日放送されたフジテレビ系「奇跡体験!アンビリーバボー」でのナボイ劇場建設の物語をご覧になられた方から、大きな反響をいただき感謝申し上げます。
昨日番組内で放送された、再現ドラマは嶌が一昨年の9月末に上梓した「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」(角川書店)を参考にしてくださり、嶌へのヒアリングならびに、嶌がシナリオの監修を行ないました。
今回、永田様のご家族をはじめとしたご遺族ならびに、嶌が会長を務める日本ウズベキスタン協会、中山恭子様(参議院議員)などが番組制作に協力しております。
※画像は、2014年駐日ウズベキスタン大使館で行われた日本ウズベキスタン協会のイベントにて撮影(左より、中山恭子様、ファルフ・トゥルスノフ駐日ウズベキスタン大使、嶌)
今回の放送の内容が番組サイトに掲載されましたのでご紹介します。
番組内容要約(番組サイトより抜粋)
中央アジアの国、ウズベキスタンの首都・タシケント。 今年4月、そこは満開の桜で彩られる。市内の劇場、墓地などで咲き誇る桜には、知られざる日本人の精神が宿っていた。 今なお、語り継がれる歴史に隠された日本人たちの「魂の結晶」とは…
今から72年前の8月15日、第二次世界大戦で日本は無条件降伏。戦闘機の整備部隊の隊長だった永田行夫は、200名あまりの部下と共に、ソ連軍の捕虜となった。投降した日本兵をソ連各地に送り込み、強制労働させる。 シベリア抑留のはじまりだった。
永田の部隊が送り込まれたのは、当時、ソ連領であったウズベキスタン共和国にある第4ラーゲリーと呼ばれる収容所。 そこで従事する仕事は、ソ連共産党の威信を示すためのオペラハウス「ナボイ劇場」の建設。
永田班は世界一の劇場を作りたい、そんな思いで必死に働くうちにウズベキスタン人との心の垣根は消え親密になっていった。
劇場の完成も間近に迫ったある日、永田の部下の永尾が、高所作業中に落下し即死。遺体は捕虜が強制労働の末に亡くなったことを表沙汰にできないため、即座にソ連兵に撤去されていった。しかし、翌朝、永尾の死を悼み、花を手向けるウズベキスタンの人々の姿があった。
その2ヶ月後、ナボイ劇場は2年の時を経て、ついに完成。 建設に携わった日本人捕虜たちの為に、内覧会が開かれた。美しい装飾に彩られた劇場は、世界最高峰のオペラハウスと呼ぶにふさわしかった。それは、ウズベキスタン人と共に血と汗を流し、日本人としての誇りを胸に、持てる技能の全てを注いだ彼らの魂の結晶だった。
永田は日本に帰国後、真っ先に第四ラーゲリにいた457名の住所録を作成することだった。帰国時にメモを所持しているとスパイとみなされるため、全員分の名前と住所を全て暗記し、帰国後記憶を元に住所録を作成。 それにより、年に一度かつての戦友たちと集まることができた。帰国から40年後には、ナボイ劇場でオペラを鑑賞。 共に建設に携わったアサードフとも再会し、念願だった永尾清さんの墓参りも果たした。日本人の心、そして誇りが宿る桜。 美しき精神とともに、来年も花開くだろう…
本番組に登場された永田行夫様が「嶌信彦のエネルギッシュトーク」(TBSラジオ)に2002年11月3日に出演され、当時のことを語られている音源を合わせてご紹介します。
なお、新宿西口にある平和祈念展示資料館では、放送内にも登場したウズベキスタン・タシケント市の日本人抑留者記念館のジャリル・スルタノフ館長が制作した記録映画「ひいらぎ」が5月6日(土)14時から放送される予定です。
スルタノフ様は日本人抑留者の素晴らしい仕事ぶりに感銘を受け、ウズベキスタンが1991年にソ連から独立したのを機に、日本人ゆかりの収容所や墓地などの資料や証言の収集を開始しました。「ひいらぎ」はその一部を映像化したもので、当時の様子を知る人々の証言を交えた貴重な日本人抑留者のドキュメンタリーとなっています。
昨晩放送されたナボイ劇場建設をはじめとして、ウズベキスタン各地で労働に従事した勤勉な日本人と共に働かれたウズベキスタンの方々の貴重な証言などが収録されています。昨日の放送でご興味をお持ちになられた方は是非、足を運んでいただけると幸いです。