ミャンマークーデター、日本の役割は
ミャンマー国軍が2月1日、クーデターを起こし、政権を率いるアウンサンスーチー国家顧問兼外相ら政府与党の幹部を拘束した。国軍最高司令官のミンアウンフライン氏が軍政の最高意思決定機関を設置して自ら議長に就任し、体制作りを進めている。
ミンアウンフライン氏は「規律ある民主主義を確立するため」と主張しているが、最大都市ヤンゴンでは大規模な抗議デモがあり「軍政を倒せ、スーチー氏を開放しろ」と声をあげながら市内を練り歩いた。軍政側はインターネットを遮断し、国内で2000万人以上が利用するフェイスブックなどへの接続も遮断した。
ミャンマー(旧ビルマ)が英国から独立したのは1948年。スーチー氏は1945年生まれで、父アウンサン将軍はビルマ建国の父と言われていたが2歳の時に亡くなっている。1962年以降は、軍がクーデターを起こし政治を支配することが多かった。
このためスーチー氏らが国民民主連盟(NLD)を結成、90年の総選挙で圧勝したものの、軍は政権移譲を拒否。スーチー氏は自宅軟禁されたが91年にノーベル平和賞を受賞したりした。2011年にようやく民政移管が完了すると15年の総選挙でNLDが勝利し、スーチー氏が実質的な政権トップとなる国家顧問兼外相に就任した。
こうして約半世紀に及んだ軍政と、断続的に15年に及んだスーチー氏の軟禁にも終止符が打たれた。しかし国会議員の4分の1は軍人枠で占められるなど国軍の政治関与は今も続いている。特に17年には国軍が少数派のイスラム教徒ロヒンギャを迫害、約100万人が隣国のバングラデシュに難民として非難し、国際的批判を浴びている。
今回のクーデターに対するASEAN各国の態度は微妙だ。タイ、カンボジア、フィリピンは「内政問題だ」とし不干渉の立場だし、ベトナム、ブルネイは「状況を見守る」と介入しない姿勢をみせている。
一方、シンガポール、マレーシア、インドネシアなどは「政治状況に懸念を感ずる。正常化を望む」などとしているが、欧米のような激しい批判を避け、ASEANとして一致した行動に出ることにも消極的だ。背後にアメリカ、中国、ロシアなどの大国が控えており、大国の思惑がそれぞれ違う上、ASEAN各国は独裁政権が多いのでハネ返りを恐れ、軽々に動けないのだ。
ただミャンマーは、約5500万人の人口と東南アジア最大の国土、豊富な宝石、鉱物資源などを持つ豊かな農業国で東南アジア最後のフロンティアと呼ばれてきた国だ。しかも東南アジアと中国、インドを結ぶ要衝の地域にも位置しているだけに、国際社会はクーデター後の政治新体制の動きに注目しているのだ。ミャンマーではスーチー氏の釈放を求める抗議デモが続いているが、軍部は「国家を安定させているのは国軍の力だ」と主張し、ミン最高司令官は国政運営に野心をもっているとも言われている。ただスーチー氏のカリスマ的人気と国際社会の軍部批判やアメリカなどの経済制裁も気にしており一挙に強力な軍政に戻れないようだ。
日本は安定化してきたミャンマーに400社超の企業が進出している。香港のように圧政を実施すると、進出している外国企業が退避し、せっかく安定成長の軌道に乗り始めたミャンマーの成長がストップする可能性も強い。
軍部とスーチー氏支援の民衆、そして国際社会との妥協がミャンマー発展のカギとなろう。ミャンマーの各勢力と良好な関係を持っていた日本がどんな役割を果たせるかも注目されている。
【Japan In-depth 2021年2月19日】