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時代を読む

ジャーナリスト嶌信彦のコラムやお知らせを掲載しています。皆様よろしくお願いいたします。

どこまで頑張る香港学生

 香港の学生や一般市民も加わった数万人のデモの光景は圧巻だった。特に香港中心部の幹線道路を埋め尽くし、その先頭に高校生や大学生が立って演説する姿は、50〜60年代の日本の学生運動を思い起こさせ、個人的にも懐かしさを感じた。当時は、日本だけでなくヨーロッパやアメリカ、アジアなどで社会の歪みや大学のあり方、国の方針等について学生たちが〝異議申し立て〟を行いデモが多発した。今では考えられないが、東京でも銀座通りが学生たちで埋め尽くされたこともあったのである。

 香港の学生・市民の反発は中国政府による自由や民主的制度への締め付けだ。香港は18世紀にイギリスがインドからアヘンを清朝に輸出しはじめた時、これを規制する清朝アヘン戦争を行い1841年にイギリスが占領。その後条約によって香港をイギリス領に組み入れたのだ。第二次アヘン戦争後の1865年から香港島と共に九龍半島もイギリス領となった。以来、イギリスは租借期限を99年とし、中国ではよく〝永久〟という意味にも使われるようで、サッチャー英首相は「香港の租借延長は当然」と思いつつ交渉した。しかし、時の実力者鄧小平に断られてショックを受け、階段を踏みはずしたという逸話も残っている。

 中国に編入された香港は、それでも自由化や民主主義制度が残され〝一国二制度〟の状態が続いた。中国にとってはアジア一の金融市場を維持することは大きな利益であり、香港を通じた西側との通商、情報の交流は得策だったからだ。しかし、中国が世界第二位の経済大国となり、市場主義を取り入れる共に上海の金融市場が大きく育ってくると、香港の一国二制度のメリットはだんだん少なくなった。このため少しずつ香港の〝中国化〟を強めつつあった。

 そのシンボルが2017年の香港トップを決める行政長官の選挙となる。1人1票の普通選挙を導入する一方で、長官候補は共産党支持を約束させられるなど、民主派候補が事実上排除される仕組みが明白となって今回の反発につながったのだ。

 これまで香港では認められてきた言論、集会、報道などの自由が今後は制限される懸念が強くなったため、若者たちが立ち上がったわけである。香港当局側がさし向けたとみられるヤクザ集団などが学生や民主派を挑発し、デモ隊の切り崩しにかかっていることも事態を複雑にしているようだ。学生達がどこまで抵抗するのか。死傷者や逮捕者が大量に出て、かつての天安門事件の二の舞になると、習近平政権も世界に対して「これは中国の内政問題だ」とは言っていられなくなるだろう。

 習政権の汚職・腐敗追放運動は国民からの支持は多いが、同時に自由化、民主化の幅をもっと広げていかないと国際社会の価値観と合わず孤立化していく可能性も強い。権力集中を強める習政権の評判にとっても正念場となろう。

 学生代表が香港行政長官との話合いで実のある譲歩を引き出せるか。
【財界 秋季特大号2014 第386回】