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香港を窒息させてよいのか

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 香港の騒乱が収まらない。香港人の中国政府への抗議デモは、3月31日の最初のデモに1万2000人が参加した後、続々と増え200万人に膨れ上がった。その後も常時40~50万人が参加し、8月13日になると香港国際空港に若者数千人が座り込み、欠航が相次いだ。学生たちは「今引いたら香港の締め付けが強まりデモすらできなくなる」と危機感を強めているのだ。一方で香港・中国両政府は、「今の騒動はデモというより一種のテロだ」と言い、武装警察を待機させ威嚇している。
 
 抗議のきっかけは犯罪容疑者を中国本土へ引き渡すことを可能にする逃亡犯条例の改正問題である。容疑者を本土へ引き渡すようになったら、公正な裁判は期待できず、香港へ戻ることもできなくなるのではないかと考え抵抗を試みているのだ。

 香港は中国南部の珠江デルタ地区に位置し5000年前の遺跡なども発見されている地区である。中国王朝時代には紀元前に秦朝、唐の時代には南海貿易の貿易港として栄えた。明朝時代の1500年代になるとポルトガル人が来航しているが放逐。清朝時代に入ってからはイギリスの東インド会社がアヘンを清朝に売り付けようとし、1830年アヘン戦争が始まりイギリスは香港島を占領。以後香港はイギリスに譲渡された。

 その後、第二次大戦中は日本の統治下に入るが、大戦終了後再びイギリスと中国の話し合いにより2047年までイギリス統治下に入ることで合意した。交渉にあたった当時のサッチャー英首相は”将来にわたる香港統治”を求めたが、鄧小平氏に断られる。サッチャーはこの回答にショックを受け帰路の階段で足を滑らせたという逸話があり、英国の衰退、中国の勢いを象徴する初期のエピソードとして語り継がれている。

 今回の香港動乱は、そんな不満の爆発とみることができる。欧米諸国は香港市民の運動を支援しているが、習主席は「これは中国の内政問題だ」とはねつけている。天安門事件の悪夢が去来しているのだろう。

 ただ中国にとっては、片方で米中貿易戦争を抱え、ジワジワと中国景気に悪影響を与え「人民元安」が進行して輸入物価も高まりつつある。トランプ米大統領は貿易戦争を絡ませながら自由化、民主化を求めるというディール(取引)作戦を匂わせている。

 香港は社会主義国家中国が西側の経済思想、文化、自由化の空気を取り入れていた唯一の窓口だった。その香港を締め付けるということは中国が今後ますます内に閉じこもる結果をもたらそう。香港を死なすことは中国と世界にとっても決してプラスになるまい。
【財界 2019年9月24日号 第503回】

※本コラムは8月下旬に入稿しております。

参考情報:
 香港のデモの近況としては、10月1日に中国が建国70周年を迎える付近でデモが激化しはじめ、29日に香港の湾仔地区で警察がデモ参加者やジャーナリストの一団に向けてゴム弾を発射し、インドネシアのジャーナリストヴェビー・メガ・インダー氏が取材中に防護ゴーグルにゴム弾が当たり、右目を失明。

 さらに、建国70周年を迎えた1日の抗議活動では、棒や火炎ビンなどを持った参加者が、香港各地で警察と衝突。同日には、警察の実弾発砲で高校生が負傷。警察は全体で269人を逮捕し、1日の逮捕者数としてはデモ開始以来最大。

 また、政府が4日に「緊急状況規則条例」の適用を検討する方針であることが3日、複数の関係筋の話で明らかになった。条例の下、抗議活動の際に参加者がマスクなどで顔を覆うことが禁止される可能性もある。

 


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