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ジャーナリスト嶌信彦のコラムやお知らせを掲載しています。皆様よろしくお願いいたします。

昨日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』ゲスト:ヤマザキマリ様(漫画家)の音源が掲載

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スタッフからのお知らせです。昨日TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30-22:00)は、ゲストにイタリア在住の漫画家のヤマザキマリ様をお招きしました。番組サイトに音源が掲載され、10日間限定で来週水曜正午まで公開中です。

14歳でヨーロッパを独り旅し、17歳でイタリア留学、その後もシリア、アメリカなどに住んだ後、1997年に漫画家デビュー。その後、古代ローマと現代の日本を舞台とした人気作品「テルマエ・ロマエ」の誕生秘話などをお伺いました。

次週も引き続きヤマザキマリ様をゲストにお迎えし、中学生の時に単身ヨーロッパを旅行後、17歳でイタリアに美術史と油絵を学びに留学。27歳のときシングルマザーとして出産後、日本に帰国し、漫画家デビュー。イタリア人と結婚後も夫の仕事の関係で、中東やポルトガル、アメリカに住むなど、国境にとらわれない生き方を体現してきた人生観などにつきお伺いする予定です。

ヤマザキマリ様は漫画以外にも様々な書籍も上梓されていらっしゃいます。一部ご紹介いします。様々な国で暮らされているヤマザキ様の多様性に関する記述など非常に興味深い本です。ぜひお近くの書店でお手にとってご覧ください。

―日本は戦後の第二創業に挑戦を―  中小・零細企業に期待

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 今年1月、私は「目指せ!第二の創業時代」というコラムを書いた(オフィシャルHPに掲載※)。第二次大戦で敗戦した直後の日本は、当時の中小・零細企業が廃墟の中から立ち上がって今日の経済大国の礎を築いた。ソニー、シャープ、松下電器パナソニック)といった家電メーカーや、トヨタ・ホンダ・日産などの自動車産業も創業当初は僅かの人数、小さな本社、工場でソケットや電球、オートバイ、三輪自動車などの製造からスタートしてきたのだ。当時は日本人も世界も今日のような世界的企業となり、日本を経済大国として引っ張る企業群になるとは思っていなかったはずだ。しかし今から思うと、まさしく1945年から数年間が日本の戦後企業の創業時代だった。

 創業時代はどの企業も死に物狂いで働き、ヒットになりそうな商品を社を挙げて考え、他国の商品からアイディア、ヒントを探しまくっていた。ソニーは10人も入れば一杯になる部屋からスタートしたというし、創業者の井深大氏は戦争から盛田昭夫氏が帰国したと知ると直ちに連絡をとり、トランジスタを開発し二人のコンビで会社を引っ張った。盛田氏は海外へ営業にまわり、ジャップと蔑まれたこともあったようだが、欧州からは日本の首相までが“トランジスタ商人”とも呼ばれた。

 とにかくどの企業も、第二次大戦で世界と戦い敗北した日本を暖かく迎える国や企業は少なかったが、自分たちで明治維新の時のように世界をみて働き、日本と自分たちの企業を再生させるんだという意気込みと熱意が凄まじかった。まさに日本全体が明治維新に次ぐ第二の創業時代を意識し、火の玉のようになっていた時代の雰囲気があったように思われる。

―創業精神を失ってきた日本―
 私は現代の日本に欠けているのは、燃えるような創業期の精神と志、行動ではないかと思う。日本は経済大国になりバブルを経験することで国際経済情勢の新しい動きを見失い、逆にいつでも1960-80年代の強かった日本時代に戻れると驕っていたのではなかろうか。日本のバブルが崩壊した1990年代ごろから、世界の経済は新しい時代に入っていた。アメリカはITや通信、バイオ、宇宙、医療、エンターテイメントなどの分野で次々と新しい開発、研究、新規産業が生まれていた。アップル、マイクロソフト、グーグルなどはその典型だろう。中国、アジアなどの新興国は80年代からかつての日本のような猛烈な働きぶりをみせ、どんどん他国から技術や人材を獲得していき、コスト競争でも優位に立ってきた。日本式経営や経済大国の誉め言葉に安住していた日本は、いつの間にか追いつかれ、追い抜かれていたのに、また1970-80年代のようにいつでも戻れるとタカをくくっていて、新しいうねりが出てこないまま失われた20年、30年を過ごしてしまったのだ。

 世界に追いつかれ、追い抜かれているのにそこに安住し、気づいた時には、なかなかエンジンがかからず、日本のかつての輝きは過去のものになっていた。世界も最近の日本に文化を除いて新しい魅力があるとは思わなかったのではないか。このため一時的に日本がはやされることはあっても長続きはせず、株価は依然バブル時代の最高位の2分の1を超えられないし、研究論文数やGDP、一人当たりの生産性などの経済指標等でも順位を下げている。

―中小企業に起業家精神が―
 しかし、そんな日本にも最近戦後の第二創業時代がやってきている。それは活力を失った大企業ではなく、日本の企業の99%を占める中小・零細企業の中から、明治維新期や敗戦後の日本を元気づけたような企業が次々と生まれてきている。今回はそんな第二創業時代を思わせる典型的な企業を紹介したい。

 その企業は、私が毎週日曜21時半からTBSラジオで放送している『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』に出演頂いた(今後放送予定)、神奈川県茅ヶ崎市の由紀精密(大坪正人社長)という零細企業である。社員20人余とパートタイマーを入れて30人ほどの小企業だが、航空、医療機器などの部品加工を行なっている。営業社員がいない経営スタイルを貫き、大学や大学院出身の若手が油まみれで働いている普通の町工場のような会社だ。中小企業でありながら祖父が創業し、父親が継承していた螺子(ネジ)の会社を僅か3~4年で、何と航空産業、医療機器の会社へと変身させ、この5年間で取引先を3倍に増やし、売上高も大幅に伸ばしているのだ。欧州にも拠点を置き、高付加価値製品をアジアよりも欧米、特に航空機の最先端技術開発国であるフランスにターゲットを絞って戦略を立ててきた。

―航空産業に挑む由紀精密―
祖父が設立したネジの会社を航空機産業関連の企業へと変えたのは、3代目の正人氏(42)だ。小さい頃は家業を意識することなく、むしろ祖母には町工場を継ぐことを反対され、大企業への就職を勧められたという。実際、正人氏は東大大学院の工学系研究科を卒業した後、金型製作ベンチャーのインクス社に入社。携帯電話試作金型で世界最高速の金型工場を自ら立ち上げるなどして一躍有名になった。2005年には第1回日本ものづくり大賞経済産業大臣賞受賞などを受賞、2017年には皇太子殿下(※1)が視察している。

2006年、実家の経営がはかばかしくないことを知り、「いずれ家業を継ぐつもりがあるなら早い方がよい」と転職した。家業を継いでみて日本の町工場の力量に驚いた。経営戦略は無くただ納期に合わせて現場で働いているだけと考えていた実家の仕事は、複合加工部品を一万個も納めてクレーム一つない。その仕事ぶりに驚き、日本のものづくりを支えているのが町工場なのだと実感する。以来、中高年者が油まみれでものを作る古いイメージを変えたいと社名、ロゴを変え若手を採用し、先端機械も次々と導入する先行投資を行なった。短納期と高品質、不良品ゼロを達成し、1万点を超える複合切削加工を手掛けてきた。0.2マイクログラム(マイクロは100万分の1)で500円の超精密コネクターの加工に成功し、航空機、レーシングバイク用部品などの高付加価値部品を次々と受注するようになった。

f:id:Nobuhiko_Shima:20170825112753j:plain 新たなロゴ(由紀精密社提供)

―品質と信頼を武器に異業種に参入―
 3代目の正人社長は、祖父の会社から引き継いできた中心事業の公衆電話は需要減少で売上が激減してきたため、会社を根本から立て直そうと企業改革に踏み切る。顧客や従業員、他社などから意見を聞き「自社の強みは何か」を徹底的に洗い出す。その結果、継承してきた技術を公衆電話を作る大量生産型のビジネスから大量生産型でなくともよいから高品質のものづくりの企業に変えたいと考え、自分たちの技術が参入できて将来性のある産業を考えぬいた。こうして結論に至ったのが航空機、宇宙産業と医療関連だった。

 中小・零細企業が全く知らない宇宙、航空関連や医療産業に挑戦するのは無謀のように見えた。しかし単なる部品の受注だけでなく、設計から製造まで一貫して行なえる開発体制を整え、積極的に航空宇宙関連の展示会に出展。情報開発にも力を入れてこの分野の品質マネジメント規格「JISQ9100」も取得した。2013年には超小型人工衛星向け部品を供給したり、内視鏡や医療機器関連分野にも挑戦し、業界でも評判が広がっていく。2016年には売り上げの約4割は航空宇宙関連、2割が医療機器関連企業へと企業構造は全く変わり、数年で“第二創業企業”の様相を呈してきたのである。「最初は全く未知の分野へ参入し受注できるのかという心配が大きかったけれど真面目に品質にこだわり、少しずつ挑戦しているうちに企業構造は全く変わってしまった。世界の展示会に積極的に参加し、従業員も一緒に行っているうちに皆が世界の状況を知り、当社が何をすれば伸びてゆけるかについて全員が肌で感ずるようになった。小さくとも個性のある町工場になってきた。うちでは毎週月曜の朝1時間の全体会議を開き、将来の会社のあり方を議論するうちに、当初は航空宇宙といわれてもピンとこなかった。しかし、そのうちに社員の意識が『精度の高い製品を作る』から『ジェットエンジンや宇宙開発の部品を作る』という方向に約2年で変わっていった」という。まさにわずか30人の中小企業が2年で第二の創業へと向かい出し、誇りを持ち出したのだ。毎年、世界や日本の展示会に参加し評価を受け、受注も増えてくると自信につながった。

―パリ航空ショーに社員らと参加―
 こうして由紀精密は品質と製品への信頼で顧客の評判は上昇し、リーマン・ショックがあっても売り上げは減らなかったという。営業社員を持たなかったが、ウェブサイトで企業を紹介し、視野を世界に求め社員にもその意識を共有するように求めた。そして魅力的な企業であることを追求し、いまや連携している協力企業は50社を超える。パリ航空ショーにも出展し、社員の半数以上が一緒に行くことで“小さくとも世界企業”であることの実感を共有し、30年後の“100年企業”を目指す。パリ航空ショーは世界中から13万8000人のビジネス来場者があり、19万3000人の一般来場者、2000社以上の出展者、140機以上の航空機が集まり毎日デモンストレーション飛行がある。普通なら恐れ多いと躊躇してしまうところだが、ウェブサイトを見ると申し込みフォームがあり規定の料金を所定口座に振り込むだけで、相違点は申し込みフォームが英語で、通貨がユーロぐらいであることだけだった。社員も1~2人を除くと語学に堪能な人物はいなかったが、全員が興奮し燃えていて、その後の企業のモチベーション向上につながった。「ものづくりは世界の共通言語で、職人同士は製品を通してコミュニケーションが出来る。まずは挑戦してみることだ。挑戦すれば、全員が次から次へと考え、モチベーションをあげていくことが自分自身の経験でも実感できた」と3代目社長は語る。

 3代目の正人社長は42歳だが、見た目はまだ30代のように若々しく、とても世界を股にかけ動きまわっているようにはみえない。従業員の約半分は女性で多くはエンジニアである。2010年に欧州進出の5年計画を立てており、2011年・パリ航空ショー出展、2012年・現地オフィス展開、13年・現地法人立ち上げ、2014年・地元企業のM&A、2015年・現地工場稼動――とした。こうした計画の中で2011年にはイタリアの人工衛星メーカーから初受注が決まる。商社、外資メーカー、日本の支社を通さず海外から直接受注がくるなどは想像もしなかったが、こうして一社依存体制からも徐々に抜け出て変化していったという。

 大坪正人社長など、ものづくり中小企業のアイデアで2012年に全日本製造業コマ大戦が横浜で行なわれた。直径250ミリメートルの土俵上で直径20ミリ以下のコマを指で回し、外にはじきだされずに長く回っていたコマが勝ちという単純なルールだ。形状、材質に制限はなく、いわば私達が戦後遊んで流行していたベーゴマ大会のようなものだ。しかしいかに長く回り続けられるか、衝突してはじき出されたら負けなので、参加者は頭を絞って強いコマ作りに精を出す。第1回大会には予選を勝ち抜いた16チームが全国から出場したが、年々参加者が増えているという。由紀精密では、SEIMITSUコマを1個864円で販売したところ、あっという間に数百個単位の注文が入ってきたという。


―中小・零細企業の2017年問題―
 中小・零細企業群の中で2017年問題が注目点になっている。団塊世代(1947~1950年生まれ)の経営者が70歳を迎え始め廃業が急増すると予測されているからだ。日本の企業数は約380万社で99.7%が中小・零細企業といわれる(2014年・中小企業庁)。実は団塊世代の社長たちが引退し後継者不在の問題が起きているのだ。2009年以降の企業の休廃業、解散件数は毎年2万5000件を越えており、今後さらに増え続けるとみられている。しかも日本の人口は少子高齢化で人口減少が激しく、現在の出生率で計算すると2050年には1億人を割り、2100年には4959万人まで減少するという(内閣府調べ)。政府は2080年に1億人に戻したいとしているが、それには今の出生率1.4人を1.8人にまで引上げなければならず現状では絶望的だ。ちなみに2016年の人口減少は33万人だった。人口こそ成長の柱といわれているだけに早く有効な手を打たないと日本の将来は暗くなるばかりだ。かつてのように日本が世界から注目されず、日本人に元気がみられないのも人口減少、少子高齢化と無縁ではない。

 そんな時代状況の中で日本の中小・零細企業に第二の創業時代が到来し、世界で再び活躍する企業が増えれば、世の中のムードも大きく変わってくる可能性もあるのではないか。そして細かく調査すると由紀精密のような企業は案外多く誕生しているのだ。政府や大企業はこうした元気な中小企業を応援し、さらに活気づけることだ。メディアや学生たち、その親も大企業ばかりに目を注ぐが、有望な中小零細企業を発見、育てることが今の日本には極めて重要だろう。
TSR情報 2017年8月24日】

トップ画像:由紀精密社のコマ(出張先に同行・由紀精密社提供)

※1:皇太子殿下の視察の模様(由紀精密社Facebookより)

※1月記載のコラム

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27日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』ゲスト:ヤマザキマリ様(漫画家)をゲストにお迎え

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スタッフからのお知らせです。27日(日曜日)のTBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30-22:00)は、ゲストにイタリア在住の漫画家のヤマザキマリ様をお招きいたします。

14歳でヨーロッパを独り旅し、17歳でイタリア留学、その後もシリア、アメリカなどに住んだ後、1997年に漫画家デビュー。その後、古代ローマと現代の日本を舞台とした人気作品「テルマエ・ロマエ」の誕生秘話などをお伺いする予定です。ご期待下さい。

ヤマザキマリ様は漫画以外にも様々な書籍も上梓されていらっしゃいます。一部ご紹介いします。様々な国で暮らされているヤマザキ様の多様性に関する記述など非常に興味深い本です。ぜひお近くの書店でお手にとってご覧ください。

月曜日のテレビ東京「世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~」にてウズベキスタンの「ナボイ劇場」建設秘話が紹介されました

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スタッフからのお知らせです。月曜日(21日)に放送されたテレビ東京「世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~」にて第二次世界大戦後に抑留された日本兵と現地のウズベキスタンの方々によって建設された「ナボイ劇場」に関するエピソードが放送されました。

本放送にあたり、嶌が会長を務める日本ウズベキスタン協会および嶌が上梓したナボイ劇場建設秘話「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」(角川書店)の主人公である永田行夫様のご子息が資料提供等でご協力しております。

■ナボイ劇場とは?
ナボイ劇場は旧ソ連の四大オペラハウスであり、正式名称は「アリシェル・ナボイ劇場」といいます。中央アジアの中心地であるウズベキスタンの首都タシケント市に現存し、総床面積1万5000平方メートル、客席1400席を有する煉瓦作り3階建てのビザンチン風建築です。建物内部にはいくつかの間やパーティの部屋があり、壁装飾は中央アジアの各地域の特色を生かすよう工夫されています。

第二次大戦後、レーニンによる政権樹立を行なった1917年11月7日の革命30周年にあたる1947年11月までにこの劇場を建設することを命題として、満州から旧ソ連によって旧ソ連領のウズベキスタンタシケント市に強制的に移送された日本兵の方々と現地のウズベク人が建築に携わられています。

シベリア抑留とは?
旧ソ連の第二次大戦における犠牲者は約2013万人と非常に多く、男性の労働力不足を補うため、日本を始めドイツ、東欧などの捕虜を労働に活用する方針がスターリン書記長によって打ち出されました。範囲は、シベリアをはじめとする旧ソ連の領土である中央アジアの国々など多岐にわたり、総称し「シベリア抑留」と呼ばれています。抑留された日本兵は60万人に上り、学校建設、道路工事、鉄道整備、発電所設置など、多岐にわたる労働に従事されています。うち、1割の6万人が現地で亡くなられ、現地の日本人墓地に埋葬されています。

■本放送では、ウズベキスタンの「ナボイ劇場」を作られた方の証言を紹介
今回、「旧ソ連ウズベキスタンで現地の人々の命を救った457人の名もなき日本人」をテーマにウズベキスタンにおける親日の象徴である「ナボイ劇場」の建設秘話が紹介されました。

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放送で紹介されたナボイ劇場建設に携わられた方々の名簿は永田行夫様が残されたもので、ご子息のご協力により公開されました。

本放送では紹介されておりませんでしたが、永田行夫様は隊長を務められ、ウズベキスタン抑留中に隊員457人の住所を全て暗記されました。舞鶴に帰国後、皆がすぐに自宅に帰宅する中、舞鶴の旅館に滞在し、記憶された住所を紙に書き起こし、それをもとに名簿を作成されました。それがこの名簿です。

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今回、嶌の本にも登場される岩佐荘平様(現在92歳)が当時の辛かったことや、帰国され安堵した様子など、貴重なお話を語られていました。

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親日の象徴となったきっかけ
タシケント市は1966年4月26日午前5時23分に直下型大地震に襲われました。国連の調査によると、60年代までの世界の大地震の5本指に入るほどの大きさで、約240の政府系建物、700の商店・レストラン、約180の教育施設、250の工場、約8万の家が崩壊し、約10万人の人々が戸外に放り出され、街はほぼ全壊しました。

そんな中、「ナボイ劇場」は倒壊せずウズベキスタンの人々の避難場所として活用されました。

この話は、瞬く間にウズベキスタン国内や隣接するキルギスカザフスタントルクメニスタンタジキスタンなどの中央アジア各国に伝わり、1991年に中央アジア各国がソ連から独立した際に再び思い起こされ、日本をモデルとした国づくりをしようという動きつながっています。特にウズベキスタンでは、日本語教育が盛んで、日本に多くの留学生が滞在しています。

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 ■ウズベキスタンで日本人抑留者の生活を調査・公開している方も登場
また、本放送にはナボイ劇場に詳しいウズベキスタン人として、タシケントの日本人墓地(ヤッカサライ墓地)近くにあるご子息宅の敷地に、私財を投じて「日本人抑留者記念館」を開館し、運営を続けているジャリル・スルタノフ氏が登場しておりました。

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スルタノフ氏はこれらの取り組みが評価され、2015年10月末に安倍総理ウズベキスタンを訪問した際、日本に招待する旨を伝えられ2016年1月に奥様とお孫さんと来日され、嶌が会長を務めるNPO法人日本ウズベキスタン協会の新年会やスルタノフ様が制作された当時の日本兵の方々の生活を描いたドキュメンタリー映画「ひいらぎ」の上映イベントや舞鶴を訪問されました。

また、2016年11月3日に政府発表の秋の叙勲では、「ウズベキスタンにおける日本人抑留者の歴史保存及び対日理解の促進に寄与されたこと」が評価され、旭日双光章を受章されています。

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 今回、スルタノフ様が提供された抑留当時の日本兵の方々の画像も合わせて放送されていました。

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■貴重な記録映画「ひいらぎ」が公開
この「ひいらぎ」を日本ウズベキスタン協会の協力により、新宿の平和祈念展示資料館ならびに京都府舞鶴市舞鶴引揚記念館が購入されています。来週水曜、8月30日に平和祈念 展示資料館にて上映(無料)が予定されていますので、ご興味をお持ちの方はぜひ足を運んでいただけると幸いです。

nobuhiko-shima.hatenablog.com

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■書籍のランキングが上昇

本放送で紹介された内容を含む、「ナボイ劇場」建設秘話を収録している嶌が上梓した「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」(角川書店)が好評発売中です。放送後、アマゾンの日中・太平洋戦争部門にて急激に20位台に上昇しました。

戦後72年を迎えたこの時期、お時間がある時に一読いただけると幸いです。

※トップ画像:ナボイ劇場正面

内閣支持率の上昇は一時的?

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安倍首相は内閣改造直後の記者会見で、8秒間にわたり頭を下げた。その後、第一声として「国民の声に耳を澄まし、謙虚に丁寧に国民の負担に応えるため全力を尽くす」と語った。

支持率の低下は、側近たちの失言や暴言、誠意のない答弁などに原因があるとされたが、実はその後わかってきたことは、側近たちの不誠実な態度もさることながら、本当の原因は安倍首相自身の驕りや上から見下すような発言、不適切な野次、疑惑や質問にまともに対応せずはぐらかすような答え方などに国民が嫌気、反発を覚えていたからだと判明してきたのだ。

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少し前の安倍一強体制の時は、側近や党内も安倍氏に慮って直言する人は少なかったし、直言する人物は遠ざけられていたからますます安倍首相は自分が見えなくなっていたのだろう。

安倍氏の驕りをわからせたのは7月2日の都議選で史上最大ともいえる惨敗を喫したからだ。さすがにこの惨敗を総括するにあたり、自らの驕りや野党に対する答弁の不誠実さ、森友・加計学園問題などへの疑惑放置が敗北の原因と悟ったのだ。

以来、発言のトーンは丁重になり「国民の信頼を回復するために一つ一つ結果を出す努力を積み重ね、緊張感をもって着実に政策を遂行する」と何度も約束した。

■ まだ不支持の方が上
問題はこれからだ。支持率はどの調査でも数ポイント上がったが、どこもまだ不支持の方が10ポイント前後高いのである。低姿勢で国民に頭を下げ今後の努力を約束したので、しばらく様子をみようというのが国民の一般的姿勢であり、本音だろう。その意味で、1~2ヵ月後の世論調査が安倍政治に対する本当の回答になろう。

数字が上がった要因は、安倍氏に批判的だった野田聖子河野太郎議員などを内閣に取り込み“批判を聞く姿勢”を示したからだろう。私が主張した小泉進次郎官房長官は実現せず、党の副幹事長就任だったのでインパクトは少なかった。小泉純一郎内閣で安倍氏を幹事長に抜擢したようなサプライズはなかった。

支持率が常識の範囲内の上昇に留まったのは菅官房長官、麻生副総理、二階幹事長らの旧秩序イメージの強い人物が中心に座ったままで、2世議員が目立ったことと「女性活躍」といいながら女性大臣は2人しかおらず、全体として清新さに欠けたからだ。国会答弁の安定さを求めてベテランを配したのだろうが、はつらつとした元気、エネルギーに欠けた内閣構成とみられても仕方あるまい。

■ まだ強い旧秩序イメージ
今後の国会で失言や「記憶にありません」といった木で鼻をくくったような答弁が多く出てくるようだと国会は荒れ、国民も期待はずれだったという感想をもつことだろう。「信頼回復のため丁寧に答え、結果を出していきたい」と言明した以上、森友、加計学園問題や南スーダンPKO日報問題などについて国会閉会中であっても証人喚問などに応じ、退任した稲田前防衛相の国会審査出席などにも堂々と参加させてゆくべきだろう。もしこれらを全て拒否するようであれば、今回の改造は疑惑隠しととられよう。

それと何より重要なことは、経済再生の政策を明確にし、実行することだ。安倍首相は改造の度に「第一は経済の再生だ」といいながら、出てくる政策は日銀の金融緩和策と財政赤字を伴う公共事業による刺激策ばかりだ。金融政策は物価2%上昇を目標とした金融の量的緩和と低金利(ゼロ金利)政策ばかりで、実効はあがらず副作用が出始めている。財政政策は約束の消費税上げは延期が続き、財政均衡プライマリーバランス)も遠のくばかりだ。

何より将来への期待が見えないため、日本の存在感はみえなくなり、株も上がらない。バブル時代は、マイナス面もあったが、国民は元気で、将来に夢を持ち世界からも日本は何かやってくれるという期待と存在感があって、これが株などを上げていたのだ。現在の株価(ダウ)は1990年前後の約半分程度。これでは元気は出てこないだろう。

■預金残高は過去最高の1053兆円
特に大企業の対応がだらしない。利益は輸出で稼いでおり、内部留保は史上最高に近く、金融機関に集まった預金残高は過去最高の1053兆円に上っている。しかし設備投資、技術開発、賃上げなどにまわすことなく、せいぜいM&Aに利用するのが目につく位だ。

そのM&Aは行なえば一時的には、売上げ、利益が上がるものの成功例は少なく、数百億円単位以上の失敗例の方が目につく。かつてのように地味ながら時間をかけても開発に力を入れたり、従業員の士気をあげるため賃上げで報いたりしたらどうか。政府にいわれてシブシブ賃上げする“官製春闘”がはやるようではかつての日本の元気は出てこないだろう。

M&Aより日本人頭脳を信じよう
今の日本に足りないのは、キラキラ光る技術や製品、世界をリードし驚かす発明などだ。かつては、ソニーやシャープ、トヨタなどのリーダー企業が、トランジスタやIT、ウォークマン、省エネ車のハイブリッドカーなどの新商品を次々と生み出し、世界を興奮させた。その日本的経営や発明、開発が世界の話題になり、日本人も誇りに思ったものだ。他人のフンドシで大きくなろうとするM&Aもよいが、もっと日本人の頭脳、技術開発を信じ、そこにカネをかけたらどうか。

現在、やや期待がもてるのは中堅・中小企業が宇宙や医療、健康などの新分野に挑戦するケースが増え、成功しつつあることだ。だが残念なことにそうした事例はメディアで殆んど報道されない。政府はそうした企業に本腰を入れて後押ししたらどうか。コスト競争に頼っているだけでは、中国や東南アジアにどんどん抜かれていくばかりになるのではないか。
【Japan In-depth 2017/8/20掲載】

画像:首相官邸サイト「平成29年8月3日 第3次安倍第3次改造内閣の発足」 

昨日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』ゲスト:井上源太郎様( 靴磨き職人・ホテルオークラ東京「SHOE SHINE」オーナー)二夜目 音源掲載

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スタッフからのお知らせです。昨日のTBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30-22:00)は先週に引き続き、ゲストにホテルオークラ東京のショッピングアーケード「SHOE SHINE」のオーナーで靴磨き職人の井上源太郎様をお招きした二夜目の音源が番組サイトに掲載されました。

1960年代、都心の別のホテルでアルバイトとして始めた靴磨きの腕が評判をよび政治家、ジャイアント馬場様など、国内外の多くの著名人が信頼を寄せ、靴磨きを依頼されている。往年の名女優オードリー・ヘプバーンも来日時に何度も訪れたというエピソード、長年、古くからのお客様を大切にしてこられた極意などをお伺いいたしました。

10日間限定での音源公開です。

一夜目の革質や履き心地を研究するために100足以上の革靴を買い集めたと云うこだわりや、500人以上の固定客を抱え、靴を一目見れば、誰のものか、いつ購入したかがすぐわかるという職人技などにつきお伺いしました。番組サイトに音源が掲載され来週水曜正午までお聞きいただけます。

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この収録日の前日に嶌はホテルオークラ東京のアーケードにある井上様のお店「SHOE SHINE」にお伺いし、実際に靴を磨いていただきました。以下の画像は嶌が磨いていただいている画像ではありませんが、お店の雰囲気を把握いただけると思いますので参考までご紹介します。

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www.hotelokura.co.jp

次週は、漫画家のヤマザキマリ様をお迎えする予定です。どうぞご期待下さい。

20日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』ゲスト:井上源太郎様( 靴磨き職人・ホテルオークラ東京「SHOE SHINE」オーナー)二夜目

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スタッフです。20日のTBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30-22:00)は先週に引き続き、ゲストにホテルオークラ東京のショッピングアーケード「SHOE SHINE」のオーナーで靴磨き職人の井上源太郎様をお招きする予定です。

1960年代、都心の別のホテルでアルバイトとして始めた靴磨きの腕が評判をよび政治家、ジャイアント馬場様など、国内外の多くの著名人が信頼を寄せ、靴磨きを依頼されている。往年の名女優オードリー・ヘプバーンも来日時に何度も訪れたというエピソード、長年、古くからのお客様を大切にしてこられた極意などをお伺いいたします。ご期待ください。

前回は、革質や履き心地を研究するために100足以上の革靴を買い集めたと云うこだわりや、500人以上の固定客を抱え、靴を一目見れば、誰のものか、いつ購入したかがすぐわかるという職人技などにつきお伺いしました。番組サイトに音源が掲載され来週水曜正午までお聞きいただけます。

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この収録日の前日に嶌はホテルオークラ東京のアーケードにある井上様のお店「SHOE SHINE」にお伺いし、実際に靴を磨いていただきました。以下の画像は嶌が磨いていただいている画像ではありませんが、お店の雰囲気を把握いただけると思いますので参考までご紹介します。

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www.hotelokura.co.jp

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