昨日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』 ゲスト:皮膚研究のスペシャリスト 傳田光洋氏(資生堂グローバルイノベーションセンター主幹研究員)音源掲載
昨日のTBSラジオ 『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30~)は 皮膚研究のスペシャリスト 傳田光洋氏(資生堂グローバルイノベーションセンター主幹研究員)をお迎えした音源が番組サイトに掲載されました。
人間や動物、植物の「皮膚」の役割や、120万年前に体毛を失ったとされる人間が、毛づくろいをする代わりに言語が発達したと考えられるなど、驚きの皮膚トリビアについてお伺いしました。音源は来週水曜正午までお聞きいただけます。
次週も引き続き傳田氏をゲストにお迎えし、花粉が肌のバリア機能を低下させることを実証し、美容法の開発につながったり、アトピー性皮膚炎や肌の老化トラブルを起こすメカニズムの解明など、その研究内容についてお伺いする予定です。
傳田氏が上梓された書籍の一部をご紹介いたします。
夢のような旅路
スタッフからのお知らせです。既報の通り、嶌が会長を務める日本ウズベキスタン協会主催の20周年記念旅行が開催され、9月6日から13日までウズベキスタンに行ってきました。参加された方より続々と感想が寄せられています。今回の旅行の写真とともに紹介します。
今回は、片岡 廣子さんからの寄稿文を紹介します。片岡さんは、会員の齋藤 郷士さんの高校時代の同級生というご縁でご参加くださいました。
非常に明るく朗らかな方で、旅行中は皆様でお食事とウズベクワインなどを堪能されており、楽しまれていらっしゃいました。
以下、片岡 廣子さんの文章をご紹介します。
「ウズベキスタン旅行に行くからね」と娘に電話をしたら、「え、何でそこなの?」
そんな会話で始まった旅でした。私自身も「ウズベキスタン」という名前は聞いたことはあったけど、場所もはっきり分からない未知の国でした。説明会に出席してお金の単位がスムでドルしか通用しないらしい事、トイレの事等々、大丈夫かなと気持ちが揺らいできました。家に帰り地図を見て、アラル海問題について書かれている資料などを読み、シルクロードに辿り着いた時には、絶対に行きたいという印象に変わりました。
タシケントは木々に囲まれ、道路も広く整備され、街そのものが公園の様でした。日本人墓地も手入れが行き届き、手厚く管理されている事を知り、感謝の気持ちになりました。
色々な所を見学しましたが、やはりサマルカンド「青の都」は圧巻でした。レギスタン広場からの眺めは飽きず、ずっと座って見ていました。また、どこへ行ってもVIP待遇を受け、夢の様でした。
日本語ガイドのドストン氏は、歴史から美術工芸の事など、流暢な日本語で説明され、大変素晴らしかったです。最高な旅をありがとうございました。
予期せぬ素晴らしい体験
スタッフからのお知らせです。既報の通り、嶌が会長を務める日本ウズベキスタン協会主催の20周年記念旅行が開催され、9月6日から13日までウズベキスタンに行ってきました。参加された方より続々と感想が寄せられています。今回の旅行の写真とともに紹介します。
今回は、ウズベキスタン協会理事の鳴海 和子さんからの寄稿文を紹介します。鳴海さんは、ウズベキスタン・タシケント市出身のピアニストの故アレクセイ・スルタノフ氏のファンというつながりから長年ウズベキスタン協会の活動をお手伝いいただいております。
今回の旅で、長年応援されているスルタノフ氏の出身地を初めて訪問し、縁の場所を訪ね、新たにわかったこともあったようです。
以下、鳴海 和子さんの文章をご紹介します。
出発前、こんなにも素晴らしい体験ができるとは思いもしませんでした。日ごろお世話になっている協会の旅行でウズベキスタンへの理解を深めたいという思いは勿論ありましたが、私が長年応援しているタシケント出身の音楽家 故アレクセイ・スルタノフの従姉ナジラ・モハメドヴァさんと会って話を聞く目的もありました。今回、川端理事長の計らいで会うことが叶いました。
スルタノフの父が親族の中でスルタノフに一番似ているからとナジラさんを案内役に任命してくれました。ナジラさんは前日のウズベキスタン協会20周年記念パーティーにも参加してくれました。私は、翌日皆さんと別行動し、通訳を交え彼女とスルタノフの思い出の地を訪問することができました。
まずスルタノフが通っていた、ウスペンスキー特別学校を訪問しました。学校の理事長が休みの日にも関わらず、学校の中を隅々まで案内してくれ、スルタノフが指導を受けた優れた音楽教授のタマラ・ポポヴィッチ先生の思い出を語ってくださいました。この学校は、幼い子供たちの才能を最大限に伸ばすことに努めており、工夫に富んでいました。今回、スルタノフに関する資料は荷物の重量制限の兼ね合いで、簡単な資料のコピーしか持参していませんでした。校長先生はスルタノフの資料を集めておられ、そのコピーを熱心に何枚も写真に収められ、もっと他の資料も持ってくれば良かったなと後悔しました。また、理事長はスルタノフより4歳年下でタマラ先生の下で共に勉強されたそうです。若くして校長、理事長になられたことからも、その才能が飛びぬけていたことが窺えます。
その後、スルタノフの父方の祖母が眠る有名人だけの墓地に連れて行ってくれました。この方はウズベキスタンで初めて顔を隠さず舞台に立った有名な女優で、国家名誉女優の称号を与えられ、この墓地に埋葬されていました。スルタノフの死後、遺灰はメキシコ湾に撒かれたと聞いていたのですが、ウズベキスタンの地に眠りたいとの本人の願いが叶えられ、大好きな祖母の墓地の土の下にも撒かれたことがわかりました。また、このお墓の隣には有名な歌手バティール・ザキロフが埋葬されていました。実は、私が長年関わってきた「アレクセイ・スルタノフ記念コンサート」でザキロフが歌った歌「ウズベクタンゴ」「魅せられて」をバイオリ二ストの黒柳紀之さんとピアニストの呉信樹さんが弾かれました。私たちは偶然この曲をプログラムに選んだのですが、不思議なつながりがあったことに驚きました。
最後に、スルタノフ一家が住んでいたアパートに案内いただきました。両親が勤務していたタシケント音楽院から道を隔ててすぐの、木に囲まれた閑静な場所でした。家の前を流れる小川で幼い頃、弟のセルゲイさんと共によく水浴びをして遊んでいたそうです。庭には「アレクセイ・スルタノフ記念コンサート」でセルゲイさんがスピーチされたプラタナスの木もあり、二階の窓からこの木を見つつ、日本に思いをはせて語り合ったのだなあと胸が熱くなりました。このアパートは震災後、結婚した末の息子のために祖母がくれたものだそうです。祖母は郊外の大きな家のほかに3つアパートを持っており、それぞれ三人の息子たちに分け与え、ウズベキスタンの風習に従い、それぞれの家で一定期間、一緒に暮らしていたとのことでした。
スルタノフ以外にも語りたいことはたくさんある旅でしたが、他の方が経験されていないウズベキスタンの思い出を記しました。お世話になった方々に心からお礼申し上げます。忘れられない素敵な旅になりました。本当にありがとうございました。
東南アジアを大事に!
先日、マレーシアから来日している40歳前の知人と会食した。子供2人を伴なって家族と4、5年前から日本で暮らし、もう少し資金が貯まったら起業してシンガポールで上場したいと意気込んでいる。日本語も上手でエネルギッシュな語り口は周囲の人を引き込む力を持っている。
マレーシアの人口は3000万人強。韓国、台湾、香港、シンガポールなど日本を追いかけて中所得国入りした国々の後に続く成長著しい途上にある。そのせいか、最近マレーシアに進出する日本企業や余生をマレーシアで過ごしたいという中高年層以上の日本人も増えていると聞く。アジアの金融センターであるシンガポールの隣国にあり、シンガポールとの往来が簡単にできる点も人気の要素らしい。
しかし、そのマレーシア人が言うには、「日本の企業や中高年層の間ではマレーシアの評価が高まっているのに、政治家の関心が薄いのが残念だ。安倍首相は2017年1月に東南アジア3カ国を訪問した際も、マレーシアは含まれておらず、2015年以来、マレーシアを訪れていない」と言い、さらに「マハティール首相が『LOOK EAST』のスローガンで日本を見習う方策を打ち出し日本の存在感が高まったのに、安倍首相の目はアメリカやロシア、中国、韓国などばかりにしか向いていないのではないか」と言うのだ。
確かに安倍首相は「外交の安倍」を売り物にしているが、東南アジア10カ国にはほとんど足を向けていないのが実情だ。トランプ大統領とは約4年間で首脳会談と電話協議を合わせると44回。プーチン大統領とも26回の会談数に及んでおり、中国の習近平首席や幹部と日本の首相、閣僚らの往来も頻繁に行なわれているが、東南アジア首脳との膝を交えた光景を見ることは極めて少ない。
かつて日本の首相らは東南アジア首脳との往来を大事にしていた。先進国7カ国首脳会議(サミット)がある時は、必ず事前に東南アジアと情報交換を行ないアジアの要望をサミットで伝えていた。さらに、サミットが終了すると内容を報告したりしていた。そこには日本は「アジアを代表してサミットに参加している」という意識があったのである。
いまアジアからみると、”日本はアメリカにすり寄るばかりでアジアの代表という意識がないから、その隙間に中国が入り込んできている”と感じているのだ。日本の依って立つ基盤はアジアにあるのだということを改めて自覚し、外交を立て直さないと、日本はアメリカと中国にはさまれて根無し草になってしまう時代が来ないとも限らないのではないか。
【財界 2019年12月10日号 第508回】
旅の終わりとその後
スタッフからのお知らせです。既報の通り、嶌が会長を務める日本ウズベキスタン協会主催の20周年記念旅行が開催され、9月6日から13日までウズベキスタンに行ってきました。参加された方より続々と感想が寄せられています。今回の旅行の写真とともに紹介します。
今回は、会員の中村 裕一さんからの寄稿文を紹介します。中村さんは、嶌の高校時代の同級生でもあり、長年協会の活動を支えて下さっている方です。
明るく、柔らかい物腰ながら芯の強さをお持ちの方です。絵を描かれるのがご趣味でウズベキスタンでご覧になられた風景を目に焼き付けておられました。
以下、中村 裕一さんの文章をご紹介します。
帰国して3日後、私は嶌信彦著「伝説となった日本兵捕虜 ソ連四大劇場を建てた男たち」(角川新書)を購入しました。私は2015年出版の単行本も読んでおり、その真実のドラマに驚き、感動し、その爽快な読後感に心打たれたものでした。
今回、著者と主人公の永田氏のご子息と共に、実際にこのノンフィクションの現場タシケントを訪ね、日本人墓地を参拝しました。3代に亘り墓守をしてくれているという現地のウズベク人に会い、日本人抑留者資料館で記録映画「ひいらぎ」を鑑賞した後に当時の遺品や写真を目の当たりにし、スルタノフ館長の熱い思いに触れました。その後、現存するナボイ劇場をつぶさに見学し、その力強く繊細な美しさに感動したことから、もう1度この本を読みたくなったのでした。
そして、旅行中の数々の場面と感動と想いが重なり、この真実の物語は、より鮮明に生き生きとよみがえり、私の中に現実のものとして深く大きく存在しています。この素晴らしい経験を今後、私は他の人々に話してゆきたいと思います。戦争の無い平和な世界を願いながら。そして、私達が日本人と知ると、駆け寄り「こんにちは!」「こんにちは!」と日本語で声をかけて走り去って行った、あの子供達の澄んだ瞳を忘れないように。
本当に心に残る素晴らしい旅行を有難うございました。
中村さんがご紹介下さった嶌の書籍は以下リンクを参照下さい。
昨日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』 ゲスト:皇室御用達 老舗美容室 美容師・与儀みどり氏 二夜目 音源掲載
日曜(12月1日)のTBSラジオ 『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30~)は 与儀美容室 二代目 与儀みどり氏をお迎する二夜目をお届けします。
天皇皇后両陛下のご成婚の際、雅子さまの着付けやヘアメイクを担当されたときの思い出や、ノーベル賞の晩さん会で、山中伸弥・京都大学教授の奥さま方の着物の着付にストックホルムまで駆けつけたときのエピソードなどをお伺いしました。
前回の皇室の女性たちのヘアメイクを70年あまり手がけてこられた与儀美容室。美容のプロ「美の職人」になるために今日まで努力されてこられたことや、徹底した「美」への取り組みと「気品」を重んじる教育などにつきお伺いした放送音源は、今週水曜正午まで番組サイトにてお聞きいただけます。
今回、即位の礼のお忙しい中、ちょうどお時間が空いた時にお越しいただきました。収録時に三代目で現社長を務める育子氏もお越しいただいた記念のお写真です。
育子氏が上梓された与儀美容室の仕事の流儀をまとめられた本を合わせてご紹介いたします。ご興味をお持ちの方は合わせて参照下さい。