時代を読む

ジャーナリスト嶌信彦のコラムやお知らせを掲載しています。皆様よろしくお願いいたします。

新しい資本主義は感染症に勝てるか

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「新しい資本主義」――心地よい響きを持った言葉だ。岸田文雄・新首相は、去年10月の初の首相所信表明演説で「私が目指すのは、新しい資本主義の実現です。日本も新しい資本主義を起動し実現していこうではありませんか。“成長と分配の好循環”と“コロナ後の新しい社会の開拓”。これがコンセプトであり、私はその実現に向けて全力で取り組みます。」と訴えた。

今の資本主義は、手垢がつき過ぎた。“一人暮らしで、もし病気になったらと思うと心配で仕方がない”、“テレワークでお客が激減し、経営する事業の継続が難しくなってきた”、“里帰りができず、一人で出産、誰とも会うことができず孤独で不安だ”、“経済的環境や世代、生まれた環境によって生ずる格差と、そのことがもたらす国民と社会の分断”。
 
そこへ人類に突如襲い掛かってきたコロナウイルス。一時的に治まりかけるように見えたコロナ禍が、再び猛威を見せ始め、今年に入って一日の感染者数は5万人近い日が出てくるなど国民を一段と不安に陥れている。

現代のコロナ禍は、人類がこれまで進めてきた効率重視の生き方や環境破壊を軽視してきた開発手法、地球温暖化など様々な危険信号に対し真剣に向き合ってこなかった国々のツケ――などが、自然界の警告として一挙に現われてきたものと捉えることが出来よう。

しかし人類は有史以来、何度も感染症・伝染病との闘いを経験しているのだ。紀元前から最も恐れられた伝染病は、天然痘で免疫のない人が感染した場合、その致死率は30%に上るとされた。シルクロードを通じて欧州、中東に広がり、日本にも仏教伝来と共に広がった。ただ天然痘感染症として唯一撲滅に成功しており、1980年5月に世界保健機構(WHO)が根絶を宣言している。

14世紀には黒いあざだらけになって死亡し黒死病とも言われたペストがヨーロッパで流行し世界全体で7500万人から2億人が死亡したとされる。作家のダニエル・デフォーは病気、飢餓、極貧などのため亡くなった17世紀の悲惨なロンドンの様子を「ペスト」の題名で描いている。

また1918年から19年にかけてA型インフルエンザウイルスを病原体とするスペイン風邪アメリカとヨーロッパで流行し、やがて世界中に蔓延した。全世界で4000万人以上が死亡し、日本でも約40万人が死亡したという。このほか20世紀以降も結核マラリアHIVエイズの三大感染症SARSなどが人類を脅かした。

これからの社会は“ぶ厚い中間層の育成”が重要なカギとされている。しかし欧州やアジアでは高齢化が加速、ぶ厚い中間層の創出による新しい資本主義の夢はむしろ遠のいているように見える。そこへコロナ感染症の襲来である。「成長と分配、新しい社会の開拓」というスローガンが上滑りするようではコロナ戦争には勝てまい。
【Japan In-depth 2022年1月22日】 

掲載いただいた記事には、内容のまとめも掲載いただいておりますので、ぜひ合わせてご覧下さい。

画像:首相官邸「新型コロナウイルス感染症対策本部(第87回)」より

貯めるだけでは寂しくない?

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 日本は、企業も個人もおカネを貯めるだけで、有効に使うことを忘れた奇妙な国柄になってしまったようだ。企業は過去最大の内部留保484兆円を貯め込んでおり、個人も2000兆円の資産を持つが、貯蓄にまわるだけで豊かな生活に活用しているようには見えない。“新しい資本主義”の課題は、貯め込んだおカネの有効活用にあるのではないか。

 

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経済力競争軸の“米中”新時代に突入「2022年を占う!」国際政治

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2022年の世界の動きを見る上で、最も気になる国は中国だろう。習近平総書記は、昨年7月の中国共産党結党100周年の演説以来、再三にわたり高圧的態度で中国を誇示し、中国の“強国路線”を強調してきた。

「我々をいじめ服従させ、奴隷にしようとする外国勢力を中国人民は決して許さない。妄想した者は14億人の中国人民が血と肉で築いてきた鋼の長城にぶつかり血を流すことになる」「教師づらした偉そうな説教は受け入れぬ」「中華人民共和国の建国、改革開放を経て世界第2位の経済大国に発展してきたのは共産党が存在したからだ。共産党がなければ新中国もなく中華民族の偉大な復興もない」「(米国から専制主義と指摘されることに対し)中国共産党の指導は、中国の特色ある社会主義が最大の優位点だ。共産党がなければ新中国もなく、中華民族の偉大な復興もなかっただろう。」と述べている。
 
また歴代指導部が目指していた「小康社会(ややゆとりのある社会)」の全面的実現を宣言し、その次の目標を建国から100年となる2049年ごろまでに「社会主義現代化強国」を完成させると定めている。このためこれまで2期10年とされていた総書記の任期には触れず、2期以降も習近平氏が、“国家主席”として指導にあたることを示唆したものと受け止められている。台湾統一問題についても、揺るぎない歴史的任務だとし、2035年を目標に経済力や科学技術、国防などについて各種目標を掲げ、習氏が2035年まで権力を握り続けることを明らかにしている。

さらに新華社通信は7月8日に歴代指導者のうち毛沢東と鄧小平、習近平の3氏にのみふれる解説を公表し、習近平氏が今後の党の“核心”的存在であると位置づけ、江沢民胡錦涛・前総書記、鄧小平氏らは高度成長を導いた過渡期の指導者たちとひとくくりにして位置づけた。中国革命史上で“第三の歴史決議”を採択した習近平氏が現在の党の核心的存在であり“新時代”を切り開いた国家主席である、と内外に明示しているのである。
 
習近平氏は、1953年6月に北京で生まれ現在68歳。様々な資料などによると父の習仲勲が八大元老の一人であったため文化革命中は反動学生として紅衛兵に批判され、監獄にも入れられたことがある。1969年から7年間にわたり陝西省延安に下放(追放)されるがその間に共産党に入党、模範的な学生として推薦入学で名門清華大学化学工学部に入学。79年に優秀な成績で卒業すると政府入りし、82年から河北省、福建省浙江省上海市などで2007年までに様々の役職に就いている。

アメリカでホームステイした経験もあり、浙江省の党書記時代の2006年には米国のポールソン財務長官(当時)と会談を行なっている。2007年に上海市の党書記となり、その後、党の最高指導部である政治局常務委員に出世し、胡錦涛政権下で国家副主席や、軍事委員会の主席にも選ばれて国家主席への道へ到達した。

国家主席になると、反腐敗・汚職追放運動に力を注ぎ、政敵だった周永康薄熙来孫政才、令計画らの規律・法律違反を調査・処理して次々に逮捕し監獄に入れた。また党幹部を養成する中央学校教授の蔡霞氏や起業家の任志強氏も習氏を批判したため追放された。さらに軍事力の増強に力を入れ、自らの権力を強化した。
 
こうして習近平氏は毛沢東主席以来の比類なき“一強体制”を築いたのである。習氏は若い頃から頭の良い穏やかな性格の人物とされていたが、党内の権力闘争でみせた容赦ない政敵つぶしをみると、内には激しい権力闘争に動じない胆力を持った人物とみる方が正しいかもしれない。習近平夫人は有名な歌手だった美人で、子供は長女が一人おりハーバード大学に留学したことがあるという。

習近平氏の思想は“強権”“強国”路線で一貫しており、汚職追放のキャンペーンで約26万人の政敵、高級官僚、幹部らを追放した手法をみると、決して穏やかに見える表面とは異なる激しい闘争心を持った人物といえよう。

アメリカのバイデン新大統領が、トランプ前大統領のディール(取引)を主眼とした外交方針を特徴としたのに対し、バイデン大統領は「アメリカは帰ってきた」と就任第一声で叫び、欧米の伝統的な自由、人権、民主主義的価値観を重視する外交方針を掲げ「戦争はしない」と明言した。この発言を弱さと受け止め、79歳という年齢を考えると、バイデン大統領に強烈なリーダーシップがあると捉える人は決して多くない。
 
これに対し、“小康社会”の実現の後、「共同富裕(共に豊かになる)」のスローガンを掲げ、軍事力の強化を図り「強軍」と「強国」を旗印に、日本を抜いて世界第二位の経済大国を実現させた習近平総書記の迫力には並々ならないものを感じさせる。伝統の集団指導体制を無視し、習近平「一極体制」を築いて「習思想は21世紀の新しいマルクス主義である。中国には中国の民主主義があり、社会主義現代化強国の全面的な実現という新たな100年の奮闘目標に邁進している」と声高に叫ぶ。「台湾問題を解決し祖国の完全な統一を実現することが中国共産党の変わらぬ歴史的任務である」と3期目の総書記(国家主席)を目指しているのだ。

時代は核戦力競争を中心とした米国とソ連邦の20世紀の冷戦時代が終結し、2020年からは明らかに経済力競争を軸とした“米中”の新時代に入ってきたとみることが出来よう。ただアメリカには「もう戦争はしたくない」という厭戦気分とバイデン大統領の高齢化に伴うアメリカの気力弱体化があり、中国にも少子高齢化と高齢社会への突入という人口問題の弱点をかかえつつある。どちらがそれぞれの弱点を早く克服するかが今後の大きな焦点となるだろう。
【2022年1月10日 Japan In-depth】

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画像:上海の景色(PhotoAC、ppstagramさん)

バブル時代が懐かしい?

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出典:「労働生産性の国際比較2021」日本生産性本部

 バブル時代が懐かしいと思う人が多いらしい。バブル景気に沸いたのは1986年から91年頃の5年間だ。成長率は平均で5~6%、生産コストが上昇していたが、賃金もコストを上回って上昇した。人々はおいしい料理に舌鼓を打ち、贅沢品に惜し気もなくお金を使った。海外旅行が人気だったし、国内の温泉宿を予約するのが難しかった。バブル景気を満喫したのは当時の30歳~50歳の人が中心で、当時20歳以下の若者は、バブルに遅れた世代で後によく「バブル時代ってそんなに良かったの? 自分達ももう少し早く生まれていればなあ」とうらやましがっていた。

 

 

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画像:「労働生産性の国際比較2021」日本生産性本部

人口減少時代の準備は万全か 日本もいずれ移民受け入れ国に

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我が国の人口の推移

世界の人口が減少時代に入りつつある。アメリカ、ワシントン大学の予測では2064年の97億人がピークだと指摘。国連の推計でも2100年頃から減少に向かうかもしれないと予測している。人口が減ると経済は低成長時代に入り、高齢化社会へのスピードが早まり社会保障の負担が増加する可能性も大きくなる。ハイテク化などで生産性が増大しないと人類の繁栄に急ブレーキがかかる懸念が高まってくる。

 

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画像:総務省28年度版白書「人口減少社会の到来」

11月21、28日(日) TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』21:30 ゲスト:藤原博史氏(迷子になったペットを探す動物専門の探偵)二夜目音源掲載

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11月21日、28日(日)のTBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30~)は迷子になったペットを探す動物専門の探偵の藤原 博史氏をお迎えしました。

28日の二夜目では、幼少時代から昆虫や動物が大好きで好奇心旺盛なあまり中学3年の時に家出。野宿生活をする中で野良犬や野良猫と抱き合って暖を取ったり、一緒に食事を探した経験から、屋外の猫に近い視点や“野性の勘”を習得したことが今の仕事に生きているというペット探偵の奮闘記とその人生観について伺いました。

ゲストの方に定期的にお伺いしている『おもわずほほえんだ話』は、
ペットの捜索中は割とシリアスな状況です。最近よくメディアに取り上げて頂くようになり自分がペットの捜索をしている表情を見ることが出来るようになりました。殺伐とした表情で、こんな感じなのかと思い、いなくなったペットを発見することが出来た時に微笑んでいるのかなと思っていたのですが、どうやらペットがもう逃げられない確実な状況になるまでは殺伐とした表情が続いていました。やっとその状況になると自然に微笑んでいるのだなと、真剣に仕事に取り組む藤原氏の様子が手に取るようにわかるエピソードを披露頂きました。

音源は、5日(日)までradikoにてお聞きいただけます。

11月28日に放送した一夜目ではペットを捜索する際は、飼い主からペットの性格や生活環境、身体の特徴などを聞き取りカルテを作成。これまで受けた捜索依頼は3000件以上でその発見率は約8割。100件依頼があれば100通りの捜し方が必要というその舞台裏について伺いました。

 

藤原氏が上梓された書籍と代表を務める「ペットレスキュー」ホームページをご紹介いたしますので、ご興味をお持ちの方は参照ください。

今回の放送で「嶌信彦のエネルギッシュトーク」から放送回数が通算1000回を迎えました。2002年10月13日の初回放送から19年間、支えて下さいましたスポンサーの皆様と長年お聞きいただいているリスナーの皆様、技術など番組の制作に関わっていただいている皆様に感謝申し上げます。

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次回、12月5日はゲストに評論家で慶應義塾大学教授の片山 杜秀氏をお迎えいたします。

1ドル=360円が変わった日

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第二次大戦後の世界の通貨体制は、アメリカのブレトンウッズ会議で合意をみて「ブレトンウッズ体制」と呼ばれていた。アメリカは金1オンスを35ドルとし、35ドルを持ってくれば金1オンスと交換するとしていた。通常の貿易取引などはドルで行なわれていたが、いつでもドルと金を交換することを約束していたわけだ。金との交換の裏付けがあったため、ドルは世界の基軸流通通貨となって貿易取引に使われていたのである。

ところが1971年8月15日に、アメリカは「ドルと金の交換停止」を突如発表した。ベトナム戦争の戦費などでアメリカの財政赤字が膨れ上がり、貿易も日本や西ドイツが輸出競争力を強めてきたため、アメリカは貿易赤字国に転落し、ドルが弱体化していた。この流れを見た各国は、弱くなるドルを持つより金に交換した方が安全と考え、ドルをアメリカに持ち込み金との交換を要請し始めたのだ。アメリカは持ち込まれたドルと金の交換に応じていたが、アメリカの持っていた金準備高は、海外が保有するドルの25%まで減少してきたため、遂に当時のニクソン大統領が突然、金とドルの交換を停止すると宣言したのである。これが有名な通貨のニクソン・ショックだった。
 
その結果、各企業や個人は金との裏付けが無くなるドルを持っていても損するだけと考え、世界の市場でドル売りが殺到することになる。日本では相場安定のため中央銀行(日銀)がドル売りを買い支えたが、10日後の28日には日本の外貨準備(ドル)がアメリカを上回る規模まで膨らみ、遂に耐えきれず固定相場を放棄。一時的に市場の流れに任せるようになる。

市場が混乱したのは日本だけでなく世界全体も同様となっていたため、世界の市場の混乱を抑えようと、それまで1ドル=360円だった固定相場を日本は1ドル=308円とするが、それでもドル売りは治まらなかった。結局日本も73年に固定相場制を断念。世界の主要通貨は相次いで市場の流れに任せる「変動相場制」に移行したのである。
 
変動相場制への移行によって市場が国際収支の不均衡を自動調整するようになったが、相場が激しく揺れ動き金融危機が頻発するようにもなってきた。1971年に金・ドル本位の固定相場制が崩壊すると主要通貨が相次いで変動相場制に移行し、市場の乱高下が常態化するようになる。

今後の通貨体制の焦点は、中国の人民元の行方だ。中国のGDPは2010年に日本を抜きアメリカに次ぐ第二位の経済大国になった。2030年には経済規模でアメリカを抜くといわれ、物価の差を調整すると2017年にすでに逆転したともみられている。中国は広域経済圏構想「一帯一路」の沿線国やアジア太平洋の島しょ国と東南アジア、インド洋諸国にも影響力を急速に強めており、通貨はいずれドル対人民元の勢力争いになりそうだ。

第二次大戦前は、イギリスがアフリカ、インド、アジア、オーストラリア、南米、アメリカなどに植民地を持ち、世界の覇権を握っていたことから、英国・ポンドが世界通貨の中心となっていた。しかし第二次大戦でアメリカの支援を受けてからポンドの勢いは衰え、変わってドルが戦後の基軸通貨になった。通貨と国力は密接な関係を持っているのだ。日本のYENは、1970~80年代にアメリカの国力が衰えていた時期にかなりの地域で通用したが、日本のバブルが崩壊し、日本の国力が世界で20位台位の実力まで落ちてしまった現在は、YENの実力はいまや見る影もない。
 
プラザ合意ではニューヨークのプラザホテルで米・英・独・仏・日本の蔵相、中央銀行総裁が集まり、為替レートの安定化策について基本合意したものの長くは続かなかった。ポンド危機(92年)、メキシコ通貨危機(94~95年)、アジア通貨危機(97年)などが続き、2008年にリーマン・ショックが起きると円は歯止めなく円高に上昇し、2011年にはついに1ドル=75円32銭の最高値をつけるに至った。さすがにその円高は、その後市場で修正されてゆくが、2021年10月13日現在は、1ドル=113円台後半で動いている。

私は1971年に地方勤務を終えてカブト町(証券市場)担当になったが、初めのうちはプラザ合意で円が1ドル=360円から308円に決められた時は、なぜ1ドル=360円から308円になると“円高”と呼ぶのか、その理屈がよくわからずに苦労したことを覚えている。360円から308円になるのは“円安”ではないかと思えたからだ。その後、これまで360円を出して買っていた同じ品物が308円で買えるようになったのだから円の価値が上昇(円高)したのだと気づくまでに、理屈では理解しても人間の皮膚感覚として納得するまでにかなりの時間がかかったことを覚えている。
 
当時は円高になると日本製品の輸出が落ち込むとみられ、“円高悪玉”論が日本を支配したのだ。しかし冷静に考えれば、それまで360円出さなければ買えなかった品物が308円で買えるようになったのだから、輸出には円高は不利に働くが輸入価格では、これまでと同じ品物を安く買えるのだから、日本の国力は上昇したと考えれば良いわけである。しかし当時は円高になると輸出をして同じ品物を売っても入手できる額は360円から308円に減ると考える人が多く円高になれば同じ製品を作っても輸出手取り額が減ってしまうと懸念する風潮が日本を覆ったのだ。

こうして為替レートが変動すると輸出の手取り円換算価格が減ることを懸念して日本中に一時的な円高不況論、円高脅威論が日本を席巻した。しかし、1ドル=75円は行き過ぎだと理解されて現在は110円台に落ち着いているわけだ。

日本は戦後一貫して固定相場制で為替を捉えていたので、変動相場制への転換期には、理解不足から混乱が生じたといえる。しかし、現在はすっかり変動相場制の為替の扱いに慣れたといえよう。

【Japan In-depth 2021年10月13日】

Japan  In-depth様のサイトには冒頭にまとめが掲載されておりますので、そちらも合わせてご覧下さい。

 


なお、嶌が以前記したニクソンショックに関するコラムがございますので、よろしければ合わせて参照ください。


■参考情報
昨日(11月15日・日本時間11月16日朝終了)のニューヨーク市場の金先物ドル円終値は以下の通り。
ニューヨーク商品取引所COMEX)1オンス=USD 1,866.60  -1.90(-0.10%)(12月渡し)
・ニューヨーク外国為替市場 USDJPY 1ドル=114.12


画像:NYプラザホテルオフィシャルサイトより

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