”安倍外交” 曲がり角か 正念場のプーチン会談
旧ソ連が崩壊直前の1990年1月、私は当時の急進改革派のリーダーだったエリツィン氏の来日時、日本の学者二人を交えて2回、約6時間にわたり懇談した。ソ連が経済発展するヒントを知りたいようだった。同氏は、その後の旧ソ連崩壊後の91年に初代大統領(91~99年)となり民主化や市場経済への移行などを主導した人物だ。
その時の対話の中で、私は北方領土問題など日本側の関心事についても質問した。それに対し同氏は、私案だと断わった上で(1)ソ連国内での世論形成(2)北方四島の自由経済地区化(3)北方四島の非軍事地域化(4)日ソ平和条約の締結(5)次世代による解決(北方領土返還)──と5段階の手段を踏み15~20年かけて解決できるのではないかと指摘。この考えは海部首相にも伝えるつもりだと言っていた。
同じ頃、ドイツは東西ドイツの統一について、コール首相がソ連だけでなく欧州各国や東欧、アメリカに対し交渉。ソ連への援助や軍事大国にならないなどの条件を素早く提示し、奇跡のようにまとめあげてしまった。日本はペレストロイカ(改革運動)を唱えていたゴルバチョフソ連書記長と安倍首相の父、晋太郎自民党幹事長(ともに90年1月当時、のちに外相)の会談から始まり、その後も熱心に日ソ関係の改善に努めたが晋太郎氏は病で倒れてしまう。しかもその後日本は、四島の一括返還にこだわったため交渉は遅々として進まなかった。
12月にプーチン大統領と会談する安倍首相にとっては、そんな父親が切り開いた歴史的交渉を引き継いで成就したいという思いが強いのではないか。晋三首相はコワモテで付き合いにくそうなプーチン氏と14回も膝を突き合わせており、「二人は何となくウマが合っているようだ」と安倍側近は言う。そんな雰囲気もあって安倍首相は日ロ平和条約の締結と北方四島返還への道筋をつけるチャンスだと感じているのかもしれない。
ただ気になるのは、これまで順調だった安倍外交に逆風が吹き始めていることだ。何といっても大きな誤算は、トランプ氏の登場だろう。アメリカのTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)からの離脱表明やパリ協定(今後の国際的環境対策)批判、日本の防衛費負担への苦情などと共に保護主義への回帰すら匂わせる。
さらに韓国の政情不安で日韓中の連携がヒビ割れ、中国による東南アジア諸国の分断、イギリスのEU離脱表明によるEUの弱体化、世界の不況長期化など日本の行く手に一挙に大波が押し寄せているように見える。
年末のプーチン会談。北方領土問題はお預けをくらい経済協力の約束だけを取り付けるようだと、"安倍外交"も曲がり角に来たと見られよう。
【財界 新春特大号(2017年1月10日)第438回】
※本コラムは、先日の会談前に入稿しております。
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