時代を読む

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落ちぶれたサミット もう世界を引っ張れず

  「落ちぶれたな」というのが、ことしのサミットを終えた時の実感だ。いまや1970年代~2000年頃までの世界を引っ張ってきた先進国首脳会議(G7)の面影は、まったくみられない。レーガン米大統領、ミッテラン仏大統領、シュミット、コール西独首相ら第二次世界大戦を経験してきた老練で賢い古い世代の政治家たちがいなくなった現代のG8サミットは、もう一度根本からその存在意義を参加国の間で議論し、確認しない限りただマンネリで続ける抜けガラのような首脳会議になり果てよう。

 

 サミットは、フランスのジスカールデスタン大統領が提唱して始まった。1971年にアメリカのドル切り下げ、日本では1360円の固定相場から308円の円高になり、その後今日の変動相場(フロート)に移り世界経済が混乱し始めた。1973年には中東戦争から石油危機が襲来、先進国主導の経済運営が揺らぎ始める。

 

 ジスカールデスタンは、1929年のアメリカ大恐慌から第二次世界大戦に歴史が引きずり込まれていく過程に思いを馳せて「先進国が二度と大戦をおこす過ちをおかさないように」と述べて経済大国の協力体制を呼びかけたのだ。その理念は世界の協調と戦争の回避だった。このため、当初は〝経済サミット〟としてスタートしたが、次第に米ソの冷戦終結、民族・宗教紛争の調停、テロとの戦いなどへとテーマが広がり、少なくとも20世紀末まではG7が世界を主導したし、G7の話し合いが世界の流れを決めていた。

 

 私が30回近くのサミットを現場取材してきたのも、サミットの議論、各国首脳の記者会見、共同声明の合意内容とその年に積み残された課題内容を子細に検討すれば、大体12年先までの国際情勢、経済、地域問題などが読めたからだった。

 

 しかし90年代後半から徐々に新興国が台頭、BRICs(中・露・印・ブラジル)や資源をもつ途上国の影響力が大きくなるにつれ、G7サミットは指導力を失っていった。私が「サミットはもはや意義を失ったな」と実感したのは日本で開いた2008年の洞爺湖サミットだった。この頃からG7のほかに新興国20カ国もG7と協議するようになっていたが、国益、利害が錯綜し声明は以後毎回〝両論併記〟的な記述が多くなり、サミットに世界を引っ張る求心力がなくなってしまったのだ。以後、私はサミット取材をやめたし、各国の記者団の数もみるみるうちに減っていった。かつてはアメリカの三大ネットワークTVがワンフロアずつホテルを借り切り、スタジオをアメリカからサミット会場に移すのが恒例ともなっていたが、むろん今はそんな光景はみられない。

 

 ことしのサミットでは本当に久しぶりに日本の経済と安倍首相が話題となった。世界が衰退している中で日本とアメリカだけが気を吐いているように見えるからだ。しかしこれが成長戦略に結びついて本当に実となるのか。参院選挙(7月)以降に成長路線の具体的工程表とその目標数字が達成されなければ、また日本はサミットやG20からも忘れられよう。【財界 夏季第2特大号 第355回】

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