分断化で取り残される階層 資本主義社会の危機も・・・
2005年から約20年にわたりドイツの首相を務めていたアンゲラ・メルケル女史がまもなく政界を引退する。メルケル首相はここ20年のドイツを牽引してきただけでなくヨーロッパ連合(EU)のリーダーとして世界に存在感を示してきた女性政治家だった。ヨーロッパはドイツだけでなく、イギリス、フランス、EU委員長なども新しい顔ぶれに代わり、メルケル後のヨーロッパの求心力はどこへ移るのか、アメリカ、ロシア、中国など世界中が注視している。
メルケル氏は牧師の長女として1954年にハンブルグで生まれたが、生後まもなく東ドイツへ移住し、東ドイツで育った。小さい頃から成績は優秀で全科目ともトップクラス。特に数学、物理学、ロシア語に優れていた。ライプツィヒ大学卒業後、東ベルリンの科学アカデミーに就職し理論物理学を研究し博士号を取得している。その時代に最初の夫ウルリッヒ・メルケル氏と結婚した。1989年ベルリンの壁が崩壊した時、友人達と初めて西ベルリンに入ったが、その時は35歳でまだ一般の女性だった。
その後政治の道に入り、東西ドイツ統一後のキリスト教民主同盟(CDC)に入党、90年の連邦議会選挙で初当選すると第四次コール政権の女性・青少年問題担当相に抜擢され、以後もコール首相に見込まれ“コールのお嬢さん”などと呼ばれた。政界入りしてから着々と実力を発揮しやり手の政治家として注目され、最近は“ドイツのお母さん”と言われている。05年の総選挙勝利後CDU・CSU(キリスト教社会同盟)、SPD(社会民主党)が大連立を組みメルケル氏がドイツ初の女性首相に就任した。その後の選挙では第一党になるものの、単独過半数には至らず常に連立を組んで政権を維持してきた。
100万人を越える難民受け入れや原発の廃止、ウクライナ危機におけるロシアとの停戦協定実施、保育園の増設など共働き家庭への支援、ギリシャ危機への対応――などを決断してきた。支持率は40%台に低下したこともあったが概ね60%前後を維持し安定政権を続けた。ギリシャなどに緊縮財政を要求し、“浪費は罪深く、借金の返済は道徳的義務だ”と述べると、一部の学者から“他国にモラルを押し付け、緊縮財政を強要している”と批判されたりしたが妥協しなかった。また無類のサッカーファンであることも有名だ。
ベルリンの壁崩壊後は、世界経済のグローバル化が急速に進んだ時代だった。資本主義、自由主義社会の危機にまでつながる可能性を指摘する声も出ており、メルケル後のドイツのリーダーは責任が重い。
【財界 2021年3月10日 第537回】
■補足情報
・ドイツの連立与党、支持率が過去最低に落ち込む-世論調査 Bloomberg 2021年5月10日
ビルト日曜版の委託でカンターが実施している週間世論調査によると、9日公表の調査結果でドイツの連立与党、キリスト教民主同盟(CDU)とキリスト教社会同盟(CSU)の支持率は前回の24%から23%に低下し過去最低。緑の党は1ポイント下げて26%になったものの、全国レベルで約2年ぶりの最高水準近くを維持している。